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【掌編】夏らしくない

ホームからの階段を下りて改札を通ると、夜がとっぷりと帳を下ろしていた。空を見上げると楕円の月が光っている。ことしの夏も名残りだ。今日はコンタクトでなく眼鏡のせいか、月のかたちがうすぼやけている。髪を結いあげているため、お盆を過ぎて涼しくなった夜風があらわになったうなじを冷やしていく。アパートまでの帰り路、ひとつ先の外灯がちかり、ちかりと明滅を繰り返している。

住宅街を小走りに抜け、犬の吠え声と救急車のサイレンが鳴る音を遠くに聞きながら、たどりついた家の前で鞄から鍵を取り出す。あまり明かりはなくても、私の自宅が年季の入った古い昭和家屋だということは、生け垣や石塀の様子から伺える。がたつき軋む戸を、母から習ったコツ通りに開けると、三和土に靴を脱いで揃えた。靴の先が破れて汚れていることに気づき、買い替えか、と思うと気が滅入った。

古びた家の少し黴じみた匂いは住み始めてみると嫌いではないことに気づいたが、最初はどうも慣れなかった。小さな台所で、ちびた石鹸で手を洗いマスクを外してうがいをする。マスクの下の肌が荒れ気味なので、今夜は念入りに化粧水でうるおそう、と決める。私が使う化粧水はどこのドラッグストアにも必ず置いてある、大容量で安いものだ。遠慮なくたくさん使えるから、重宝している。

一人暮らしの食材を収めるのは、小型冷蔵庫でこと足りる。扉を開けると、昨日の日曜日に作りおいてあったピクルスがあったので、ほくほくと角皿に盛り付けた。駅ビル内のスーパーで買ってきたクリームコロッケとアジフライをレンチンして、次は冷蔵のごはんも同じく温める。紀州南高梅のはちみつ梅干しも出してきて、小皿に箸でつまみ入れた。

この家は涼しいが、それでも風の通る外よりは蒸す。扇風機とテレビを入れて、小さなちゃぶ台に皿や茶わんを並べて、座布団に腰を下ろした。感染症の深刻なニュースが続くのをぼんやりと見ながら、だらだらと食べた。誰かに電話でもかけて話したいが、誘う気力が残っていない。今夜も一人なんだろう。諦観とともにそう思うが、寂しいけれど社内での大勢での飲み会が減ったのは楽で自由だとも感じた。

呑むなら家で、そしてひとりで。そう思ってもらいものの500ミリリットルの清酒の小瓶を開ける。あっという間に季節は行き過ぎ、木枯らしが吹いてぬる燗や熱燗の季節になるだろう。でも、いまはまだ冷たいのがいい。終わりゆく二〇二一年の夏を惜しむように、口のなかで酒の香りを転がした。

誰とも会えないことの重たさと気楽さを、あらためて感じる昨今である。食べ終わって食器を洗ってしまったら、図書館で借りた離島で暮らす人の話を読もう。本でしか旅ができなくなったしんどさを感じながらも、人は本で旅に出られるんだと前向きな発見があったことを大切にしている。誰とも会わずろくに話さず終わった夏に、らしくないよと声をかけたかった。













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