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【小説】今夜は三人で【再掲載】

十時ごろ仕事から帰ると、妻と息子は、リビングの隣にある寝室でもう眠ってしまっていた。先日二歳の誕生日を迎えたばかりの息子は、なかなか手がかかるようで、この頃妻は寝かしつけに悪戦苦闘しながら、一緒に眠ってしまうことが増えた。

ダイニングテーブルの上に、ラップをかけられている夕食をレンジで温め直すと、僕は缶ビールを一本取りだした。肉野菜炒めに箸を伸ばしながら、空いたほうの片手で、スマートフォンをいじる。実家のおふくろが見たら「親にもなったのに、なんて行儀の悪い」と叱られるだろうが、息子も妻も見ていない今、誰も僕を注意するものはいなかった。

フェイスブックのアプリを開くと、メッセージが一件届いていることに気が付く。普段フェイスブックを使っていても、自分の投稿はほとんどせず、人の結婚式の写真やら、子どもの写真やらにいいねを押すばかりの僕としては、いったい誰からだ、とまずいぶかしむ気持ちがあった。

すぐに開くと、送り主の名前の「三井 匡樹」という文字が目に入った。なんか見覚えがあるような、と思って、文面を開いた僕は「おおっ」と思わず声を上げていた。

「西本 典仁さま 

こんにちは。三井 匡樹といいます。小学六年で転校してしまった同級生と名前が同じだったので、思わずメッセージしました。人違いだったらすみません。小学生のとき、石川県の町野小学校にいたことはありませんか」

とたんに脳裏によみがえったのは、小学六年生の夏休みの光景だった。僕は銀行員だった父の転勤で、各地の小学校を転々としていて、たしか小四から小六までは、石川県のド田舎の、小学校に通っていた。そのときよく遊んでいた友人の一人の「マサキ」――苗字までは覚えていなかったが、フェイスブックの彼のプロフィールをまじまじと見て、間違いない、と思った。

「マジかよ、あれから二十年も経って、つながるのかよ」

SNSってすげえ、と思わざるを得ないできごとだった。僕は今年三十四歳になる。匡樹もたぶん、同い年だ。

小学六年生の夏休み、僕らはプールで泳いだり、虫取りにいったり、縁側に並んでスイカにかぶりついたり、おおよそ小学生の夏休み、でやるべきことを残らずやっていたはずだ。だけど、卒業式のちょうど手前くらいで、父が今度は関東に転勤になり、僕は石川県を離れた。当時は、一度離れてしまったら、もう手紙くらいしか連絡手段がなかった。

小学六年生の悪ガキが、文通なんかするはずもなく、僕は東京の中学校へ通うことになり、町野小学校で当時仲良くしていた奴らとも、それきりになっていた。

僕は驚きと感動を感じたまま、返事を書いた。

「三井 匡樹さま 驚きました。たしかに町野小学校にはいました。担任は、村山先生だったよね。マサキ、僕のことよく見つけてくれたね」

そこまで返事を書いた僕の頭に、ある名前が浮かんだ。マサキと、僕はいつも二人で遊んででいたのではなかった。サトルだ。たしかサトルと、三人でいつも遊んでいたんだ。

「そういえば、サトルも元気か? 三人でよく遊んだな」

そう勢いこんで打った返事への答えは、送ってから二十分ほど経って届いた。

「マジでニッシーだったなんて、嬉しいよ。サトルも、元気。友達申請していいかな?」

マサキは僕の当時のあだ名である「ニッシー」という名で僕を呼んだ。そうして僕らは、二十年ぶりにフェイスブックという仮想空間で再び「友達」になった。

それから半年ほどして、僕はたまたま石川県の七尾市まで仕事で出張に行くことになった。マサキやサトルと一緒に過ごした、奥能登の小学校とも、わりと近い。僕は、マサキたちに「会いてえなあ」と思い、マサキにメッセージを送った。

「今度実は、七尾まで出張に行くんだ。マサキ、よかったら飲まないか? サトルも誘ってよ」

「わかった」という短い返事はすぐに来た。僕は居酒屋を予約して、とてもわくわくする気持ちのまま、妻にもしゃべった。妻は僕の話を聞いて、にこにこした。

「それって、プチ同窓会ね。二十年も前に離れ離れになった当時の同級生と、飲めるなんて素敵じゃない」

「僕ってさ、各地を転校で転々としてきたから、案外どこの同窓会にも、いなくなった人としてカウントされるせいか、呼ばれないんだよね。だから、めっちゃ楽しみだし、めっちゃ嬉しい」

出張仕事の終わった夜が、マサキとサトルとの待ち合わせ時間だった。時間の少し前、店の前で煙草を吸っていると、男が一人、こちらに向かって歩いてきた。

「ニッシー、だよね?」
「マサキか? や、マジで懐かしすぎるな」

十二歳のときから二十二年、それでもお互いの顔を見間違えなかったことが嬉しい。

「サトルは? 遅れてくる?」

僕のにこにこしながら言った言葉に、マサキが表情を硬くした。え、なんだよ、その顔、と思っていると、マサキは重たい口をようやく開いて言った。

「サトルは、もういないんだ。――その、高校生の時、死んじゃって」
「え? な、なんだよ、それ、どういうこと」
「ごめん!」

マサキはふかぶかと頭を下げた。

「ニッシーを、フェイスブックで見つけて、また友達としてつながれてうれしくて、サトルのこと聞かれたときも、つい『元気だ』って嘘ついちゃったんだ。ニッシーに、本当のこと言えなくて、ごめん。飲み会誘ってくれたときも、言おうかと思ったんだけど、やっぱり会って言うしかないと思って」

