見出し画像

先生と私のスケッチ

墓地公園から夏草を踏みしめながら坂をあがっていくと、小さな展望台がある。階段をのぼりきり、上から故郷の街をぐるりと見渡すと私は一眼レフをゆっくりと構えた。シャッターを一度、二度、切ってみる。泡のように心に浮かび上がってくるのは、懐かしい「先生」の言葉だった。

『そう、言葉を使って、社会を、世界をスケッチしてごらんなさい。あなたには、きっと良いものが書ける。大丈夫よ、この世はそんなに悪くないわ』

まばたきをする。陽ざしがひどくまぶしい。梅雨前線と前線のすきまにのぞいた六月の青空は、初夏の気配を濃厚にたたえて晴れわたり、先生を悼む思いすらもきれいにぬぐい去ってくれそうに思えた。

山の稜線と上空の濃い青空を切りわけるように、ひと筆描きしたかのような飛行機雲の白線がすっと伸びていた。

先生。

心のなかでそっとつぶやいてみる。

大人になった私は、いまも物語を書いているよ。あの日願ったことを、叶えたよ。先生、見ていてくれてるのかな?

半袖のブラウスから伸びた二の腕を、六月の熱い日光にちりちりと灼かれながら、私は自分が14歳だったころの記憶をたどり始めていた。




逃げ込む場所はたった一つ。物語のなかしかない。

ちらりと図書室の時計に目を走らせる。胸の中に一滴落ちた墨が、みるみる広がって心の中を闇の色へと染め上げていく。あと2分もしたら、学校司書さんが私に声をかけるはずだ。――もう、図書室を閉めるから帰宅しなさい、と。

ぶわりと、感情が大きく破裂しそうになる。帰りたくない、帰りたくない、帰りたくない。帰っても、あの家に私の居場所なんかない。

本当は、閉館時間が十九時の市立図書館にはしごできたらよかった。でも、私の家から中学校は近くても、市立図書館はかなり遠い。クラスで一番体が小さくて、ひよわで、そんな私が市立図書館への往復なんてしたら、きっと熱を出してしまうにちがいない。

後ろ髪を引かれる思いで、ようやく本を閉じると本棚に返した。とぼとぼと図書室から出て、うつむきながら廊下を歩き昇降口に向かった。

この日はちょうど梅雨前線がはりだしてきている時期で、雨音が廊下の窓を通してしとしと響いていた。生徒玄関まで出てみて、私は嫌な予感にかられた。また、傘を盗られてるんじゃないだろうか。

私の傘がなくなった、そう報告するたびに、みづえさんは口の端だけで笑う。みづえさんがこの笑い方をするときはだいたい不快に思っているときだって、私は知ってる。

みづえさんは父の再婚相手なのだけど、私は彼女のことを「おかあさん」とは決して呼びたくないのだ。


「ええ? 友奈ちゃん、このあいだもなくしたって言ってたのにまた?」


そして、新しい傘を調達してきたかと思うと油性ペンで、でかでかと傘の持ち手に私の名前を書くのだ。――高貝友奈、と。私からしたら「本名がきちんと書いてあるからこそ、私の傘が盗られてしまう」のだと思っているのだが、そこがみづえさんには通じない。

もっとうがった見方をすれば、私の傘が盗られるようにと、心では願っているからこそ、みづえさんは傘に私の名前をきちんと書いて中学校に持たせるのかもしれない。

「傘……ない」

傘立てに無造作につっこまれているすべての傘を見たけど、そこに「高貝友奈」の字が持ち手に書いてある傘はひとつもなかった。心のなかに醜い考えが浮かぶ。

私の傘も誰かが盗っていったなら、私だって誰かの傘を拝借してもかまわないんじゃないだろうか。

私は傘立てのなかから、無惨に骨が折れまくっているビニール傘を一本抜き出した。銀の骨には赤錆が浮かび、こんなの誰もまともに差せやしない、と思うくらいに壊れた傘だった。

