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トイレに立つように逝った人

睡眠を妨げられたくなくて、夜22時から朝6時までは電話が鳴らないように設定している。師走のある日、深夜にユズルから着信があったのを朝になって知った。ユズとは付き合って3年になる。互いにいい歳で結婚をするよりも、いい関係でいられる距離を保ちながら週末だけ共に過ごす。昔から知っているとはいえ、知らない人として存在していた30年余りの期間のことはあまり詳しく知らない。人間関係も、家族のことも、収入のことすら何ら知らないことのほうが多い。

「兄貴が、死んだ」
ユズルの口から朝早くに発せられた言葉は、ミウの鼓膜を凍らせた。まさか。ユズルと3つ違いの兄マモルは、品行方正なエリートで順風満帆な人生を歩んでいたはずだ。ユズルが早々に学歴レースから降りて、好き放題に生きてきたのもエリートの兄がいてくれたからこそ、といっても過言ではない。

家の中で自死し、どのような状況で亡くなったのかも不明。遺書があるのかどうかもわからない。コロナ禍でリモートワークだったが、翌日は本社へ出勤の予定だった。なんで定年まであと2年だったのにこんなことになったんだろう。どうして死ななくちゃならなかったんだろう。いつから死ぬことを考えていたんだろう。そんな疑問がグルグルと遺されたものたちは抱えている。

芸能人の自殺も後を絶たない。
思い悩んでいる姿より、幸せに満ち満ちているはずの状況でしかないはずなのになぜ…と疑問が残る。けれど、こう考えてみてはどうだろう。死んでしまった本人にもたぶんわからないはずだったのだ、と。トイレに立つように思わず開けた扉があの世へ通ずる道で。本当はトイレに立つだけのつもりが、何の気なしに、ほんの少しは興味本位もあったかもしれないけれど、開けてしまった。その扉は重く、後ろ手に閉まるともう引き返せないもので、「あ!」と気づいた時は遅かった…のではないか。

それにしても遺されたものの心の痛みを思うと、たとえ遺書がなかったとしても、何に思い悩んでいたのかくらいは知りたい。これから書くお話は、マモル兄さんを知るいろいろな関係の人へ聞き込みをした内容です。名前などはもちろん伏せますが、いつ、どんな時代に共に過ごしたのかをわかるように最後に( )で記した。

ひとりで早々にこの人生を終えてしまっても、これまでの人生で関わってきた人たちは唐突に置き去りにされてぽかんとしている。だから、こういう周囲の人たちの話を拾うことで、思い出し、マモル兄さんを偲びたい。

マモル兄さんよ、安らかに眠れ。




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