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【災害時のラジオの重要性にせまる】第12回情報リテラシー論

僕はデザインを学ぶ大学に通っている大学生です。今週も、通っている大学で受けている「情報リテラシー」という授業で学んだことを自分の言葉で皆さんにシェアしていきたいと思います。

今回の授業のテーマは、『ラジオと音声技術の未来性』でした。その中でも防災ラジオの話題が自分はとても気になりました。今回の授業の軸になるテーマではないかもしれませんが、いろいろ調べていく中でぜひこの話題について書きたいと思ったので書かせていただくことにしました。

以前書いた第9回の授業のレポートで僕は、3.11のあの日、テレビの歴史を大きく変えた、困っている誰かのために懸命に行動した人々の行動を紹介しました。もし気になる方がいらっしゃれば、下にリンクを貼っておくので読んで見ていただけたら嬉しいです。

それ以来というか、今年、あらためて僕は東日本大震災を始め、地震や自然災害の怖さと、被災された方々の簡単には消えない悲しみや苦しみと、災害への対策の重要性を強く感じました。東日本大震災から今年で10年が経ったというのも関係しているのかもしれません。

また、先月まで放送されていた朝ドラ「おかえりモネ」を僕は最後まで見届けたのですが、そのストーリーは震災にも深くかかわるもので、たびたび考えたり、思うことがありました。こちらのドラマおすすめですので、授業とは関係がありませんが、気になる方はぜひご覧ください。

今回のブログでは、3.11のあの日、地震の中、ラジオを通して必死にリスナーに震災の情報を伝え続けたある1人のアナウンサーと、そこから防災ラジオの重要性について書いていけたらと思います。

1.東日本大震災発生時、ラジオで情報を発信し続けた1人のアナウンサー

2011年3月11日、午後2時46分、ニッポン放送では『上柳昌彦・山瀬まみ ごごばん!フライデースペシャル』の生放送が行われていました。そんな中起きてしまった東日本大震災。番組に出演していたアナウンサーの上柳昌彦さんは、地震が起きている中、放送を続け、ラジオを聞いている方々に呼びかけを行ったり、地震の情報を伝え続けました。

↓下の動画の音声は、地震発生時の実際のラジオの記録です。

この時のことについて上柳さんはインタビューでこのように答えています。

ー上柳さんは東日本大震災発生時にまさにラジオの生放送中でした。その時はどのような状況でしたか?

揺れが発生した時、いちばん最初に思い浮かべたのはリスナーの方々の家のことでした。僕自身は、一緒に番組をやっていた山瀬まみさんがとにかく口をギュッと結んで恐怖を我慢されている姿を見て、「俺も頑張らなきゃいけない」と、声が上ずってくるのを抑えて喋っていました。

ーリスナーの方々の家が思い浮かんだ、それはなぜでしょうか。

ニッポン放送に入社してから、生放送でいきなりリスナーの家を訪ねたり、企画でプレゼントを持って行ったりしていたのですが、多くの家が「家具もモノもいっぱいあるな」っていうイメージだったんです。それが倒れてきたら絶対に怪我をしてしまうし、怪我をしてしまったら揺れの後どうなるかわからない。そう思ったと同時に、とにかく怪我だけしなければ、あとはなんとか凌げるんじゃないかと。だから、とにかく身を守ってくれっていうことを繰り返し伝えていました。

ーニッポン放送のある有楽町も震度5強でした。激しい揺れの中でも上柳さんは冷静さを失わず、リスナーへ語りかけていました。

僕がニッポン放送に入社したのが1981年、当時から東海地震が起こるかもしれないと言われていたので、地震に対しての研修をかなり受けていたんです。スタジオの壁には「地震のときにはこういうことを読みましょう」というボードも貼ってありますし、生放送中に僕の口から出た言葉は、以前から体に入っていたことでした。あとは、カーラジオで番組を聴いている方も多かったので、僕がワーッと取り乱したらびっくりして急ブレーキを踏んでしまうかもしれない。追突事故の恐れもあるので「状況を見ながらハザードランプをつけてスピード落としてください」ということも何度も言いました。 https://radionoshogen.com/interview/「普段から馴染みの声を見つけてほしい」%E3%80%82生放