いいじゃん、盗っちゃえよ。ばれやしないよ。

真っ黒の心でそう思った。けれど、生徒玄関に男子生徒の群れの笑い声が近づいてくるのが聞こえ、小心者の私ははっとして、あわてて傘を元の位置に差し戻す。そのままくちびるを噛んだ。この、意気地なし。


そうして私は、雨のなかに飛び出すと、水溜まりを踏みながら家へと駆け出した。

横断歩道を渡り、ナカガワ美容院の前まで来たところで、雨脚がひどくなってきた。あわててパン屋さんのひさしの下に入る。セーラー服が濡れそぼって重たくなってきた。前髪もびしょ濡れで気持ち悪い。

でも、家ではまたみづえさんにねちねちと「傘をなんでこうもなくすの?」と聞かれるだろう。そのくせ、みづえさんは絶対に担任の先生に電話をかけたりはしない。都合の悪いことが起きても、そとづらを取り繕って穏便にすませることしかしようとしない人なんだ。

私は膝を抱えてうずくまった。どんどん体が冷えてきて、寒くなって来たけどどうしようもなかった。

ただ、泣くことだけは自分に許していなかった。私を笑いものにしてくる意地悪なクラスメイトたちや、父と再婚しただけだというのにうちの中のすべてを取り仕切り、都合いいときだけ「友奈ちゃんの新しい母親ですが何か」とふるまうみづえさんのことでは、絶対に涙を流したくはなかった。

カラン、と頭の上でカウベルの音がしたと思ったら、私の背中にかたいものがぶつかった。あわてて振り向くと、美容院のドアが外側に開いて、私の体にぶつかったのだった。

「あらあら、ごめんなさい。お体は痛くなかった?」

クリーム色のビニール袋とかばんを提げて出てきたのは、七十代くらいのおばあさんだった。どことなく上品で、言葉遣いも丁寧だった。こんなところで雨宿りしていた私を、邪魔もの扱いなどせず、自分の非を認めて謝ってくれている。

「すみません、へんなところにいて」

私も謝り、そのおばあさんが通りやすいように体をどけた。おばあさんはパンを下げた手と同じ腕にかけていたバッグからタオルを出すと私にくれた。

「こんなに濡れて、寒いんじゃあない? このタオルは差し上げるから、よく拭いたらいいわ。あ、よかったらここに来る前に買ったパンもあげる。焼きたてではないんだけど、何か食べたらちょっとはあったまるかも」

私が驚いてタオルとパンひとつを受け取ったまま言葉も出せないでいると、おばあさんの目の前でタクシーが停まった。後部座席のドアが開くと、おばあさんは乗り込んだ。

「ええ、タクシー予約していた月島です。中央郵便局から右に折れて、そこから三軒目が私の家」

ドアが閉まるまえにおばあさんは私に告げた。

「一緒に乗せていってあげられなくてごめんなさいね。無事帰れますように」

私は首を横に振り「かまいません」のジェスチャーをした。タオルと温かいパンをもらえただけで、おばあさんの優しさが伝わってきた。タクシーが走り去ったころ、雨がやんだ。私は思いがけない親切にどこかふわふわして落ち着かない気持ちを抱えて、家路へと着いた。

みづえさんはパートからまだ帰っていなかった。私は着替えをして、制服と一緒にタオルも洗濯機に入れて洗濯ボタンを押した。みづえさんが帰宅する前にタオルだけは自分の部屋でこっそり干そう。そして、乾かしたあとはちゃんと返さなくてはならない。

「月島さん、中央郵便局から右に折れて、そこから三軒目」と覚えた名前と住所を繰り返す。こんな花柄のきれいで高そうなタオル、みづえさんに見つけられたらまた何を言われるかわかったものじゃない。

そして、学習机の前の椅子に座って、すこし雨に濡れてしまったパンを噛んだ。真っ白なパンはふかふかしていて、美味しくて、物語のなかの食べものみたいだった。

みづえさんにもう、傘をねだるのはやめようと思った。亡くなった母が残してくれた郵便貯金を下ろして、傘が必要なら買おう。今度は自分の名前なんて、絶対書いたりしないで。パンはもうすっかり冷めていたけど、私のお腹に収まったあとも、どこか気持ちを暖めてくれた。

