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我儘な愛と自堕落な香り#0

まえがき

自分をこよなく愛していてもあの子の香水の香りには誘惑されてしまうし、誰かを愛していても異性のの香りには落ちていってしまうものです。

男と女。それよりも人と人。

人を愛する方法を忘れてしまった2人が、異性の香りに負けて自堕落になっていってしまう。

つまり、愛はどこか我儘で、香りはいつでも私たちを自堕落へといざなっていくのです。

世界が不平等か不平等が世界か。


眠たくもないのに欠伸が出る。横には上司。バレないように頬を膨らますと、唇が乾燥しているのが分かった。もう冬が近づいてきている。今日も残業。というよりも転職したばかりの不動産会社は上司よりも早く、帰り辛いものだ。
『ゆきちゃんまだ残る?私上がるね』
右隣にいるのにLINEで私にそう連絡をしてきたのは真由美さん。結婚はしていないって聞いていたけど31歳になった誕生日の翌日から細くて骨張った左手の薬指にはシルバーのリングが私なんかよりも居心地が良さそうに光っている。
『私も今の資料印刷したらもう上がります!』
パソコンのLINEに打ち込む私の両手にはリングなんて一つもなくて、一昨日の慣れない料理のせいで絆創膏がひとつ纏わりついている。
職場のある横浜はエレベーターを降りた瞬間にお酒の香りが立ち込めていて、なんだか何年いても好きになれそうにない。今度は自分のスマホで彼氏に『終わったー疲れたー』とだけ打ち込んで、駅に足早に向かう。
電車の広告には脱毛サロンと旅割なる、旅行の広告だらけ。前職の脱毛サロンはこの広告戦争に負けて、人員削減となり、好きな人たちが次々とクビになっていった。学歴だけは自慢できる私は、何故か就職して2年足らずで店長になり、後輩付き合いが苦手なのが、全面に出てストレスを飼いこなせなくて3ヶ月前に辞めてしまった。
『前話したことなんだけどさ。やっぱり距離を置きたいかも。』電車の乗り換えで駅のホームに放り出された瞬間にその通知が目に飛び込んで、思わず「は?」と声に出てしまった。よくよく考えると彼氏から5文字以上の連絡が来たのはこれが2ヶ月ぶりだった。

似て非なるもの

久しぶりに終電より前に帰れた。アパレル店員は給料が上がらないくせに、勤続年数が伸びるほど仕事の量は果てしなく増えていく。お客さんが帰ってから新作のVMDと商品の発注。さらにはSNSの投稿。来年には30を迎える身体には割と酷な生活である。老け顔と言われ続けたが、25を超えた頃からは年相応になり、初めて同世代の人と付き合う機会にも恵まれた。半同棲をしている彼女に『仕事今日は早く終わりました。何か買って帰るものありますか。』と仕事よりも丁寧に文章を送る。すぐさま『どのくらいでつく?ご飯食べてきて。』とそっけない返事がスマホを光らせる。朝のアラーム音よりもうるさい電子音と、電車に駆け込んで、服と服が擦れ合う様に乗る人を目の前でみて、一本遅らそうと決めた。早く帰る理由ももう無いのかもしれないから。
駅のホームで立ち食いそばの食券機と自分の小銭入れを交互に見て、右のポッケに小銭入れをしまった。どうせなら一杯呑んで帰ろう。
「お一人ですか?」「はい。後から1人くるかもしれません。」「承知しましたーご案内します!」アジフライがメニューにある事を確認して、適当な居酒屋に入る。後から1人くるかもしれません。これは魔法の言葉で、カウンターではなくてテーブルに座れる。と酒をよく飲む元彼女が言っていた。隣は3人の愚痴を言い合うであろう女子会。後ろは2人組のスーツを着た誰がどうみても上司と部下。すかさず『呑んで帰るね。もしかしたらマサの家に泊まるかも。』と部下の名前をダシにして、まず生ビールを頼んでみた。

