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さよならのかわりに

お別れの言葉

小さな頃から「さよなら」という言葉が嫌いだった。

「さよなら」と言ってしまうともう二度と会えないのではないか、これが最後の会話になってしまうのではないかとなぜか恐くなった。

だから僕はなるべく「さよなら」という言葉を使わないようにしている。家族には「行ってきます」友人には「またね」会社では「お疲れ様でした」と言うようにしているし、別れ際の僅かな時間を大切にしようと決めている。次いつ会えるかわからない、もしかすると二度と会えないかもしれない、また次に笑顔で会えますようにと、細やかな祈りを込めて別れることがマナーだと思うのだ。

別れ際に暴言を吐いてそれが今生の別れとなり一生後悔する。

1度や2度聞いたことがある話ではないだろうか。たまたまその日に母親と喧嘩してしまい、別れ際に「うるさいクソババア」と言い放つ。母親はその日事故に遭い帰らぬ人となる。息子は母親に言った最後の言葉が「うるさいクソババア」ということに悔恨の念を抱き続けながら生きていく。

そんな結末はあまりにも悲しすぎるだろう。

人生いつ何が起こるかわからない。これが最後の言葉となっても後悔しないように、別れの言葉や態度は大切にするべきだと思うのだ。

照れ臭さや気恥ずかしさは捨てて、大切な人には伝えたい思いや言葉は"今"伝えるべきなのだ。

身体に気をつけてね

社会人になってから実家に帰る機会が減った。1年に1回か2回程度しか帰らない年もあった。片道1時間半くらいの距離なのだが実家に帰ってもやることがなく、何かしら用事がないとあえて帰ろうという気分にならなかったからだ。

実家には父と母と祖母が暮らしており祖母は80歳を超え、認知症に近い症状は出ていたようだが僕のことは認識できるし、同じ話が多くなったが会話自体は成立していたので、まだまだ元気だと思っていた。

祖母との会話はいつも「普段何を食べているのか」「仕事は辛くないか」と僕を気遣う問いかけばかりで、後はひたすら褒めてくれた。世界一僕を気遣い褒めてくれる存在で、小さい頃から祖母が大好きだった。お節介だと思う時もよくあったし、良かれと思ってやってくれたことでも思春期の少年にとっては煩わしいと思うことはあったが、祖母にだけは一度も声を荒げたりすることはなかった。それに関しては我ながら良くできた孫だと自覚している。

実家から帰る時、祖母はいつも「身体に気をつけてね、行ってらっしゃい」と声をかけてくれた。僕は「ありがとう、行ってきます」と言うのが毎回の別れ際のやり取りだった。

その日もいつものように祖母は「身体に気をつけてね、行ってらっしゃい」と言い、僕も「ありがとう、行ってきます」と言ったのだが、その後もう一言「おばあちゃんも身体に気をつけてね」という言葉が出てきた。とても照れ臭かったが、心から相手を思っていると気遣いの言葉は自然と出てくるものなのだろう。

100万回言われた「身体に気をつけてね」という言葉をやっと1回お返しすることができた日だった。

祖母は「どうもありがとう」と微笑んでくれた。



これが祖母と交わした最後の会話であり、最後の笑顔だった。一生忘れることのない別れ際のひとときだ。

祖母の手を握り

祖母を施設に入れることにしたと母から連絡があった。まだ元気なのだが、父や母の負担も日毎に増えてきたのだろう。

実家に帰ってもいつものように祖母に会えなくなってしまったが、施設で元気そうに過ごしてる写真を見ることができたので安心していた。

そのうち祖母に会いに行こうと思っていたがなかなか行くことができず、数ヶ月が過ぎてしまったある日、母から祖母の具合があまり良くないから会いに来てほしいと連絡が入った。

僕は週末すぐに実家に帰省し、祖母の入る施設に向かった。そこで見た祖母は想像を遥かに上回る姿をしていた。

ベットに横たわった祖母は痩せ細り、頬はこけ、鼻や口には管が通っていた。私が来たことにも気づかず、視線は宙を漂い、よくわからない言葉を繰り返しぼやいていて、とても苦しそうだった。数ヶ月前に会った祖母とは似ても似つかない姿に僕は絶望し、涙が止まらなかった。

20年ぶりに握りしめた祖母の手は、小さい頃の記憶にあるあの柔らかく温かい手ではなく、か細く冷たい手だった。僕は祖母の手をにぎりしめながら只々泣くことしかできなかった。

帰らなければならない時間となり、僕は祖母に「早く元気になってねおばあちゃん。また来るからね」と声をかけ施設を後にした。



祖母は僕に会えるのを待っていたかのように次の日息を引き取った。

さよならのかわりに

僕は大人になり、祖母を気遣うことができるようになってきていた。祖母のために何かできることはないかと考え始めていた矢先の出来事だった。

祖母のために何かできること。

考えても答えは出てこなかった。なぜなら僕は祖母のことを全然知らなかったからだ。

生まれてから20年という歳月を一つ屋根の下で過ごしたにも関わらず、僕は祖母のことをほとんど知らなかった。

祖母がどのような少女時代を過ごし、大人となり、祖父と出会い、父を産んだのか、僕は知らなかった。

自分が生きることで精一杯で、祖母のことを知ろうともしなかった。祖母も僕の話ばかりを聞きたがり、自分の話をしようとしなかったがそれに気づくことすらできなかった。

その事実を突きつけられた時、僕は膝から崩れ落ち、亡き祖母にお詫びした。

話すべき事、伝えたかった言葉、行きたかった場所、贈りたかった物、生前は思いつきもしなかった事柄が無数と生まれ、もう叶わないという事実に涙した。

祖母は僕に本当に大切なことをたくさん教えてくれた。

だから最後に伝えられなかった言葉を言わせて下さい。

僕のことをいつも気遣い、愛してくれてありがとう。いつも1番に考えてくれてありがとう。いつも美味しいご飯を作ってくれてありがとう。いつも僕のために本気で喜び、本気で悲しんでくれてありがとう。あなたと過ごした時間は本当に幸せで、かけがえのない時間でした。僕の人生をたくさんの彩りを与えてくれました。大好きなおばあちゃん、どうか安らかに眠って下さい。ずっと体に気をつけます。あなたが安心できるように幸せな人生を生き抜きます。

ありがとう、大好きなおばあちゃん。さよならのかわりに。

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