あのころの私に届いてほしい
中学生の頃私は、親と喧嘩をするたびに家でしゃくりあげて泣いていた。今思えばたいへんささいなことだったように思う。それでも、反論しているうちにどんどん涙がこぼれ、ぎゃーすか泣きわめくというめんどくさい思春期。
あるとき母が当時の私に言った言葉は、忘れられず今でも私の心に残っている。
「あなたは、感受性が強すぎて生きづらい」
母の言葉は、本当に的確だったと思う。同級生に嗤われやしないかとおびえ、悪口に傷つき、たくさんたくさん泣いてばかりいた十代だった。
三十を半ばにした今でも、自分は強いほうか繊細かと言われれば、どちらかといえば繊細なほうだと言えるかもしれない。
自分で「わたし繊細なんですぅー!」という自己申告をするのが痛いのは承知の上だが、車の運転は苦手だからほとんど乗れないし、フルタイム週五以上の働き方をすると熱を出す。話すのが下手で、集団の会話の中ではいつも透明人間みたいな扱いを受けやすいし、いまでも人がどう自分を思っているか、考え過ぎてしんどくなったりする。海外旅行も、人に連れて行かれるのでなくては、一人ではとても行けない。
それでも、曲りなりに大学を卒業し、社会人生活も、一度二十代で大コケして四年ほどニート生活を送ったものの、なんとか今も、また引越し先で仕事を見つけて、あっぷあっぷながらも、働けている。
子どもの頃からずっと書きたかった小説も、少しずつ書けるようになってきた。
もがきながらも、それなりになんとかなってきた人生だ。
でも、今でも私は思うことがある。
社会に出る前、思っていた強い気持ちのこと。
「ずっと安全な繭の中で、眠り続けていたい」
「安心する箱庭の中で、大人にならないまま遊んでいたい」
社会に出るのは、すごく怖かった。ハタラクオトナになんてなれっこないと思っていた。十代のうちから働く子どももいる世界の中で、私はひどく幼かったのだろうとは思うけど、それでもあの「安全なお布団の中から一歩も出たくない」気持ちを、いまでもたまに思い出す。
跳び箱をとぶときは無我夢中だから、あとから振り返って「どうして飛べたのかな、自分に」と、社会人になれた自分を不思議に思う。それくらい、あのときの弱すぎた自分の地続きに、今の自分がいることが、謎だ。
「それなりに働いている大人」になれた自分を、褒めればいいのか、認めればいいのか、よくわからないけれども「生きづらさ」「繊細さ」を抱えていても「そのうちなんとかなっていくだろう」と信じる楽観さが、実は大事なのかもしれない。
働くこと=正しい、とだけ思っているわけではない。
だけど、本当の自己肯定感や自信は、家にこもって自分をなぐさめている日々の中では、私にはつかなかった。
自分でやった仕事が、人に認められたり、自分で目標としていた壁を、自分で超えられたりして、初めて身に着いたもの。
『未来のあなたは、それなりに楽しくやってるから、勇気を出して、あなたを守ってくれてる繭を破って外に出てみようよ』
——ということを、思春期の弱っちかった私と、病気療養で腐ってた頃の二十代半ばの私に伝えたくて、書いてみました。
だれかの胸にも届けば、嬉しいな。
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