マサキが言いながら混乱し始めている様子だったので、僕のほうが、落ち着かなきゃ、と思って、居酒屋に入ろう、と切り出した。二人で、背をかがめて、低い入口ののれんをくぐった。

突き出しに出てきた肴をつまみながら、僕はマサキから、サトルが死んだいきさつを聞いた。

「ニッシーが転校していなくなってから、僕と、サトル、なんだかぎくしゃくしちゃって。三人で上手くいってたのに、二人になったら、なんか、どう話していいかわからなくなった。そのうち、僕は、中学校で新しい友達が出来たりして、サトルとは少しずつ疎遠になったんだ。

サトルは、だんだん学校で、孤立していったみたいだった。よく思ったよ。こんなとき、ニッシーがまだいたらなって。僕もサトルも、不器用なほうだったけど、コミュニケーション得意な、ニッシーと一緒にいることで、クラスの人気者になれてたじゃん? そういうのが、ニッシーいなくなってから、サトルとの仲がどんどん上手くやれなくなった」

マサキは、目を赤くしてそう話した。僕もぽつぽつと言葉を返す。

「僕、そんなにコミュニケーション得意だったかな。むしろ、マサキとサトルが小学校の仲間に入れてくれたから、転校生でも上手くやれてただけで」

「サトル、高校に進んでから、不登校になって、最後は、大きな橋の欄干から、川に飛び込んで――そのまま」

飲んでいた冷酒が、いちだんと冷えて感じられた。

僕の中での、小学生のときの記憶が、どんどん鮮やかになっていく。小学生の僕は、繰り返す転校生活で、十歳前後にして、もう、どんな話題を振ったら、人が笑ってくれるか、周りに溶け込む会話ができるか、計算してそれを行う子どもだった。

緑ばかりがある、奥能登の町野小学校に来た時も、僕はみんなに好かれるように計算してふるまい、すぐにクラスメイトたちと仲良くなった。中でも、マサキとサトルとは、特別仲良くなって、僕の提案で、当時はやっていたお笑い芸人の真似をして、クラスのみんなにホームルームの時間、漫才をよく披露した。僕とサトルのダブルボケ、マサキがツッコミ。クラスのみんなには、どっかんどっかん受けて、僕らは一躍人気者になった。

でも、どっかで僕にはわかっていた。僕はピエロだって。こうやって、面白いことを言って、周りを巻きこんで笑わせられるから、みんな自分の周りに集まってくれるんだって。計算した、嘘の自分を、みんなは見ているだけだって。それは転校生の宿命づけられた孤独みたいなもので、でも、その弱音を吐けたのは、サトルにだけだったのだ。

小学六年生の、卒業を控えた時分。中学へ進学する前に、関東に転校が決まり、僕はマサキと、サトルのそれぞれに、事情を話した。マサキは「っだよ、ニッシーいなくなっちゃったら、つまんねーよ、さびしいじゃんかよ」と子どもが駄々をこねるように、言った。サトルは、転校の話を聞いたとき、僕を優しい目で見て言った。

「僕もさびしいけど、ニッシーがいちばん、つらいよね。四年生の途中で入ってきて、こうしてみんなと仲良くなれて、でも、またいちから人間関係やりなおしなんだよね。ニッシーがつらいときは、手紙を書いてね。僕、ずっとニッシーの友達だから」

サトルの言葉で、僕はちょっとだけ泣いた。はじめて、ピエロだった自分を、わかってもらえたと思った。サトルになぜ、中学生になってからも、高校生になってからも、手紙を出さなかったのだろう。そうすればサトルを救えたかもなんて思うのは、おこがましいけど、でも、どんなに照れくさくても、そうすればよかった。

だんだん、僕の耳に居酒屋の喧噪が戻って来た。過去の記憶にひきもどされていたのだ。僕は、店員さんを手をあげて呼び止めた。

「グラス、もういっこ持ってきてもらえますか」

マサキが、はっとしたように僕を見る。

「サトルの分も、用意しよう。今夜は三人の同窓会だよ」

マサキは、うん、うん、とうなずいて「サトルの好きな厚焼き卵も注文しよう」と言った。

卵が運ばれてくると、僕は、サトルの分のグラスに、冷酒を注いだ。マサキと二人で、自分たちのグラスをサトルのグラスに軽くぶつけると「乾杯」と声を合わせた。

「サトルの墓参り、行くか。墓の前で漫才、またやるか」

そうふざけた僕の声が、思いのほか湿っぽく響いて、僕はグラスの酒を慌ててあおった。目の前でマサキが、泣きそうな顔をして笑っていた。


※この小説は2018年にnoteに投稿したものの再掲載になります。

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