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雲で量る。

なにかを決めるとき、必ずしも明確な理由があるとは限らない。
自分の足を踏み出すバロメーターが、黒と白の間で、ある一定濃度を超えるとイエスからノーに変化する。

その灰色加減は言葉にできないことも多い。
やむなく、「なんとなく」とか「あんまり」といったピンボケの表現で濁される。
ところがこの曖昧に見える拒否は、決して些細な拒否ではない。
見ないようにしていたり、気づいていなかったり。
明らかな理由で拒む場合よりも、じつは内側にあるものは大きかったり、複合的だったりもする。

勘とか本能ともすこし違う。
思い返してみると、これまで大きな選択に迫られたときはほぼ、この灰色の按配によって決定してきたといってもいい。
そして不思議なことに、明確な理由で決断したときよりも、後悔が少ない。
自信を持っていたことは案外、揺らぎやすい。

言ってみれば、「なんとなく学校に行きたくない」とか、「今日はあんまり仕事したくない」とか。
じつはそこにも思わぬ要因が育っていたりするかもしれない。

言葉に変換される前のもやのような感情は、自分にしかわからない、最も信頼できる指標でもある。

誰かが、こちらの意に反する行動を取ったとき。
そこに存在する理由を、表面に浮いた言葉だけで理解し切れるとはかぎらない。

厚い黒雲、薄っすらとかすむような灰色の雲。
誰の中にも、そんなくもり空のようなメーターがあるに違いない。

その人にしかわからない空模様を、見えたつもりになってはいけない、と自戒する。


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