みづえさんがパートから帰宅するころには、私は洋服に着替えて何食わぬ顔で宿題の問題集を解いていた。保健室登校をしていた時期もあったが、今はクラスメイトからのうっすらとした嘲笑に絶えながらちゃんと授業に出ている。

ちゃんと高校に、大学に、進学して正攻法でこの家を出ることが私の目標だった。その日が来るまでは、どんなに厭な思いをしても、不登校になっている余裕はなかった。

夕食どきになると、みづえさんが私を呼んで二人で夕食をとった。ガス会社の係長に昇進した父は帰りが遅く、いつもしんとした食卓でみづえさんとふたりで夕食をとることが平日はいつものことだった。

みづえさんは、父と結婚した当初から、食事のときにはほとんど喋らない人だった。冷え切った沈黙がわたしとのあいだに落ちても、気にしているそぶりはなく、また彼女が「テレビはうるさくて嫌い」という理由でつけてはくれない。

私は、生前の実母とにぎやかにバラエティやドラマを見ながら多少お行儀悪くも食べていた食事の時間を懐かしく思い出していた。でも、もう母はいないし、この家のルールはみんなみづえさんが決めるようになってしまった。父も、何も口を挟んでくれたりはしなかったし、後妻と娘の仲が悪いと知っていながら、私の味方になってくれることはなかった。

二人とも口を開くことがなかった食事の時間が終わると、私はまた階段を上って自分の部屋に入り、かっちりと鍵を閉めた。みづえさんと二人でいるくらいなら、一人のほうがずっといい。一人でいるのは寂しいけど、好きじゃない相手と一緒にいるくらいなら、一人のほうがずっとよかった。

家を出ること以外に、私の夢はもうひとつあった。将来、自活して働きながらで構わないから、物語を書くひとになりたかった。昔母が買ってくれた幼年向けの童話や物語、学校の図書室で出会った小説に、私は冗談ではなく孤独から救ってもらっていた。

物語がこの世になかったら、氷水漬けみたいな家庭と、行けども行けども砂漠みたいな学校の往復で窒息して、生き続けることを手放していたかもしれなかったから。

私を助けてくれた物語のような創作作品を、自分でもずっと編んでみたかった。でも、実際何をそのために努力していたかといえば、たまにノートを破った切れ端に、数行文章を書いてみて「ダメだ、ダメだ」とゴミ箱に放り込むことくらいしかしていなかった。

書いてみて、その結果書けなくて、自分の本当の力を知るのは怖すぎた。ノートに何かを書きつけて、みづえさんに万が一見つかってしまったら、羞恥のあまり死んでしまうだろうとも思った。

今日も、甘い夢をかじっているだけで、何一つ行動を起こせないまま就寝した。


土曜日になり、梅雨の晴れ間の青空が部屋のカーテンを開けるとのぞいていた。私は学習机の鍵付き引き出しを開けて、先日おばあさんが渡してくれたタオルをとりだした。そっと鼻を近づけると、うちの柔軟剤のほのかな香りがした。

たたんであるタオルをかばんにそっと入れると、一階に下りていく。居間のドアを開けると、みづえさんと父が談笑しているところにかちあってしまい、思い切り気まずい表情になってしまった。

「あら、友奈ちゃん」

みづえさんが笑顔を見せる。みづえさんは、父も一緒にいるときだけは、私に向かって本当に人の好さそうな笑顔を見せる。私の気持ちは、どんどんしらけた。

「ちょっと外出してくる」
「あら、お友達?」

ふたたび、満面の笑顔。私に友達なんて一人もいないこと、よく知ってるくせに。でも訂正するのも面倒なので「そう」とだけ言った。

「日が長いからといって、あまり遅くまで出歩くなよ。適当に帰ってこい」

父も口を出してきた。父も、みづえさんの前では「父親らしい」ことを口にする。きっと、かっこつけたいんだ。若い奥さんの前で。どんどん気持ちが冷めた。

帽子を深くかぶって、家の引き戸をあけてしまうと、一気に呼吸が楽になる。郵便局から、右に折れて、そこから三軒目。名前は月島さん。週末までずっと忘れないように、おまじないのように唱えていた文言を再度繰り返し、私は紫陽花が並んで咲く路地を、歩き始めた。


