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【短編】家族の情景

照明がふっと落とされ、レストランの中はうす暗くなった。それぞれのテーブル席についていた客たちは瞬間にざわついたが、厨房のほうから、火のともったキャンドルつきのバースデーケーキをウェイターが運んでくるのを確認し、あちこちから安堵と納得の笑い声が起きた。ウェイターは、私たち家族が座っているテーブルまで、しずしずとケーキを運んでくると、緋色のクロスの上にそっと置いて、

「都築寛人くん、6歳のお誕生日おめでとうございます!」

と叫んで、拍手をはじめた。しぜんと、まわりの客席からも温かい拍手があふれた。私は、自らレストランに依頼した息子へのバースデーサプライズとはいえ、まわりのお客さんたちまで巻き込んでしまったことに、ただ恐縮し、一緒になって拍手をしながら、恥ずかしさにただ小さくなっていた。

夫の直彦も、同じような気持ちだったようで、周りで拍手をしてくれている他テーブルの客たちのあちらこちらに目をやり、お辞儀ばかりしている。

当の主役の寛人はといえば、目を輝かせてケーキの上で踊る火を見つめ、満足気な表情を浮かべていた。

「さあ、寛人、火を消して。ふーっと吹くのよ。強くね」

寛人は周りの注目の中、思い切り頬をふくらませ、唾まで飛ぶような勢いで、キャンドルの火を一気に消した。再度、拍手が大きくなった。ウェイターが、「本日は都築さんご一家のサプライズプレゼントに皆さまおつきあいいただき、ありがとうございました! 引き続き、お食事を楽しみください」

と言ったのを聞き、とりあえず私の緊張の糸は解けた。

照明がまたたきながらもとの明るさに戻り、私はやっと落ち着いて運ばれてきたケーキを見つめた。小さな丸い4号のケーキは、ココア色のチョコレートクリームで覆われて、ふちにぐるりといちごが並んでいる。真ん中に星型のホワイトチョコのプレートが載っていて、そこにはハッピーバースデーという丸文字が書いてあった。

「ねえママ、パパ、食べたい。食べていい?」

寛人が待ちきれないように叫ぶ。生クリームよりもチョコレートクリームのほうが寛人は好きだから、選んだケーキだった。このデザートの前にも、お洒落な前菜や、野菜のスープ、メインのチキンのグリルなどいろいろなものがすでに運ばれてきていたが、偏食の寛人はそれらにほとんど口をつけず、デザートの時間になるのを待っていたようだった。寛人が残した分は、私と直彦が分け合って食べた。

寛人は、取り分けてやったケーキを、フォークでぐちゃぐちゃにしながら食べ始め、いちごをかじっている。口元はあっという間にクリームで汚れてべたべただ。幼稚園でも、こういう食べ方をしているのかな、とつい気になってしまう。来年は小学生で、給食も始まるのだから、あまりに無作法な食べ方をするようでは、心配だと思う。

そんな私の胸中を察したのか、直彦が、

「香子」

と私の名を呼んだ。「なに?」と訊くと、

「なんだか疲れてるみたいだよ。寛人のサプライズを仕事の合間に予約してくれたりとか、ありがとう。もう今日はこれ食べ終わったら、早めに帰ろう」

と言ってくれた。たしかに、私も直彦も明日も仕事が待っていて、寛人だって幼稚園に行かないといけない。無理に平日のど真ん中の水曜日にレストランを予約しなくても、週末みんな余裕があるときに、サプライズなりなんなりすればよかったんじゃないか、そう思って自分の融通の利かなさが嫌になる。

「ありがとう。そうする。家に帰ってみんな寝なくちゃね」

ナプキンで寛人の口の周りをぬぐいながら私は答え、パンプスの中に押し込めた足指の先が痛むことから意識をそらした。普段よりもいいレストランに行くから、スーツも普段しまってある良いものを、靴もおろしたてで、そんなことばかり、周りからどう見られるかばかり、私は気にしてばかりいる。隣の席の、カジュアルな格好で食事を楽しんでいる女性連れを見て、ああいう恰好でも良かったんだなと思う。