↓別のインタビューではこのように答えています。

-生放送中に東日本大震災が発生、有楽町のスタジオは震度5強でした

上柳:今まで、おそらく生放送中に震度4くらいが最高で、まあ・・・とうとうきたなと。最初は直下型なんだろなと思いましたね。当日の放送を聴きなおしてみると、結構早い段階から東北なんだという事がわかってきて、だけど津波の事は想像できなかったですね。

何をしゃべってたかというと、ほとんど無意識でしゃべってますね。あんなに言葉数が出ていたのには自分でもビックリしました。



ただ、震度5強(東京の揺れ)だから出来たのかなあというのもあります。あれが、6、7になっていた時に、もっと試されるのかなあと思いますね。簡単にね、もう「ラジオ聴いていたら大丈夫ですよ」とは軽々に言えませんよ。

東北放送で震度6強の中で放送した方にも伺ったんですけれども、椅子がどっかに飛んでいったり、マイクが飛んで行きそうになるのを両手で握り締めながら、足を踏ん張って、とにかく放送したと仰っていましたね。

(自分に)出来るかなっていう・・・でもやらなきゃな。という感じですね。

-かなり落ち着いて話していたように聴こえたのですが

上柳:ねえ。みんなそう言ってくれるんだけど、僕が聴くとすごく声がうわずってきているのが分かるんです。途中から。(隣にいた)山瀬まみさんがとにかく叫び声を上げないようにものすごいガマンしているんですよね。それが偉かったですね。あそこで彼女が「キャー」って言っちゃったら、何もかも崩れ去っていくわけで。彼女が口をこう・・・食いしばってガマンしている姿が印象的でしたね。

僕は自分の声がうわずってきているので、それをとにかく抑えるのに懸命だったんですけれども、その時人間の体の反応として、胃にストレスを感じるというんですかね。胃が締め付けられるような、ギューっと握られているような。あの痛みはすごかったですね。何をしゃべったのかとか、あの後なにをしたのかとか、地震から夕方6時までしゃべって、翌朝5時からしゃべっているんですけど、あんまり覚えていなくて。胃の痛みだけ、覚えているんです。https://lite.blogos.com/article/33418/

番組に一緒に出演されていた片瀬さんが、グッと叫ぶのをこらえていらっしゃったように、自分ももしこの現場にいたら、声をなんとか抑えることができたとしても、パニックになってしまって、誰かに注意を呼びかけるどころか、声すらも出せない気がします。そんな中、上柳さんは真っ先にリスナーさんのことを考え、聞いている人を混乱させぬよう、自分は終始落ち着いた姿勢で呼びかけを行うよう心がけ、震度5強という激しい揺れの中でも情報を伝え続けてらっしゃったということで、そこにプロ意識のようなものを感じましたし、この上柳さんの声で落ち着くことができた方、助けられた方、勇気づけられた方が多くいらっしゃるんだろうなと思いました。

2.その時ラジオを聴いていた方の声

先ほど紹介した当時のラジオを記録したYouTube動画のコメント欄に、当時のラジオを聴いていた方のコメントがあったのでいくつか抜粋して紹介します。やはり上柳さんのラジオに支えられた方は多くいたようです。

・これ運転中に聞いてたよ。この放送のお陰で落ち着いて行動できました。さすが上ちゃん。さすがニッポン放送。

・この放送聞いてた。。
電車に乗っていた時に突然列車が停止したため、
また、全く状況がわからなかったため、持っていたスマートフォンのradikoで受信開始、緊急事態だったため、周りの人にも聞こえるように最大ボリュームにして、停車した列車の中でずっと掛けてた。周りの人もこの放送にじっと耳を傾けて聴いていたのを今でも忘れない。
あの瞬間、この放送に助けられたようなもの。
今聴いても、あの時の恐怖が蘇ってきて涙が出てくる。

・停電になってしまい、ラジオでしか情報を得られなかったので、当時この放送はとても助かりました。あらためて聴いても「プロ魂」を感じます。

上柳さんもインタビューでこのように答えています。

ーリスナーのみなさんからは、震災時の放送に対してどんな反応がありましたか?