月島さんの家は、思いがけなく簡単に見つかった。こぢんまりした、古い洋館風の一軒家で、真正面の小さな庭で深紅の薔薇が家を取り囲む鉄柵の後ろに咲き乱れていた。真鍮の表札には「月島」と、ちゃんと書いてある。

勇気を出して、チャイムを押す。と、中で犬の吠え声がした。小型犬なのか、高い声だ。犬は苦手なので、思わず腰が引ける。犬の声がだんだん騒がしくなり、私はいたたまれなくなってきた。このまま逃げたら、ピンポンダッシュになってしまい、ただの迷惑行為だー―そう思っていたら、ようやくドアが内側から開いた。

「どちらさま?」

ドアから出てきたのは、ひょろりと背の高い若い男の人だった。淡い茶髪の髪が日に透けていて、ラフなTシャツにジーンズ。てっきりおばあさんが出てくると思っていたので、しどろもどろになる。青年の後ろには、小さなプードルがつながれて吠えまくっていた。青年は「こら、うるさいぞ」と犬を黙らせている。

「あ、あのっ、ここに月島さんというおばあさんは……? 私先日、タオルをいただいてしまって、それで…」

おばあさん、の言葉で青年は「ああ」と合点したようだった。中に向かって「せんせーい、せんせいっ」と呼びかける。

先生? あのおばあさんは先生なの? すこし混乱しはじめた頭で、棒立ちになっていると、彼がすたすた中に入っていった。何事か話声が聞こえて、また彼は戻ってきた。表情も、さっきの不審な顔つきからすこし和らいでいた。

「月島ゆき先生が、上がって下さいと言っていますのでどうぞ。はい、そのスリッパはいて」

私は緊張で体をかたくしたまま、言われるがままにスリッパを履き廊下から部屋へと上がりこんだ。応接間、と言ってもいいほどの素敵な室内のなかで、立派な布張りのソファと、英国アンティーク調のテーブルがまず目に入った。

ソファにこぢんまりと腰かけているのは、まぎれもなく先日の大雨でタオルとパンを私にくれた、あのおばあさんだった。

タオルを返しに来た旨を伝えると、おばあさん――月島先生は柔和な笑みで「あらあらまあまあ、ありがとう」と言った。

「私は一日一善をこころがけているのだけれど、親切がこうやって返ってくるなんて、とっても嬉しいわ」

月島先生は、淡いパープルのブラウスと、白地に紺の小花が散ったスカートを身に着けていた。真っ白なふわふわのショートカットが、ブラウスの薄紫を引き立てている。出会ったときも思ったけど、本当に上品なおばあさんだ。

タオルを私から受け取ると、月島先生はにっこりと笑った。

「せっかくだから、お茶でも飲んでいってくださらない? アフタヌーンティーというほどのものでもないけれど、美味しい紅茶があるから淹れましょう。私が焼いたスコーンもあるのよ。イギリスにいたときに、その家のマダムから習ったものよ」

