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あなたの何気ない言葉が誰かを追い詰めているかもしれない

総じて人は、みずからが受けた被害には敏感でも、ある出来事が起きたときに自分を加害者だと認めるのは、難しいのだろうと思う。

そういうことを、一連のMe tooから始まった事案を見ていて感じた。

男性から女性へのセクシャルハラスメントの歴史は、たぶんひどく長く続いてきたはずだ。日本は女性政治家の数も少ないし、女性の社会的地位も、多くの国に比べて、低いほうだと聞く。

世界中の女性が、それぞれの社会の中の男性優位的な価値観の中で、これまでいろいろなセクハラ被害に遭っていたことは事実に違いない。

いまはいろいろな「ハラスメント」という言葉が社会に周知されるようになった。セクハラのほかに、パワハラ、マタハラなどの言葉ができ、多くの人が使うようになった。

ただ、セクハラにしろパワハラにしろ、多くの場合、受けた側が「それセクハラ」「それパワハラ」と明るみに出されて示されて、はじめて自分が「加害したのかもしれない」と遅まきながら気づくというパターンが多いのではないか。いじめだってそうだろう。加害者本人には「ハラスメント」の意識が、指摘されつるし上げられるまで、ないのだ。

「セクハラ」「パワハラ」という言葉の語感は強く、言われた瞬間に「私被害者」「あなた加害者」のレッテルを、告発した側が貼ることになる。

以前、友人男性と以前話をしていたとき、彼が「痴漢冤罪」がひどくこわい、と言っていたことを覚えている。誤解だったとしても、もし「セクハラ」「痴漢」と訴えられたら、社会的地位も何もかも失うからだそうだ。彼はそういうことをする人ではないのはよく知っているが、私自身、東京で電車に乗っていたときに、腕と腕が電車の振動で偶然触れあった男の人から「僕に寄りかからないでくださいねっ! もしあなたが僕を警察に突き出したら、僕が酷い目に遭うんですからねっ!」と鬼のような形相で怒鳴られたことがあった。

私自身、友人の話を聞いたり、電車内での経験をするまでは、男の人がそれほどまでに「セクハラしたと思われて受ける社会的制裁」について、怯えているとは知らなかった。

かといって、Me too問題をささいなことと片づける気にはならないし(むしろおおごとだと思っているし)男性の肩だけ持つつもりなんてさらさらない。

ただ、思うことは「みんな、もっと想像力を持とうよ」ということだろうか。「セクハラ」「パワハラ」という言葉の中に入っている感情は「私はあなたの言動によって、ひどく侮辱を受け、傷つきました」というキモチだ。

自分の言動によって、傷つく相手がいるかもしれない、自分は今日被害者でも、明日加害者になるかもしれない、と想像できる人間になることが、女であれ男であれ、上司であれ部下であれ、子どもであれ大人であれ、みんなが身につけなければいけない能力なのではないだろうか。

セクハラ・パワハラ・いじめなどの歴史は長く、私たちがそれらをこれからは社会の中でなくしていかないといけないのは本当のことだ。それがみんなに優しい社会だ。

目の前の相手に、人としての敬意を払って、接する。そう心がけられる人、相手に想像力を持てる人が、これからの社会に、どうか増えてほしいと思う。同時に自分自身も、そういった想像力を欠かさないよう心掛けたい。





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