冷え切った自動販売機



『前話したことなんだけどさ。やっぱり距離を置きたいかも。』
彼からの久しぶりの5文字以上の連絡は私にとってはあまりに残酷だった。
そしてまたこの悲しさも怒りも誰一人知らないであろう、満員電車に飲み込まれていく私を、幽体離脱した上で、駅の反対のホームから客観視して、思わず自動販売機によりかかってしまった。
『まもなく扉が閉まります。』
のアナウンスと共に大勢の命を運ぶ鉄の箱が徐々に徐々にスピードを上げて、ガタンゴトン。と乗る人全員の鼓動の合唱音も連れていきながら闇の中へと薄れていった。友人からタイミングよく、『ご飯食べた?』と5文字の連絡が来た。『食べれない』なんて面倒な返信にも友人のカオリは優しく、もう1人サユミという友達を呼んで緊急女子会が開かれた。
そういえば自動販売機にはもう10月の寒い日だったのに、あったかい飲み物が1つもなかったことに後になって気がついた。


カウンターにアジフライと画面のレモン



生ビールが届いて、1人で乾杯と呟く。アジフライは身が膨れていて、当たり。とこれまた心で呟く。学生時代からたまにするこの1人飲みはいつもなんともいえない幸福感を覚える。それにしても彼女はなぜご飯を食べてきて欲しかったのだろうか。友人にこの小さな愚痴をLINEで送信する。
『お連れ様どのくらいで来られますか?』シンデレラタイムの終了が、わずか20分で訪れてしまった。「これなくなったみたいで、、」全てを察した顔で店員は混んできたらカウンターに移ってもらう旨を私に伝えて笑顔でまたカウンターの向こうへと戻って行った。
先ほどの愚痴を連絡した友達からめっちゃ普通にラブラブじゃん。と豚汁と唐揚げとご飯の3点セットのストーリーをスクリーンショットした写真が送られてくる。
我が家な事は間違えなくて、俺はアジフライを食べている事もゆるがなかった。ただそこには俺の箸と俺のお椀、俺以外の腕時計が映り込んでいた。アジフライの小骨が口に刺さって、店内は混み始てカウンターに席を移って、ようやく現実だと気がついた。その写真の唐揚げには2年ほど食卓を共にして、一度もついてきた事のないレモンが添えてあった。

視力Aのコンタクトケース

食べれない。
なんて言葉が嘘のように、お酒も食事も喉に通っていく。 大学時代の友人の2人にひたすらに5文字以下連絡男の話をする。忘れられていた記念日や彼の部屋にコンタクトケースがあった事。彼は目が良いのだけが取り柄なのに。
「ゆきさ〜、やっぱり年下あってないんじゃない?」「確かに、結婚願望も強いと年下はプレッシャー感じるって言うよ〜」友人2人は何故か私にも悪いところがあるように話を進める。
今日は黙ってあの自動販売機のように冷たくても良いから寄りかからせて欲しかっただけなのに。
お手洗いと煙草に2人が消えたのを良いことに5,000円だけ机に置いて、店を出てみた。
ごめんね。と一応LINEはしておいた。
終電まではあと1時間半くらい。10月の夜風は想像よりも暖かかった。

レモンな月と蕎麦15杯

アジフライはもう背骨と尻尾しか残っていない。
カウンターはやけに店員との距離が近いくせに、話はしない独特の雰囲気があった。
お会計で、と小声で言うとすぐに、
帰れ と言うかのように、伝票が出てきた。
駅のホームの蕎麦とくらべたら高くついたな。
15杯は食えるぞ、アジフライは高いのに、あの唐揚げはただなのか。しかもレモン付き。
一応家にいるはずの彼女に『帰ろうか迷ってる』とだけ送ってみた。居酒屋の伝票に負けずとも劣らない速度で『せっかくならマサくんち泊まってきたら?』と返事があった。
終電まで2時間近く。後輩のマサはまだ働いてるのだろう。仕方なくやけに生温い夜風の中、もう一軒飲んで、修羅場へ帰ることを決意した。
ため息と共に見上げた、空に浮かぶ黄色く光る月があの写真のレモンにしか見えなくて、道路の白線を睨みながら、次の店を探すしかなかった。

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