驚くあまりかちこちになっていると、青年が布張りのソファを引いて、腰かけるようにエスコートしてくれた。なんだ、この世界は。ファンタジーのなかに飛び込んだみたいだ。

青年が肩をすくめた。

「お嬢さん、もしよかったら先生のおもてなし遊びに付き合ってあげてよ。最近は、暇を持て余してるから、お客さんが来ると嬉しいんだ」

「暇とは失礼ね、あなただって私の原稿がなければ、帰れないくせに」

「原稿?」

ふと、疑問に思ったことを口にしてしまい、あわてて口元に手をやる。月島先生から茶目っ気ある瞳でにらまれた青年は、私に向かって笑いかけた。

「お嬢さん、本は好き? このおばあさんはね、いまから二十年も昔、編集者が列をなして並ぶほどの童話作家だったんだよ」

目をまるくして、喉がからからになっていく私に、月島先生がふうっとため息をついて笑う。

「いまじゃ、ほとんど絶版になってしまって、原稿依頼が来るのは昔の作家仲間の追悼文くらいね」

「あの、小説を書いていたんですか?」

私がおそるおそる問うと、月島先生が胸を張る。

「いまだって毎日書いてるわ。――もう、本が出ることはおそらくないけどね」

「私もっ」

言葉がのどからあふれ出た。

「私も、本が好きで、物語を書く人になりたくて。――でも、ぜんぜん、まだ書けなくて……」

青年と月島先生が目をみはる。私は青年に問いかけた。

「あなたは――もしかして、編集者さん、なんですか?」

青年は、堪えきれないという風に、体を折ると笑いだした。

「なんてことだ、先生が雨の日にタオルを渡してあげた子が、作家志望の子だったなんて! そう、僕は編集者でもあり、月島先生のいとこの孫でもあるんだ。まあ親戚みたいなもので、この家にはよく出入りさせてもらってる。まあ、紅茶とスコーンの時間にまず、しようよ。君の話、先生は聞きたがるはずだよ」

ほどなくして、熱い紅茶が高そうなアンティークカップ(ソーサー付き!)になみなみと入って、テーブルにスコーンと並んだ。スコーンからは香ばしく甘ったるいいい匂いがした。

紅茶を食べながら、私たちは午後の時間を過ごした。月島ゆき先生の、かつての人気シリーズの話、編集者であり親戚である青年――二十代である佐内さんが現在は、夫に先立たれて子どももいない月島先生の身辺の世話をしている話、月島先生はかつて英国留学していて、向こうの大学でファンタジーを学んでいたという、若くて情熱ある頃の話。

月島先生と佐内さんは、あたかも実の祖母と孫のようで、お互いの言葉につっこんだり悪口をたたいたりしながらも、本当に仲がいいのだということが伺えた。

品のある甘さのスコーンを食べながら、私はずっと知りたかったことを月島先生に聞いてみた。

「小説、どうしたら書けるようになりますか? そもそも、文章自体、どう書いていったらいいのか、わからない」

そして、私は胸の内で焦っていたあることについても、しゃべってしまった。

「このあいだ、ニュースでやっていたんです。私とひとつしか変わらない15歳の女の子が、有名な文学賞をとったって。私だって、ほんとうは書きたいけど、ぜんぜん書けなくて、どうしたらいいか――」

ふいに泣きそうになって焦った。クラスメイトのことでも、みづえさんのことでも一切泣いたりしない私の涙腺がふいにゆるんだのだった。

うつむいてしまった私の肩に、ぽんと温かい手のひらが置かれた。そして月島先生のやわらかな声がした。

「焦ることはないの。世界は、私たちに描かれるのを待ってるんだから」

先生の言ったことをうまく飲み込めないまま顔を上げると、月島先生が「御覧なさい」と窓の外を指さした。窓からは、さっき通ってきた庭が見渡せた。

「庭には、何がある? そう、立って窓の近くまで寄ってかまわないの。ようく、見て。何がある?」

「薔薇と、柵と、夏の草がいっぱいと、あと、郵便ポスト…?」

「あなたはちゃんと、言葉を知ってる。文章ってね、言葉を使って、社会や世界を描き出すことなの。すこし話は飛ぶんだけど、ヘレンケラーの伝記を、読んだことがあるかしら」

「はい」

「あの伝記のなかで、サリバン先生が、目が見えない、耳も聞こえないヘレンの手に、水道の蛇口から水をかけながら、彼女の手に『Water』と書くでしょう? そしてヘレンは『Water』という単語と、いま手にかかっている冷たい液体が同じものだと、知る」

