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織姫の祈り

織姫の祈り
ロクエヒロアキ

むかしむかしあるところに、織姫と彦星という若者がいた。ふたりは毎夜のようにメールを交わし合う仲だったが、あるとき織姫は、昨晩も彦星と遅くまでメールをしていたせいで仕事中居眠りをしてしまい、たまたまとおりかかった天帝にそれを見とがめられてしまう。事情を知った天帝は、激しい怒りに駆られ、織姫からiPhoneをとりあげると、織姫と彦星の間に天の川と呼ばれる広くて深い海をつくってしまった。そうして、1年に1度しか海の両岸を結ぶ橋は架けないことにした。天帝はお召し物にうるさく、織姫の仕事は機織りだったからである。

ふたりが離れ離れになって翌年の七夕、彦星は織姫に言った。
――織姫よ、カナヅチで星の海を渡ることのできないわたしのことをどうか許しておくれ。

――いえ、いえ、あなた。それはどうぞお気にせず。

ふたりは久しぶりの再会を寿ぐと、夜通し語り合った。翌日、橋の消える寸前に、織姫は橋を渡り家へと帰った。
ふたりが離れ離れになってよく翌年の七夕、彦星は織姫に言った。
――織姫よ、わたしは毎日毎日そなたに会いたくてたまらない。そなたは泳げないのかい? 泳げるのなら、どうぞわたしの元へと泳いできておくれ。

――いえ、いえ、あなた。それは言わないお約束。天帝様のお怒りに触れてしまいますわ。

彦星は少しだけむっとした。織姫が自分より天帝のことを大切に思っているように考えられたからである。けれども、彦星はそれを口や顔には出さなかった。その年は。ふたりは真夜中過ぎまで語り合い、橋の消える前には織姫は向こう岸へと帰った。

ふたりが離れ離れになったその翌々年。彦星はとうとうしびれをきらした。

――織姫よ、そなたはわたしのことなど心の底ではどうでもよいのだな。そなたが海を渡ってこないのが何よりの証拠。わたしのことなどどうでもよいのなら、どうぞ別れを告げるがよい。

彦星がそう皮肉な口調で言うと、織姫ははっとしたように目を瞠り、そうしてその目からは涙がぽろぽろとこぼれた。

――あなた。わたしたちがなぜ離れ離れにさせられてしまったのか、忘れてしまったのですか。あなたを思うわたしが仕事をおろそかにしてしまったため。そうして、わたしは今も、おなじあやまちに身をゆだねないか、とうてい自信がないのです。

彦星はとっさに謝罪のことばを述べ連ねようと口を開きかけた。けれども、織姫は首を横に振ってそれを制すると、涙を浮かべたまま笑いながら言った。

――あなた、もしわたしが心の底から納得のゆく布をおりあげることができたのなら、そのときこそわたしの心はあなたに対してまっすぐになるよう思えるのです。あなた、どうかそれまでお待ちいただけませんか。その日が来たなら、わたしは橋が出ていなくても、海を泳いで、星に濡れた肌のままあなたに会いにゆきます。

彦星はとっさに手を伸ばすと織姫を抱き寄せた。織姫の体は、星に濡れたつめたさこそなかったものの、わずかに震えていた。そうして、彦星は織姫の耳元に口を寄せると、待っている、とささやいた。


*お題「七夕」

*本記事はロクエヒロアキさんの展覧会「KAIKO+KAIKO」に際して行ったお題イベント内で書き上げた小説です。

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