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家に帰ってからが大変だった

病状は一向に良くならず、食事で椅子に座るのが精一杯。
食事作りが出来る状態ではなかったので、夫と息子には適当に食べてもらい、自分の食事だけ用意していた。それもレトルトのおかゆや、フリーズドライの野菜スープなど。お茶も含めてとにかく温かいもの。夏場だったが冷たいものは食べられなかった。食べればすぐに腹痛と下痢がやってきた。

食べたらすぐに布団に戻り、横になる日々。
身体が重くてトイレに行くのも面倒に感じるほどだった。
(幸いにもトイレに行くことは出来た。お風呂はかけ湯をしてつかるだけ。)

体調不良の時に連絡するよう、退所の時に渡されていた連絡先に電話しても
全く繋がらなかった。新規感染者と共通の連絡先で、患者は増える一方だったからだ。

「これは自分で何とかしろってことだ…」

整腸剤をネットで買い様子を見ていたが、病み上がりのふらふらした状態がずっと続く。お腹は改善せず、手足の冷えもあった。それでも文字が読めたのは幸いだった。寝床で、電子書籍のありがたみを感じつつの読書生活。
テレビや動画は見ることが出来ない。情報を処理しきれない感じだった。

近くの病院に行くのに20分ほど歩いたら、翌日起き上がれないほど具合が悪くなっていた。発症からひと月が経ち、いつまでもおかゆばかりでは力も出ないと普通食に戻したが、腹痛…。ここにきて何故か咳がひどくなってきていた。

「何か良くないことが起きている。治っている気がしない」

このころ夫は待機期間が明け仕事に戻ったため、洗濯に加え炊事も私がやっていた。家事の合間はひたすら横になって過ごす。それでも夜にはグッタリだった。
平畑先生の情報提供により初めてコロナ後遺症を疑う。

近くの内科は、検査はしてくれたけれど治療には消極的だった。
治療法もわからず不定愁訴の寄せ集めみたいな症状では仕方がなかった。
幸いバスで通えるところに後遺症を診てくれる耳鼻科を見つけ、痛い治療だったがはじめることにした。

2021年8月。発症後1か月で治療に繋がったのは、今思えば幸運だった。
重い身体を引きずるように駅の東口からコンコースを歩いて西口に向かう。

え? 大宮駅の人の流れに乗ることが全然できない…
(注:大宮の人の流れは都内に比べてゆっくりです。主観ですが)

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