これから寛人は眠くなる時間で、家に連れ帰るのも困難かもしれない。歩きやすいぺたんこ靴で来ればよかった、そう思って、私は小さくため息をついた。


寛人は結局直彦の運転する車の後部座席で私に寄り掛かって眠ってしまい、私たちの自宅があるマンションの三階まで、直彦が抱きかかえて運んでくれた。子ども用ベッドに寝かせて、毛布と掛け布団をかけると、ようやく人心地が着いた。すやすや眠る寝顔を見つめながら、直彦に向かってつぶやく。

「6歳って、まだまだ子供みたいに見えるけど、ちょっとずつ、親の気づかないところで成長しているのかな」

冷蔵庫から缶ビールを取り出した直彦が、笑って言う。

「そうだね、俺も香子も一日仕事してるから、本人の成長を一番よく見ているのは、幼稚園の先生かもしれないなあ」

「いつもね、お迎えに行くと、寛人くん、今日はこういうことができるようになりました、って先生が教えてくれるの。本当に、頭が下がるよ。そして何も気づかない自分が、母親としてだめな気がしてしまう」

「そんなことないよ。香子は家庭のために、働きつづけることを選んだんだろ? 僕と相談して、二人で納得して決めたことだし。僕は香子をだめだなんて思ってないから。寛人だって、わかってるさ」

私はカーペットの床にちらばっていた電車の絵本をもとの棚に戻し、家を出る前にかけておいた洗濯機が止まっているのを確認して、中から衣類を取り出し、サンルームで干し始める。

めまぐるしい毎日の中、自分をジャッジばかりしていたら、疲れ果ててしまう。それはわかっているんだけど、私はときどき「良い母であること」に強くしばられすぎかもしれないと思う。

テストで正解ばかり書いてきた、受験でも就職でも、努力を重ねてなんとか希望していた場所へ滑り込むことができた、でも、子育てにも正解ってあるんだろうか。

家族のために、働いてお金を貯めることを決めたけど、あわただしい毎日の中、もっと寛人と一緒にいてあげたほうがいいんじゃないか。まだ小さいんだから。気持ちはぐるぐる迷い道に入り込み、自信が削られていく。

そのとき、眠っていた寛人が寝がえりをうち、

「ママぁ」

と、寝言を言った。直彦が、

「寝言のときは、いっつもママなんだよな。たまには、パパって言ってくれてもいいのに、無意識で求めてるってことかな」

と、苦笑いする。少し気持ちがゆるみ、寛人がぬぎかけていた布団を、もういちどかけなおしてあげた。

「さ、俺たちも寝よう。明日も、朝早いから」

「うん、あ、そうだ、お弁当の準備だけして、寝る。さき寝てて」

なんとか気持ちを切り替えられるるのは、やっぱり家族がいるからだ。

将来のためにお金を貯めなさい。子どもが小さいうちはかまってあげなさい。働いて家事して育児して、がんばりなさい。

「みんな」という名の世間は、簡単に、なんでも放言する。ぜんぶ正しそうに聞こえるから、やっかいだ。

育児して働いてなかったら駄目なのか。働いて育児がおろそかになったら駄目なのか。みんなも私も、完璧が好きだけど、完璧にやれたらそりゃあいいけど、簡単にそうはいかない。

自分だけのものさしを持ちたいと思う。他人から差し出されたものさしで、自分が大事にしていることを、はかりたくない。

「寛人、お誕生日おめでとう」

 眠っている横顔に、話しかけてみる。

「寛人が完璧じゃなくても、ママはいつでも受け止めてあげるよ。だから、寛人も、完璧じゃないママでも、ゆるしてね」

「パパも完璧じゃなくても、許してちょ」

直彦が笑いながらまぜっかえす。私は寛人のほわほわと柔らかい毛をなぜて、お弁当の準備をしに、冷蔵庫の中身を確認しにいった。

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