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ただ特別になりたかっただけなのだ…


私は小さい頃から自分の誕生日があまり好きではない。

友達が嬉しそうに話す「誕生日に好きなものを買ってもらえる」という概念が我が家には無かったこと、

自分の誕生日に『父の日』を祝ったりする機会が多かったことが「嫌い」に拍車をかけた気がする。


6月18日、私はまた歳を重ねました。

「歳を重ねる回数が増えると誕生日が嫌になってくる」って話も聞くけれど、私はそんなの昔からだし、自分の歳にも人の歳にも興味はない。

年齢という数字だけで人の尺度なんて測れないし、その数字を貼って見える景色なんて如何様かと思うわけで。

でも世の中そんな考え方をしてはくれないから、年齢という数字の壁は鉄壁なのだと痛感する。



本当はここで筆を納めようかと思ったけれど、前述での内容を掘り下げてみようと思う。

子供の頃のお祝いといえば誕生日やクリスマスが名をあげる。

子供の世界にだって流行りは存在するわけで、友達が「⚫︎⚫︎買ってもらった」「私も〜♪」なんて言い合う中で、頼んだものとは違うプレゼントをもらっては、親の前で喜んで見せたり、友達に「侑兎ちゃんは⚫︎⚫︎頼まなかったの?」と訊かれても「私も頼めば良かったなぁ」と強がって見せてた。

大人になってお金の大切さや、働いて稼ぐ苦労を知った。だけど、それでも子供の時の特別な1日を「忘れたい思い出」として残してほしくは無かった。親が勝手に選んだ嬉しくも無いプレゼントを無理に喜ぶ日にしてほしく無かった。


私の誕生日は日にち的に『父の日』と被りやすいわけで、幼稚園や小学生の頃はよく、「今週の日曜日は父の日です。お父さんに日頃の感謝を伝えましょう」なんて文言と共にプレゼント作りをさせられた。

日にちが被らなければ少しはモヤモヤが晴れるのだが、かぶった時にはその作ったプレゼントや手紙を父親に渡す時にどうしても「なぜ自分の誕生日に感謝を述べなければならないのか」。そして「ケーキがなぜ自分1人のものでは無いのか」。「6月18日は父の日です」と言われるたびに「私も誕生日なのに…!」と自分の存在を無かったものにされた気持ちになっていたのを今でも忘れない。


その中でも1番忘れられないのが、小5の時の林間学校での父の日のプレゼント作りだ。

親元を離れ、子供としてはちょっと特別な冒険をしたそんな気分。私にとっては“特別”だった中で言われた、「お父さんに父の日(6月18日)のプレゼントを作りましょう」だった。

泣きながら私はプレゼントを作っていた。目頭が熱くなって机にぽたぽたと涙が落ちて、誰にも見られないよう必死だった。

子供の私にとって“特別な日”くらいはわがままを言ってもいいと、我慢しなくてもいいと、人の顔色を伺わなくてもいいと、本心を曝け出してもいいと、、

そんな願いをずっと抱いていたのだと思う。



毎年くる6月18日。私はそんな思い出たちを思い出しては胸が苦しくなるんだ。


だから誕生日は好きでは無い。

多分この先もきっと好きにはなれないだろう…。





星神侑兎

HSP気質な私に少しだけ救いの手を…。サーポートにより私に生きてる意味を頂けましたら幸いです。