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女房に片思い~23~

ひとりの後輩が彼女になり、結婚して彼女は妻になり、出産して妻は母親になっても、私が妻に抱く気持ちは、いつだってずっと、片思いだった頃の気持ちの延長線上にある。この子のことをもっと知りたい。もっと一緒にいたい。抱き締めてみたい。あぁ。眠れない。そんな気持ちをお付き合いしてから15年間経っても性懲りもなく抱き続けている。
私の座右の銘。【女房に片思い】という言葉は、妻を思う気持ちは片思いだった頃と何ら変わらず増していることを強く顕している。

目が覚めて「おはよう」とコーヒーを淹れてくれるだけで幸せに満ちた1日が始まる。甘えたい気持ちを汲んで抱き締めてくれると嬉しい。ふたりにしか解らない世界観で静かに笑いあう夜中。あの日に誓った健やかなるときも病めるときもふたりならば乗り越えられる気がする。
そしていま、闘病中の私を子育てに奮闘しながらも私を優しく内包してくれる。そんな妻に軽々しく「愛してる」というのは失礼にすら感じるからこそ、私は「愛している」を言い換えて伝え続ける努力を惜しまない。伝え続けないと愛情なんて簡単に錆びついてくるものだ。

陽気なスペイン人のような愛情表現する私にたいして、妻から私への愛情は輪郭を優しく撫でてくれるような安心感として伝わってくる。恥ずかしいからなかなか言葉にはできないけれど、充分に伝わってくる確かな愛情があり、その暖かさに取りこまれてしまうともうダメだ。脱力して力が入らなくなってしまう。そういう付き合いかたを15年前からしてきたから、きっと15年後も同じようなふたりでいられる予感があるし、そう願いたいものだ。

皆様はいかがでしょう。「愛してる」と「好き」を言葉として伝えたのはいつが最後ですか。軽々しくいう台詞ではないと、先ほど申し上げましたが、挨拶と同じで言われて不快に感じる言葉ではないです。今日は私のエッセイに巻きこまれたと思って、一輪の薔薇でも添えて「愛してる」を伝えてみてください。私は入院していてそれができないので私の代わりに宜しくお願いいたします。

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