私はうなずいた。わかりそうで、まだわからない。

「私たちも、文章を書くときは同じなの。いまあなたの目の前に見える薔薇の花と『薔薇』という単語は同一のものを差すでしょう。言葉のひとつひとつと等しい何かが、世界にはすでにある。だから、世界を描き出すときに、言葉を使って私たちは絵を書くように文章としてものごとをスケッチできるのよ」

月島先生は大きく息をつくと、窓の外を自身も眺めながら言った。

「私なら、いまの風景をこう描き出すわ。『六月の陽に洗われて、前庭の薔薇がますます紅い。柵の向こうのお向かいの家には、今年もツバメが巣をつくった。伸び放題の夏草に埋もれる郵便ポストは錆びたまま今日も立っているけど、相変わらず誰からも手紙は来ない――とかね。まあたいした例文じゃなくてお恥ずかしいわ」

「それ、私にもできそう」

気付いたら、身を乗り出して言っていた。月島先生のまなざしが、優しいながらも情熱を宿していた。

「そう、言葉を使って、社会を、世界をスケッチしてごらんなさい。あなたには、きっと良いものが書ける。大丈夫よ、この世はそんなに悪くないわ」

お茶とスコーンの時間が終わり、私は月島先生の家をあとにした。「またおいでね」と佐内さんも月島先生も言ってくれた。さっき言われた言葉たちが、頭のなかで熱を帯びて回っていて、私は一刻も早く自分の部屋に帰りたかった。

帰って、ノートにはやく何かを書きたい。書きたい書きたい書きたい!

家に飛ぶように帰ってきた私は、みづえさんの存在も、クラスメイトの存在もひととき忘れ、部屋に鍵をかけて一心に破ったノートになにごとかを書きつけた。

もちろん、月島先生のようにすらすらと美しい文章は書けなかったけど、それでも頭のなかで「書く」という回路がかちりと繋がった気がした。

進学して、家をいつか出る。その目標はそのままに、私は書いた。書いて、書いて、書きまくって、そのすべてを鍵付きの引き出しにしまった。

書いたものを、ときどき月島先生に見せにいった。佐内さんはいることもいないこともあったけれど、二人は厳しく、温かく、私の作品を講評してくれた。

モノクロだった世界に、いきなり色がついた。世界が何百色もの色、そして言葉であふれていることを、私は知った。描いても、描いても世界にきりはなく、書けることは尽きなかった。

案外というかなんというか、物語を書くことが上手くいきはじめると同時に、勉強にも身が入るようになった。自立して、はやくはやくこの家を出て、仕事をしながら物語を書きたい。はやる思いでいっぱいになっていた私は、見事高校受験を成功させて、県内で有数の進学校に入った。

月島先生と佐内さんは、私に口を酸っぱくしながら「学校の勉強はきちんとやること。物語づくりに役立たない勉強なんてない」と言った。二人の言葉は糧になった。

高校に入学した春、みづえさんが妊娠した。15歳も年齢の離れたきょうだいができるのだと知ったとき、ふっと私の中でみづえさんとの冷戦状態の糸がゆるんだ。私たちのあいだには、たしかにぎすぎすした確執があった。

でももう、私には「ものを書ける」という喜びにあふれた日々があり、すこし前まで持っていた幼さや甘えは影をひそめていた。もう、いままでのことはいままでのこととして、みづえさんと新しく別の関係を結んでいきたい、そんな思いがわきあがってきた。

「ご懐妊、おめでとう。体を冷やしたらだめだって、聞いたよ」

私がぼそりとそうみづえさんに言うと、彼女ははじかれたように顔を上げた。そして泣いてるような笑ってるような顔つきで「難しい言葉、よく知ってるね」と言った。

月島先生の家には通い続けていたが、だんだんと先生は老いのために弱っていった。私を見ても、気弱な笑顔を見せるだけで、うまく喋れなくなっていた。佐内さんは「もうほとんど、先生の耳は聞こえないんだ」とすこし悲しそうに笑った。

