はんなり伝統文化シリーズ 能

皆さんこんにちわ。                  

今回は、お能のことについてまとめてみようと思います。ちなみに私は、小学2年生から観世流仕舞を習っています。それをきっかけに、能楽や他の伝統芸能や歴史に興味をもちました。 

お能の歴史

お能の歴史はとても古く、奈良時代にはすでに能の祖となる、散楽や伎楽があったとされています。散楽は、アジア、古代ギリシャ、古代ローマなどのたくさんの国の芸能がシルクロードを通って中国に持ち込まれ、それらが融合された演芸で、内容は、物真似、曲芸、軽業、奇術、踊りなどと多種多様だったようです。ちなみに伎楽は、行道(ぎょうどう)という一種のパレード式で、滑稽味のある無言劇で構成され、飛鳥時代から奈良時代にかけて、寺社仏閣で盛んに上演されていたそうです。

大陸からこれらの芸能が日本に渡ってきたのがいつ頃かは、未だにわかっていないそうですが、およそ7世紀ごろとされます。日本に散楽が渡るとこれが貴族の間で大変流行り、散楽戸という専用の舞台が作られ、散楽師たちは朝廷により保護されます。                      しかし、少しするとこの文化はすたれ、散楽戸は廃止され、朝廷の保護外になってしまいます。貴族の方もなかなかに自分勝手ですね(笑)     
その代わり、散楽は自由に自社仏閣などで上演されるようになり、庶民の間で広く知られ、散楽がなまって、猿楽と呼ばれます。        鎌倉時代に入ると、平安時代に成立した初期の猿楽とはまた変わった鎌倉の猿楽が出来上がります。さらに、猿楽は寺社の祭礼などに取り入れられ、寺社仏閣との結びつきを深めていきます。座を組むものも増え、一部の座は寺社専属の猿楽座になり寺社の由来や神仏と人の関わりを分かりやすく解説する役割を果たしました。

室町時代に入ると猿楽はさらに変わっていきます。その背景にいたのが観阿弥と世阿弥親子です。1375年、室町幕府将軍足利義満は京の熊野にて観阿弥親子の猿楽を観て感銘を受けて親子と二人の率いる猿楽座、観世座を庇護しました。       観阿弥親子は将軍足利家という大きな後ろだてと、武家社会という大きな観客を手に入れますます猿楽を発展させていきました。               その後、5代将軍足利義持の時代になると義持があまり猿楽を好まなかったため義満の頃ほど庇護は受けられませんでした。                    しかし、6代将軍足利義教は猿楽を好み世阿弥の甥の音阿弥を高く評価しています。

猿楽は室町幕府が終わりを告げ、戦国の世になっても多くの武将に好まれました。織田信長もその一人で、中でも敦盛という演目を好んだそうです。 

能楽師が大名に⁉︎ 

江戸時代に入ると歌舞伎や文楽が栄え、あまり表舞台に立たないように見える能ですが、江戸時代の大名はそれぞれに藩のお抱え能楽師がいたそうです。財政に余裕がない小藩などは、藩士を江戸に出し能楽師として修行させたとか。6代将軍の徳川家宣の側用人で間部越前守詮房(まなべえちぜんのかみあきふさ)は甲府藩士西田清貞の息子で、甲府藩お抱え能楽師喜多七太夫の弟子だったのですが、当時甲府藩主だった家宣の前で能を披露した際に気に入られ小姓に取り立てられます。その後、家宣の寵愛を受けて高位を与えられています。家宣が将軍になると詮房は越前の国を与えられ大名になります、その後さらに昇格して老中若年寄まで上り詰めています。     ちなみに間部氏はさかのぼれば先祖は藤原鎌足であることがわかりました。また詮房の祖父の弟で間部又四郎は四国の阿波の国に行き武士の身分を捨てて商人となり眞鍋屋又左衛門と名乗っていたそうです。残念ながらこの眞鍋屋は又四郎の代から5代目の時に火災に遭ってしまい何も残っていませんでした。間部氏は色々と興味深いですね。

能の曲構成

お能の演目の多くは、源氏物語や、平家物語などの古典の物語を元にして作られたものです。そして曲の構成や物語の進み方などで、現在能と夢幻能に分けられます。現在能はその名の通り現在進行形で物語が進んでいくのですが、夢幻能は物語の中で現実と夢が交差しています。          現実と夢が交差しているとなると少しわかりづらい気がするのですが、どの作品も構成が似ているところがあるので、それさえつかめば見やすいです。夢幻能の構成は、前場と後場に分かれています。                                                             前場……旅の僧などの「ワキ」が名所やいわれのある場所を訪れると、主人公であるシテが謎の人物として現われ、その土地に関連する話をはじめる。シテ(前シテ)は老人や女性の姿をしており、自分が何者かをほのめかす。
中入り……シテが一旦退場する。
後場……ワキがそのまま待つと、今度は消えた謎の人物が、幽霊、神、精霊など、非現実的な本来の霊的な姿で再び現れ(後シテ)、舞いを舞って消えていく。シテやワキなどは能独特の登場人物の呼び名です。                                        シテ  これは主人公です。神仏や霊が僧侶や村人に化けた前シテと元の姿で再び現れる後シテがあります。                                                        ワキ  ワキはシテの相手役で、旅する僧侶や主役の仇だったりと様々な役を演じます。        ツレ  シテやワキの従者。ワキの従者はワキツレとも。

ちなみに夢幻能は世阿弥が作った能の構成です。

能の音楽

能の音楽を担当する人達を囃子方と呼びます。         

囃子方は笛、小鼓、大鼓(大皮)、太鼓からなりこれを四拍子といわれます。それぞれの楽器が専門が分かれていて家の芸として高度な技術と芸風を継承しているそうです。演奏はひとり一役。自分の担当以外を演奏することはありません。小鼓や大鼓の演奏者は「イヨー!」、「はっ!」などと掛け声をかけます。これは間合いを取り、曲の進行状況などを知らせ合っているのだとか。



今回はラジオでもお話しした能の歴史や文化などについて書いてみました。

今回のコロナの影響で中止になってしまった公演が多いそうで、一刻も早くの終息を願っています◎








                           



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?