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春が嫌いになった話

春生まれで、暖かくもなり花も咲き出す春は元々好きな季節だった。

それが揺らいだきっかけは、花粉症。
地方出身で、25歳で首都圏に出てくるまではなんともなかった。
杉の多いところから少ないところに移って症状出るってどういうこと?!
解せないながらも、以後は早春から抗アレルギー薬のお世話になっている。

窓も開けられないし、洗濯物も外に干せない時期がある。
春を楽しめないのはじわじわ辛い。

さらに「好き」が消えたのは結婚後。
連れ合いは山菜豊富な地方出身で、山菜は採るのも食べるのも大好き。
食いしん坊のわたしは見たこともない山菜をお里で食べては、
面白がっていた。

しかし。

毎年春先になると、連れ合いの里から山菜が段ボール箱で
届くようになった。それも一回こっきりではない。
おまけに最盛期には連れ合いも大量に持ち帰る。

冷蔵庫に入りきらない生の山菜。
子どもは乳児に幼児で、日々育児にグッタリ。
子どもは山菜のほろ苦さやぬめりを好まない。

わたしも山菜は嫌いではないが、大量に食べたいとも思わない。
だいいち子どもたちに食べさせることで頭がいっぱい。
普段の料理に追加して山菜の泥を落としあく抜きをし、料理をするのはとても辛かった。

思うように調理できず、無惨に傷んでいく山菜に、
いのちを無駄にした罪悪感がつきまとう。
連れ合いから「アレ(調理していない山菜)どうなった?」と聞かれ、
責められたと思うことも度々あった。

気づけば、すっかり春が憂鬱になってしまっていた。
花粉も山菜も悪くないのに、すっかり身構える自分になっていた。

あれから二十年近く経った。
段ボールで山菜が届くこともなくなり、子どもたちは一人暮らしを
始めている。

今でも山菜を見ると身構える。
いのちを無駄に出来ないと身構える。
自分を責めるのを怖れて、身構える。

わたしは春への複雑な思いを脱ぎ捨てることが出来るか、
わからないでいる。
それなのに一度も山菜を食べない春は、さみしいに違いないのだ。

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