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スタバでMacを開くことに、いまだドキドキする

しゃらくさいことがどうにも恥ずかしい。なのにしゃらくさいことをすることに憧れがある。我ながらなんとも面倒くさい人間だと思う。

オシャレで、ハイソで、スタイリッシュ。爽やかで、健康的で、充実している。

なんにも悪いところなんかないのに、自分がそういうことをするとき、どうにも小っ恥ずかしい気分が拭いきれない。

いや、多分だけど、この気持ちは「恥ずかしい」じゃなくて「一緒にしないでくれ」というやつかもしれない。


ひと昔に目にした、「しゃらくささの極み」みたいなツイートをいつも思い出す。

ブルーボトル日本開店おめでとう。西海岸で飲む、いつもの味。僕にとって新鮮みがないことが、成功の証だと思う。

アメリカのカフェチェーン、ブルーボトルコーヒーが日本で開業した時のツイートかと思うが、これはすごい。「こいつ、やってんな〜」というしゃらくささに満ちていて、ゾクゾクする。

このツイートがしゃらくさいのは、「開店自体はどうでもよくて、自分は西海岸でオシャレライフを送っていた人間で、コーヒーの味がわかり、味だけで事業成功の可否が分かっちゃう審美眼の持ち主」というアピールがスケスケに透けて見えているところだ。開店を祝うだけなら「ブルーボトル開店おめでとう」だけで充分じゃないの。

(※実際は味は日本人向けに調整されており、西海岸とは違うらしいということが発覚し、このツイートのしゃらくささがブーストされる結果となった)


このツイートは2015年のもので、このあたりから『意識高い系』という言葉が出てきたんじゃないだろうか。意識が高いんじゃなく、自分を意識高く見せたい。それが言動に現れてる人のことだ。

実際に意識高い生活を送ってはいたとしても、それをわざわざアピールしてくるのは浅はかだし、「いえいえ、これはアピールじゃなくて、ただのお祝いツイートですよ?」と逃げ道を残しているのが相当タチが悪い。


同じ時期に同類として話題になったのが「わざわざスタバでMacBookを開くやつは、意識高い自分をアピールしたいだけ」というやつだ。

気持ちとしては分かる。僕も昔はスタバなんて怖くて入れなかったし、リア充しか入店を許されないものだと思っていたし、Macを使う人はみんな上流階級のデザイナーだと思っていた。”上流階級のデザイナー”の意味がさっぱりわからないが、とにかく嫉妬だか僻みだか憧れだか、そういった感情から「ケッ!何がスタバじゃい。黙ってほうじ茶でも啜っとれ!」と反発心を抱いていた。

要は「スタバでMacを開くようなやつ」は「ブルーボトル開店にかこつけて自分アピールしたいだけのやつ」と同類と思っていて、スタバもMacも自分アピールのための単なる舞台装置に過ぎず、本当は好きでもなんでもないんだろ!と思っていたのだ。


でもそれは偏見だった。くそみそだった。十把一絡げというやつだ。ほとんどは普通にそれが好きで、そうするのがラクだからそうしている。もちろんアピールしたいだけの意識高い系の人はいるだろうけど、それはごく一部だ。まあそのごく一部のしゃらくささがキツすぎて、一緒にされちゃうんだろうけど。

わざわざ自分から「ボク、意識高いですよ〜」とアピールする輩と、「いえ、自分、普通に好きだし、ラクだからこうしてるだけっす」という人は、傍目からは見分けがつかないのだ。


自分に自信がある人ほど寡黙になり、自信のない人ほど饒舌になる。
意識の高いさまをわざわざアピールするのは、それだけ自分に自信がないからだ。本当に好きならば何気ない言葉の端ばしにそれは表れるし、本当に格好いい人は格好をつけない。

ガワをどれだけ声高にアピールしようと、人の本質なんてものは中から滲み出てくるものなんだから。


あのツイートを思い出すたびに、自分のガワと中身を一致させて、ことさらにアピールせずとも滲ませられる人間になりたいと思う。


そして、いちいち「これ、カッコつけてるんじゃなくて、好きでやってるんだよ!アピールじゃないからね!」とビクビクしない人間になりたいとも思う。


ちなみにこの文章を、スタバで、MacBookを開いて、しかも晴れた爽やかな朝8時の、あろうことかストロベリーフラペチーノを飲みながら、更には神をも恐れぬ、へ、平日に書いている。状況だけ見ると数え役満だ。自分でも「こいつ、やってんな〜」と思う。

ついでに言うと頭はパーマだ。ヤバい。ヤバすぎる。どう見ても「わざわざカフェで仕事する意識高いIT起業家」だ。

違う。違うんです。帰ったらスウェット着てほうじ茶をズルズル啜るから許してください。

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