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自分だけの地図のようなもので

高校一年生の夏休み。

家の大きな廊下の突き当たりに座椅子を置いて、
麦茶とおやつをのせたお盆を床に置き、
「あ」から五十音順に並べられた百科事典を
ペラペラとめくっていた。

目を閉じて「はいっ」と開き、
ページを指でなぞって「ここ!」と止める。
そこに書かれた言葉を読む。
そういう遊びをしていた。

暇だった。

知らない単語や名前を知ることがおもしろくて
蝉がうるさく鳴きわめくのも気にせず
ページをめくることに没頭していた。

ある知らない名前の説明を読んでいると、
その中にさらに知らない言葉が出てくることに気づいた。
気づいた、というか気になって前に読み進められなくなった。

だから、その知らない言葉の説明の中の
知らない言葉を探しに、また百科事典をめくった。
百科事典になければ、別の辞書をめくった。

すると、またその知らない言葉の説明の中にも
知らない世界があることがわかった。

跳ぶ。

知らない世界が目の前にまだまだ広がっている。
世界と世界の間を跳ぶような感覚。

跳んだ先は脈絡はない。
歴史、社会、美術、文学、哲学、農業、医学、、、
わたしが「知らない」あるいは「知りたい」と思った言葉に
行き当たっているだけ。

それをわたしは、「つながっている」と錯覚した。
自分だけのカルチャーが集まっているような
感覚に陥った。

自分だけの気づきで、置かれていった跳び石が、
わたしだけの地図を描いている。

もう一度、今、それを新しい形で
書きとめてみたいと思う。
つながり続けられるかどうかは、
わからないけれど。



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