ずいぶんあとになってから『地震が発生した時、あなたの声でハッと我に返ることができた』というメールをいただいて、「こういう時、人間の声って大事だよね」と思いましたね。やっぱり、呆然としちゃうじゃないですか。僕だって呆然としちゃいますよ。あの時放送中じゃなかったら、ただうろたえていたと思います。でも、やっぱり「今身を守らないと後で大変だから、なんとか生き抜こうよ」と伝えたかったし、そういうメッセージって、人の声で語りかけるからこそ届くんじゃないかと思いますね。https://radionoshogen.com/interview/「普段から馴染みの声を見つけてほしい」%E3%80%82生放

「人の声で語りかけるからこそ届く」という言葉はとても印象に残りました。誰かの声でハッと我に帰れたり、現実に戻れたり、気付けることってありますよね。混乱していて、自分ではパニックで何も考えられない状況のなかで、誰かが声で、呼びかけを行ってくれたら安心できたり、落ち着くことができたりすると思います。ラジオの放送ならではの力だと感じました。

3.震災から10年経って上柳さんが思うこと

上柳さんはインタビューで、この放送後のお話や、震災から10年経っての今の気持ちもお話しされていました。自分自身読ませていただいて感じることがたくさんありましたので、皆さんにも紹介させていただきたいと思います。

ー震災後は東北への取材にも行かれています。印象に残っていることはありますか?

震災の3週間後にやっと仙台に行けたんです。ちょうどその日は、東北放送のお昼の番組が通常放送に戻った初日で、「いや、やっと普通の放送になったね。あんたの声がまた帰ってきて嬉しいよ」っていうメールがラジオで紹介されていました。でも、そのメールの最後が「私のお父ちゃんまだ行方不明なんだけどね」っていう内容で。ラジオにこういうメールをお出しになるんだ、と印象に残っています。適切な情報を伝えるという役目を超えた何かがラジオにはあるのかなと、そう感じましたよね。やっぱり馴染みの声が流れると、心がふっと和らぐ瞬間を持っていただけるのかなと。
 
ラジオが「防災のためだけのもの」じゃあ、寂しいじゃないですか。


ー東日本大震災から今年で10年。上柳さんはこの10年の間、何度も現地を訪ねてこられました。

現地に訪れて思うのは、やっぱり街がすごく綺麗になっているということですね。陸前高田の変わりようなんてもうすごくて、以前はどうだったっけって思うくらいです。でも、それをどう伝えるかは、すごく考えますよ。「復興して綺麗になってますね」ということを伝えるべきなのか、「いや、そうは言っても人が戻ってませんよね」っていう、そちらに重きを置くべきか。どっちなんだろうって、いつも悩みます。

ー今年の3月11日には特別番組『オールナイトニッポンGOLD~東日本大震災から10年を迎えて~』のパーソナリティを担当されましたが、その中でも悩みや迷いはありましたか?

特番では震災を経験された方に今思うこと、言いたいことを伺おうと思いました。例えば仙台に、周囲で一軒だけ流されず残ったお宅があって、今もそこをリフォームして住み続けている方がいるのですが、リフォームは一切援助が出てなくて、元々の住宅ローンを含めて自分たちで支払いを続けているんです。それから気仙沼で牡蠣養殖をやっている方がいて、その方は作業場もイカダも全部流されましたが、クラウドファンディングをやったりして、今は立派に再開されています。南相馬の避難できない高齢者のためにスーパーを開き続けていた方は、10年経ってやっぱり店を閉めるとおっしゃっていました。本当にそれぞれバラバラです。どこに視点を合わせるかで物語が全然違ってくるんです。答えがない中で、僕ができることは、主観である一面を切り取るのじゃなく、みなさんの言葉に耳を傾け、それを伝えることなんじゃないかと、そう思いました。

ー様々なメディアがあるなかで「災害とラジオ」というテーマで伝えたいことはありますか?

それぞれのパーソナリティが持っている雰囲気や、寄り添う感じっていうのはラジオならではだと思います。停電発生の可能性を考えると、スマートフォンは連絡のツールとしてバッテリーを温存しておいてほしいですし、テレビは停電になったら見ることができない。でも携帯ラジオなら単4電池1本で100時間保つものもありますから、ひとつ持っていてほしいですね。でも、やっぱりラジオって24時間、ものすごい数のパーソナリティがマイクに向かっていろんな思いを伝えているから、それが「防災のためだけのもの」じゃあ、寂しいじゃないですか。ぜひ馴染みの放送局、馴染みの番組、馴染みのパーソナリティを作っていただきたい。普段からラジオをつける習慣があれば、非常時に大変な時も、リスナーさんにとっていいメッセージを伝えられるんじゃないかと思います。https://radionoshogen.com/interview/「普段から馴染みの声を見つけてほしい」%E3%80%82生放

