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塗っては重ねる。

仕事と呼べること、仕事っぽいこと、仕事とはいえないけれど仕事と割り切っていたこと、いろいろあった。

最近思う。
適した場所にいる、ということがじつは、いちばん大事なことではないか。

相手が求めていることと、自分のできることが食い違っている。
そういうところにいると、幻滅だけが増えていく。
なんでもできます。
なんでもやります。
それは違う。
なんでもできないし、なんでもやりたいわけではない。
努力に即効性はない。

二十年前の自分が、今の自分の子どものように感じることがある。
すっとんで行って、「そんなことはしなくていい、もっといい方法がある」そう言ってあげたくなる。
でもきっと、二十年前の自分はそんな言葉を受け付けはしないし、あの頃一番うっとうしく感じていた部類の人間になっているのかもしれない。

適する、というのはとても無理のない言葉だと思う。
何かに合わせるために必死になるわけでもなく、いつも通りでもすっと馴染む。
あちらもこちらも、どちらも互いに。
そんな場所を容易に見つけられる人もいれば、何十年かかる人もいる。

適する場所はなかなか見つからない。
ではどうする。

薄く薄く、些細な快さを塗り重ねていくしかないのかもしれない。
日々の快適さを選び取って重ねる。
微妙に異なる快さが、グラデーションとなって現れる。

それを誰かが美しいと言ってくれたらしめたもの。
美しいと感じるものは、きっと見逃してはいけない。



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