大学生になっても、私は作品を書き続けていた。22歳のとき、はじめて100枚書けた原稿を、ポストに投函した。すごくドキドキした。

それからしばらくして、佐内さんから呼び出された。「先生は、もうあと三カ月持たないだろう」と。私は彼の顔を真正面から見据えて、言った。

「半年後、応募した文学賞の発表があります。もし大賞が取れたら、本になる。それまで、先生には生きていてほしい。私は、先生がいなかったら、書けるようになんかなってなかった」

佐内さんはうなずいた。

「友奈ちゃん、大人になったね。先生も、きっと友奈ちゃんが頑張っていることはわかっていると思うよ」

一次選考が掲載されている文芸誌を取り寄せたのは、暑い暑い夏の日だった。気持ちが急くまま、ページをめくり、天を仰いだ。

私は、一次も通らず落選していた。そのとき、佐内さんからの着信が携帯に入った。すぐに出ると、月島先生が入院先の病院で亡くなった、という報せだった。

どっと涙があふれた。先生が存命のうちに、賞をとる活躍を見せてあげられなかったのも悔しいし、先生が世界からいなくなってしまったことも悲しすぎた。

密葬に、佐内さんは私のこともこっそりと呼んでくれて、私は棺のなかの先生に白と紫の花をたくさん入れてあげた。先生は花が好きだったから。それでも。それでも。先生が生きているうちに「本を出したよ」と、あの優しい笑顔の先生に見せてあげたかった。




「友奈ちゃん」

背後からの声に振り返ると、ゆらりと後ろに佐内さんが立っていた。

「いつも、月島先生のお墓参りに来てくれてありがとう」

真面目くさった顔でそう言った彼は、現在私の担当編集者だ。そんな彼も、いまは43歳。年相応に老けてきたと思う。

「いつまでも友奈ちゃんって呼ばないでくださいよー」

そう茶化すと彼は笑顔になった。

「そうだね。改めて、ゆきた美青先生、ありがとうございます」

「私のたった一人の、恩師ですからね。ゆきたの『ゆき』は月島先生からもらいましたし」

佐内さんはそれなりの規模の出版社の編集者で、私は彼にたのめばもしかしたらコネクションでデビューさせてもらえることもあったかもしれない。でも私はそうせず、彼自身も、私がきちんと正規の手続きを踏んで――つまり賞をとってデビューするまで、私に「書きませんか」という声はかけなかった。そのあたりに彼の、誠実さを感じた。

「35歳でやっと一冊目の本が出せました。15歳のときに志したのに、だいぶ遅くなっちゃった。やっと、先生に見せるものができてほっとしてます」

展望台から、眼下の街、そして遠くに広がる海の水平線をぼうっと見つめた。月島先生ならば、この風景をどんなふうに美しく描き出すだろう。先生の描き出す世界は色あざやかで、優しくて、言葉という画材を存分に活かしたものだった。

先生の書いた本を開けば、私はいつでも先生の呼吸をそこに感じられる。私のかばんのなかには、いつもお守りのように、月島ゆき先生の童話作品が、毎日日替わりで入っているのだ。

願わくば、私の書いた物語も、いつか誰かのお守りになればいい。そう思いながら、私は大きく深呼吸した。思い出をたどりながら見上げた六月の空は、ただ青すぎた。


この作品は、生活に物語をとどける文芸誌『文活』2022年6月号に寄稿されています。今月は連載・連作2作品と、ゲスト作家による短編2作品の小説5作品を中心に、毎週さまざまなコンテンツを投稿していきます。投稿スケジュールの確認と、公開済み作品は、以下のページからごらんください。

ここから先は

0字
このマガジンを登録いただくと、月にいちど、メールとnoteで文芸誌がとどきます。

noteの小説家たちで、毎月小説を持ち寄ってつくる文芸誌です。生活のなかの一幕を小説にして、おとどけします。▼価格は390円。コーヒー1杯…

いつも温かい応援をありがとうございます。記事がお気に召したらサポートいただけますと大変嬉しいです。いただいたサポ―トで資料本やほしかった本を買わせていただきます。