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さよなら東京、さよなら歌舞伎町

 人間の持つ肉々しい欲望を、東京風のパッケージで包んだ姿が、新宿歌舞伎町だと思う。いかがわしい香りがプンプンと漏れ出しているが、パッケージを開けなければ何も起こらない。

 もう二十年も前のことだ。

 生まれも育ちも高田馬場という女性が恋人だった。デートからの帰りは、いつもわざと新宿駅で電車を降りて、彼女の家まで二人で散歩した。その際、夜の歌舞伎町のど真ん中をよく通り抜けた。

 田舎者の僕は、歌舞伎町が醸し出す独特の威圧感に、当初はビクビクしていた。ヤクザやヤクの売人が至るところで蠢いている、という勝手にイメージしていたこともあり、カップルでイチャイチャしていたら、怖いオニーサンに絡まれないだろうか、といらぬ心配をしていた。一方、彼女の方は、子供の頃から知っている場所だから、と意に介していなかった。

 歩いているだけなら、何もないよ。

 まったくその通りだった。

 その内に慣れてしまえば、ただの歓楽街だった。町の喧騒をBGMにして、帰り道を彼女とのたわいのないお喋りに費やした。それが楽しかった。

 もう二十年の前のことだ。

 僕の友人に、歌舞伎町を擬人化したかのような男性がいた。歌舞伎町で遊んだ翌日はすこぶる機嫌が良かったのをよく覚えている。酒と風俗とオンナにまつわる、ここでは記せないような際どいエピソードをたくさん話してくれた。

 僕はいつも笑って聞いていた。常識や規範に嵌らない彼の破天荒ぶりは、単純に面白かった。しかし、彼が嘘をついているわけではないのに、どこか現実感に乏しかった。まるで異世界ファンタジーを聞かされているような気分になることもあった。

 結局、僕は歌舞伎町に対して傍観者だった。

 パッケージを一度も開けようとしない臆病者だった。そのくせ、パッケージから漏れ出すいかがわしい香りを嗅いだだけで、歌舞伎町を知った気になっていた。そういう態度を貫いていれば、確かに身に危険は及ばない。しかしそれで良かったのだろうか。それで何か得られたのだろうか。何か大事なものを取り損ねていないだろうか。

 今年、僕は二十年以上暮らしてきた東京を去る。もう二度と歌舞伎町に来ることはないかもしれない。そのことに対し、一粒の寂しさすら感じない。

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