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臍(ヘソ)の緒に連なって

2009年3月13日付、弊ブログ記事より加筆修正。
なお、臍の緒は前フリで、本題は父子の往復書簡です。


 何かのニュースで「臍の緒」というキーワードを耳にした母が、「はて、うちの子の臍の緒は?」とスイッチが入り、家捜ししたらしい。

 名刺よりも小さいサイズの象牙色のプラスチックケースに、エンボス加工された『寿』の一文字が金色のインクをまとってデカデカと浮き上がり、産院の名前(12級くらいのゴシック体)も添えられている。中に入ってる薄紙の包みを開いたら、カサカサに縮こまった臍の緒がたしかにあった。かつて自分と母の一部だった物体を見ても、ほほーん、としか言えないものだ。

 それらケースといっしょに母が出してきたのは父と子の往復書簡。

 わたしが小学二年生の終わり頃、弟がまもなく小学校入学という時期に、父が四ヶ月間だけ単身赴任をした。その期間にやりとりした手紙があって、それを残していたようだ。ふむ、たしかにうっすらと覚えがある。

 以下順不同に、わたしから父へ。

「お父さんお元気ですか?」
「お母さんは朝早くからバザーのお手つだいに出かけました。」
「さんかん日に来てもらえなくてざんねんです。」
「ピアノの先生のところにおきゃくさんがこられました。」
「きのうのよるは、まいちゃんとまどかくんたちとよるごはんを食べにいきました。」
「お父さんつぎの休みはいつですか。会いたいです。」
「お父さんはわたしたちに会いたいですか?」


など、おそらくほぼ全域にわたって、自分で作文したというよりは母にネタを仕込まれた二年生のわたしが書いている(とくに最後の一文の、ドラマの“娘”役なら聞きそうなセリフは嘘くさい)。

序盤の話題が手紙の最後でリフレインしている回もあった。小学二年生は自由だなー。

 父からは、

「九九は覚えましたか。ピアノの練習はしていますか。」
「早いものでお姉ちゃんも三年生になります。これからは学校の勉強もだんだんむずかしくなります。先生の言っていることをシッカリと聞いてわからない所は積極的に質問するように。」
「アッくん(弟)の面倒も見てやるように。アッくんは新入生で学校生活になれていないからお姉ちゃん頼みます。」


と当時のわたしが言われたくないけど、どうしようもなくそこにあるものへの父からの気配りが述べられ(九九もピアノの練習も嫌いで大の苦手であった…お姉ちゃんなんだから、と言われるのも、大人たちに口々に言われすぎる割にどうしていいかわからなくてイヤだった)、

「お父さんは五月一日に帰ります。これからはずっと一緒です。」

と締め括られている。

 父もちょっとさみしかったのかもしれないな。そうそう、たった四ヶ月のことだったけど、父が離れて暮らすことは、我が家族にとって、ちょっと試練めいた出来事だったことが思い出される(幼過ぎた弟はコトをよくわかってなかったように思うけれど)。

 どうして子どもって便箋が逆さになっているのに気付かないんだろうな…なぜここでビックリマークなのか…しかも二つ…とか、自分の書いたものにはドライな感想しか浮かばず、感慨はない(まあ、半分母のゴーストライティングだったし)。

 かたや、父の手紙は今読むと非常に客観的に感動してしまう。

 漢字のヨコに (   ) が設けられていて、
「尚、漢字のわからない所はお母さんに聞いてフリガナをふってもらって読みなさい。」
 とある。

 これにはビックリした。
父といえば、働きぶりはマジメだけど、ヤンチャな男の子がそのまま大人になったみたいな、日常的なことには基本的に大雑把(よく言えばおおらか)で、酔っ払って乗り過ごしてきたり、出かけ先で海パン無くしてきたり(それも一回や二回ではない)、昭和感満載なズッコケの枚挙には暇がない。

 そんなだけれども、このときの父の手紙には、ものすごく普遍的な「オトウサン」というものが詰まっているように、今だからだろう、そう思われるのだ。

 それと、世界の大きさについて思った。

 母、弟、学校、近所の友だち、ピアノのレッスン、その当時のわたしが掌握して父に伝えることのできるすべて、小さき世界。それは、その後を生きて、地図上の行動範囲や関わり合うヒトや経験との接点を広げてきたわたしの世界と比べると小さく狭いけれど、絶対的な大きさは、もしかしたら二年生のわたしの生きる世界のほうが大きく広かったかもしれない。

 何ということもない一日の終わりに。脈絡なき母の行動がもたらしたものよ、天晴れ。

これは友達にもらったブルーナさんの絵葉書。
なんか今回の投稿に似合う。

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遠くにいる人と、顔を見ながら話せるツールがまだないころのお話。

赴任先のお休みの日に、父は近くの浜辺へ散歩して、貝を拾ったらしい。そのときの状況を絵日記みたいに書いた手紙と貝と、いっしょに送られてきたのが往復書簡のはじまりだった。母と弟と三人で「おとうさん、けっこう絵ウマイやん!」と興奮したのも覚えている。

なんたって二年生だから、そんな興奮も感動も、便箋も鉛筆も、ピアノの時間も手紙を書く時間も、ぜんぶぜーんぶ、父と母がくれたもの。

星の一葉 ⁂ ホシノヒトハ


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