4.家に一台防災ラジオを用意しておこう

先ほどの上柳さんのインタビューに出てきましたが、家に一台ラジオを置いておくことを皆さんにお勧めします。単純に24時間通して放送されているバラエティ豊かなラジオ番組を楽しむためでもありますし、いざという時の防災対策としてもです。ラジオを防災のためのものとしてしまうのは、上柳さんもインタビューでおっしゃっていたようにもったいないですよね。

実はラジオの中にも、防災対策に優れた防災ラジオというものが存在します。
防災ラジオの特徴は以下の通りです。

・電源をオフにしているまたは通常放送を聞いている場合でも、緊急放送を受信すると、自動的に電源が入るか放送が切り替わり、最大音量または中音量で放送します。
・容易に持ち運びができ、避難しながらでも情報を聞くことができます。
・緊急放送受信時は、緊急LEDランプが点滅し、照明ランプが点灯するなどしますので、視覚でも確認することができます。
・ACアダプタまたは乾電池(単3電池)を電源としているため、停電時でも使用することができます。
・普段はFMラジオとして使用可能です。https://www.city.uonuma.niigata.jp/docs/2015080700052/

上の画像は授業のスライドですが、今、全国的にシェアを広げている防災ラジオは、この新潟県長岡市のワキヤ技研株式会社さんが日本キャステム(株)と共同開発しました。
全国瞬時警報システム「J-ALERT」や「緊急地震速報」にも対応する当社の緊急告知ラジオは、今現在、多くの自治体で採用されています。また、屋外の拡声器や学校、工場などに設置し、放送装置を自動起動させて大勢の方に告知できる「構内緊急告知受信装置」もあるそうです。
下にURLを記載しておくので気になった方は是非チェックしてみてください。

5.終わりに

僕は普段ラジオをあまり聴いていませんでしたが、今回のブログを書くにあたり様々な記事や、上柳さんのインタビューを読ませていただいて、ラジオを聴いてみたいなとポジティブな気持ちで思いました。音声だけというのもとてもいいですよね。何かをしながらでも聞くことができますし。僕も馴染みのパーソナリティを使ってみたいです笑。自分のいつも聴いている安心できる放送局や馴染みの番組があれば、もし震災が起きた時、その人たちの声を聴いて安心できたり落ち着くことができそうですよね。
また、自分も家に一つ防災ラジオを置いておきたいと思いました。インターネットや電気が使えない状況であったら、先ほども言いましたが、ラジオはやはり大切な情報源になると思います。みなさんにも家に一つ防災ラジオを置くことをオススメします。 

そして、震災以後、現地を訪ねていた上柳さんのお話を読ませていただいて、震災から、もう10年経ったと捉えるか、まだ10年と捉えるか、10年という月日は同じでも人によってその10年の捉え方は異なるのだろうなと感じました。東日本大震災によって被災された方々、直接の被害を受けなくとも影響を受けた方、悩みや問題を抱えた方、人の数だけそれぞれ抱えているものがあって、それでも、時間は流れますから、あの日から10年みなさん一歩ずつ歩まれてきたのだと思います。自分は東日本大震災の直接の大きな被害は受けていません。だから、震災の被害を直接受けた方々の抱えているものを全て理解したり解ることはできないと思います。けれど、このように当時のことを調べたり、震災に関わる記事を読んだり、お話を聞くことを通して、今の自分にできることを考えていきたいと思います。自分にも何かできることがあるはずです。その一つとして、今回、このブログで震災時のラジオの話や、防災ラジオの必要性などを紹介させていただきました。自然災害はいつどこで起こるか誰にもわかりません。明日起こるかもしれない。だからこそ気づいた時に対策や準備を心がけたいとあらためて思います。災害が起きないことが1番ですが、もしも次日本で震災が起こってしまった時、1人でも多くの人の命を救うために。

今回のブログはここまでになります。

最後になりますが、東日本大震災でお亡くなりになられた方々へご冥福をお祈りするとともに、被害に遭われたすべての皆さんへ心よりお見舞い申し上げます。東北地方の復興をこれからも願っています。

最後まで読んでいただきありがとうごさいました。

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