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夏はアクティブに、なんてもう古い

夏のイメージが『陽』とか『エネルギッシュ』とか『アクティブ』に偏るのは何故なんだろうか。


夏といえば、

「海でサーフィンだ~!バッシャーン!うわぁ~いアハハハハハ!」

とか

「やっぱバーベキューっしょ!プッハー!チューハイうめえ!」

とか

「キャンプだ!ファイアー囲んでロマンチック!あ!星!きれいぃ~☆」


みたいに、やたら元気いっぱいに過ごすでしょ?そうでしょ?という圧がある。せっかく夏なんだからアクティブにすごそう、という一体何が「せっかく」なのかわからない圧。これはいったい何なんだろう。


思えば子供の頃の夏はやたらアクティブだった。40日間の夏休みという神をも恐れぬ長期休暇。そのおかげでとにかくテンションがブチ上がっていた。

レジャーがあろうとなかろうと、とにかく毎日外で遊んでいた。まる一日かけて公園の砂場に巨大な穴を掘ったり、カブトムシを捕りに行ったが見つからなかったのでカブトムシごっこに興じたり、他校の子供と町全体を使った対抗ドロケイ(ケイドロ?)をしたり。

「明日何して遊ぶー?!」
「わかんない!」
「とりあえず朝8時に集合な!」

と、予定はないけどとりあえず外で集まり、思いついた何かしらを片っ端から行動に移すという、行動力バツグンだが知性は皆無なガキだった。


強い日差しと高い気温、そして薄着になることで身軽になる体、それら全てが野生の本能に訴えかけるのかも知れないし、テレビや雑誌の「夏はアクティブに」という画に影響を受けたからかもしれない。

とにかく「夏だし、何かせねば」という動物的本能に突き動かされていた気がする。


でも、もう昔のイメージ通りに夏を過ごせない。

歳のせいではない。知恵をつけたからだ。僕は動物的本能ではなく、理性に従って夏を過ごせるようになったのだ。歳のせいではない。あとそう、今は昔と違って、屋外はヘタしたら熱中症で死ぬかもしれないというハードボイルドな世界になったからだ。歳のせいじゃなく、地球のせいなのだ。

アウトドアは、もう夏の正解ではないのだ。


真に正しい夏の過ごし方はこれだ。
クーラーの効いた部屋で『Frostpunk』みたいな寒々しいゲームに没頭することで、疑似的に体感温度を下げる。これなのだ。

極寒の地の街づくりゲーム『Frostpunk』
温度管理をミスすると住民が凍死するという、なかなかシャレにならないシビアな設定。


寒い場所に身を置いていると思い込むことで、夏の暑さを忘れる…。本能ではなく知性の力で夏に抗う、実にクレバーな過ごし方だ。


もう少し涼しくなってきたら、砂場に巨大な穴を掘りに行ってもいいかもしれないが、それまではこのやり方でこの夏を過ごそうと思う。断じて歳のせいで体力が落ちたからではない。

サポートされると嬉しさのあまり右腕に封印されし古代の龍が目覚めそうになるので、いただいたサポートで封印のための包帯を購入します。