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私も「女に生まれてモヤってる!」みたい。 | きのう、なに読んだ?

「シノダさんって、おっさんと女子が同居してますね。」

5年ほど前、気の置けない知りあい何人かでおしゃべりしていて「偏愛マップを書いてみよう」ということになったんです。偏愛マップとは、自分が好きなものを、なるべく具体的に書き出したもので、それを見せ合うとお互いのことが短時間でいい感じに伝え合うことができる、という効果があります。元ネタは齋藤孝さんの本ですね。

偏愛マップに私が書いたものは、たしかビジネス書(著者名や書籍名レベルで)と、クッキー(好きなお店と商品名レベル)、デニッシュ(これも好きなお店と商品名)でした。それを見た人の第一声が、冒頭の一言です。ビジネス書=おっさん、クッキーやデニッシュ=女子、ということなのでしょう。

まさにそうだわー、と素直に思いました。そんなステレオタイプなこと言って、みたいなネガティブな気持ちはまったく起きませんでした。

ここ数年でジェンダーにまつわる価値観は、けっこう急速に変化してるみたいです。私が社会人になった頃は、世の中のあらゆる価値観は「男」「女」という性別と紐づいていました。我が家では私が運転手で夫は車の運転をしないのですが、そんなことですら20ン年前は「え…」と戸惑われたり「さすが」と苦笑されたりしたのです。女性が車の運転をすること自体は不思議がられないけれど、カップルだと「男が運転、女は助手席」という無意識バイアスが強かった。15年前に上の子が保育園に通い始めた頃は、お父さんのお迎えはまだまだ少なかったし。それが、私の感覚でしかありませんけれど、ここ5〜10年くらいであからさまな「男」「女」区別は随分減ってきたような気がしています。今日もこんな素敵な記事に出会いました。

そんな環境変化の影響でしょうか、2年くらい前から、私自身、自分の中の自分に対する「無意識バイアス」に気づく機会がちょこちょこ出てきました。自分が「女」として出来損ないだ、「母」として不十分だ、という自信のなさが心の奥底にある。不安をかき消すために、旧来の価値観で「男」的とされるものを頑張ったり、自分の態度や行動に過剰に取り入れてきたんじゃないか。「女として出来損ないだ」という気持ちからくる痛みに蓋をしてきたんじゃないか。整理して人に語れるようになるまでには、まだまだ道は遠い感じですけれど。

こんなことを書いてるのは、きのう、ジェーン・スーさんの新刊が出たと知って、試し読みと、中野信子さんとの対談記事を読んだからです。

ジェーン・スーさんの作品はあまり読んでないのですが、2013年に書かれたブログ記事「東京生まれ東京育ちが地方出身者から授かる恩恵と浴びる毒」が、自分の感覚をかなり代弁してくださっていて、すごいなあと思ってました。本書の試し読み部分の中でも、また代弁が。

「女らしくない自分を責めながら、自分に男と同じ価値があることを、男のように振る舞って証明しようともしていました。それが「私らしさ」だと勘違いしていたのです。」
「これは女が組み込まれている世の中のシステムやプログラムに問題があるのではないかと思い始めました。私が悪いのかと思っていたけれど、どうやら仕組みにバグがあるっぽい。」

私は、ジェンダーに関する攻撃的な言葉狩りや「態度狩り」には興味がなく、距離をおきたいスタンスです。どちらかというと、自分の中で何が起きてきたかを解明するほうに興味がある。その一助になるかもと期待して、この本買いました。

今日は、以上です。ごきげんよう。

(Photo by Stephan Geyer)

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