よそ者から商店街まちづくりへ

全く商店街に関係がなかった者が、気がつけば、商店街まちづくり事業のプロジェクトマネジメントを担うことに…。

思い出のシャッター街化

高校時代まで地元で過ごした私にとって、商店街は「地元の誇り」。子供の頃は週末に親に連れられ、高校時代は毎日学校帰りに通っていた商店街。空店舗なんてなく、多種多様な店舗が軒を連ね、とにかく活気に満ちあふれていた。
進学で地元を離れ、テレビで全国の商店街のシャッター街化問題は知ってたけど「そんな所もあるんだ…」って他人事?(知らない地域のこと)って思っていたのが、地元に帰ってみたら、あれだけ栄えていた街が、テレビで見たシャッター街に。
ショックだった…。
まるで、自分の思い出までが消えていってしまってるみたいで。

何かお手伝いがしたかった

独立し、地元に戻ってからは、何か商店街のためにできないか?ずっと考えていた。ちょうど自分の事業が軌道に乗りはじめた4年目くらいに、いろんな出会いが少しずつ。商店街の横にあった広場でフリマをやろうって話があって、それが、商店街とつながるきっかけになった。
たまたま、商店街の若手のグループができて、そこにお声がけを頂いたり。

やりたかったのはボランティア

別に自分が街の活性化の中心になりたいとか、まちづくり事業に関わっていきたいとかは思ってなかった。ボランテイアとして、そんな活動の応援が出来たらなって思ってただけ。例えば、WEBを本業としていたから情報発信面でのお手伝いとか。

若手との活動が思わぬ成果を

商店街では、若手グループとの活動が多くなっていったが、その中でたまたま私が提案した企画が大きな話になって、商店街中を巻き込む大イベントに。乗り掛かってしまった船で、やるからにはとことんとやった結果が、商店街内外から評価して頂き思わぬ成果を生んでしまった。

まちづくりの中心に

市は中心市街地の活性化に大変熱心で、商店街のまちづくりも市が長年支えてくれている状況であったが、商店街はなかなか成果を出すことができず、いよいよ支援打ち切りか?というピンチに。
自立を求められた商店街が、独自に事業を立ち上げないといけないとなったときに、人材がいなかった。

たまたま残っていたのが私?

商店街は行政をはじめ外部に依存してきたため、自立するにも自ら取り組んでいく体制を全くつくれていなかった。外部から支えてくれていた人たちも、気がつけば、みんな去っていってしまった。それで、たまたま私だけが残っていた…。

本意ではなかったが

私も商店街から離れたいと思うようになっていたので、正直、断ろうと思っていた。ただ、断ったとして、誰がやる?全く街のことを知らない誰かがやることに?だとしたら、少なからず私も貢献してきたこれまでの流れは全て水の泡となってしまうのではないか…。
元々、お手伝いは40歳を区切りと決めていた。このとき38歳。お願いされたプロジェクトが偶然にも2年間。これも、もう乗り掛かってしまった船…。
とりあえず2年間を約束に引き受けたのが、始まりでした。

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