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【児童文学】お弁当のひそひそばなし

さきこは、窓の外のぴかぴかの空を眺めると、クレヨンで絵のつづきを描いている手をとめました。そしてベランダでせんたくものをとりこんでいるお母さんに声をかけました。

「お母さん、雨を晴れにしたいときは、てるてる坊主をつるすでしょう。晴れを雨にしたいときは、どうするの」

お母さんは、さきこの心の中を見抜いて、ふきだしました。

「さきこ、そんなに明日の運動会がいやなの?」

「だって……リレーなんて、自信がないよ」

さきこは描きかけていた、うさぎときつねが並んでいる絵に目を落としました。うさぎときつねの間は、ちょっとはなれていました。もっと近づけて描こうと思ったのに。

「そうねえ、雨ごいのダンスでもしたらいいんじゃない」

「お母さんも一緒にやってよ」

「まあ、いいよ」

お母さんはせんたくものをぜんぶ干し終えると、さきこが絵を描いている部屋の中に入ってきて、さきこといっしょに「雨よー、降れー」「風よー、ふけー」と踊ってくれました。

踊り終えると、さきこは今度は、うさぎとひつじの絵を描き始めました。今度は、うさぎの顔がへの字にゆがんでしまいました。

「むずかしいなあ」

さきこは言いました。

「むずかしい」

さきこが4年A組のリレー選手に選ばれたのは、ついていなかったとしか言いようがありません。リレー選手なんて、それぞれのクラスの、足のはやい子がだいたいはなるものです。さきこは、足も遅いし、運動はどれもにがて。本当ならば、あゆこちゃんが選ばれるはずでした。――あゆこちゃんが、足をねんざしなければ。

A組の女子のリレーは、たまきちゃん、しずかちゃん、みほりちゃん、そしてさきこの、四人に決まってしまいました。さきこをのぞく、あとの三人は、運動もできるし、かわいいし、クラスの中の人気者。

あとひとり、あゆこちゃんが選ばれれば完璧でしたが、あゆこちゃんは、リレーの練習のときに、足をひねってしまったのです。それで、クラス会議が開かれて、誰もリレーの選手になりたがらなかったので、最後はじゃんけんで決めることになってしまいました。

さきこが最後に負けて残ってしまったとき、クラス内で「あー」という残念そうな気持ちの波が広がっていくのがわかりました。

「足の遅いさきこちゃんが選ばれちゃったよ」

誰も言葉にしては伝えなくても、みんなが心のなかでそう思っていることがさきこには伝わって、いたたまれなくなりました。

さきこは今度は、うさぎとねずみの絵を描き始めました。ねずみの顔が、なんだか意地悪そうな表情になってしまって、さきこは今日のお絵描きタイムをやめました。

さきこがリレー選手になってから、たまきちゃんたちと先生と、二回、リレーの練習をしました。さきこは三番目に走りますが、どうしても、二番目に走るみほりちゃんから、バトンを受けることがうまくできません。五回のうち四回は落としてしまって、またみんなが「あー」という顔になりました。

「ごめん」

そうあやまりながらも、だれもみんな「じゃあさきこちゃんはやめて、別の子を決めなおそう」とは言ってくれません。もう運動会まで時間がないし、別の子になったらなったで、また面倒なことになるのは、みんなわかっているようでした。

グラウンドを何度も走りながら、さきこは「もういやだ」と思いました。早く、家に帰ってゆっくりお絵描きしたい。そう思っていたのに、運動会の前日、家で描いてみた絵は、どれもいまいちにしか仕上がらなくて、さきこはためいきをつきました。

夕ごはんのあと、お母さんがまた台所に立っているので、さきこはそうっとのぞきにいきました。おかあさんは、鶏肉を切って、おしょうゆとみりんにひたしています。

「明日の、お弁当?」

「そうだよ。まあ、たぶん晴れるだろうから、準備はしておこうと思ってね。さきこの好きなものばかりつくるから、がんばって走るんだよ」

「うん」

お母さんは手早くボウルの中の鶏肉に味をもみこみながら、さきこに笑いかけました。さきこもぎこちなく、笑顔を返しました。

さきこは寝る前にもういちどひとりで雨ごいのダンスを踊ってから、布団に入りました。

だけど、明け方五時に目がさめました。がばりと起き上がり、お母さんもお父さんも、さきこをはさんでぐうぐうと寝ているのを確かめます。それで、ミルクでも飲もう、と階段を下りて、台所に行きました。

青い朝の光のなか、ダイニングテーブルに大きなランチボックスが置かれていて、ふたがしまっていました。窓の外からは朝の光がきらきら差し込んでいます。雨ごいのダンスは失敗に終わったことがわかって、さきこはがっくりと肩を落としました。

冷蔵庫をあけて、ミルクをコップについで飲んだあと、さきこはふと思い立って、そうっとランチボックスのふたを開けてみました。お母さんが、何をつくったのか気になったのです。そうしたら、急にひそひそ声が聞こえて、さきこはびっくりしました。

「みなのもの、みなのもの、ようく聞け。この弁当箱のなかでも、もっとも人気なのは、わし、からあげ大臣であるぞ。それに異論はないな?」

「なにをおっしゃる。ポテトサラダの姫である私こそ、子供にも大人にも好かれ、一番になくなること、間違いなしじゃ」

なんと、お弁当のおかずたちが、ひそひそと詰め合わされたまましゃべっているようです。さきこは息をのんで、その会話に耳をすませました。

「からあげ大臣も、ポテトサラダの姫も、まさか私には叶うまい。明太子入りの卵焼き侍であるぞ。甘いと辛いが一体になったこの魅力、ほかの誰にも及ぶまい」

からあげと、ポテトサラダと卵焼きの三名が、どれも自分が一番人気だと譲らないようでした。さきこは、すみっこに控えめに詰めあわされている、もの言わぬうさぎりんごが気になりました。からあげ大臣が、そのことに気が付いたのか、うさぎりんごに声をかけました。

「うさぎりんごの小童よ、まさかそなたも自分が一番人気だとは言うまいな?」

「……」

うさぎりんごは黙っています。ポテトサラダの姫がつづけました。

「うさぎりんごよ、そなたもこの姫が一番だといってくれるじゃろ?」

「なにをぬかす。一番は私、卵焼き侍じゃ」

また、やんややんやと喧嘩になりはじめたのを見て、さきこは思わず声をあげました。

「喧嘩はやめてよ。みんな美味しいし、私はうさぎりんごが一番好き。お母さんが、私の大好きなものだけ今日のお弁当にはつめてくれたんだから。うさぎりんごも、ちゃあんと美味しいんだから、私が大好きなんだから、誰が一番で誰がビリとかないの」

自分で出した声で、さきこは目を覚ましました。

「へんな夢……」

目をこすりながら起き上がり、さきこはカーテンを開けました。今日も、ピカピカの晴れた空が広がっています。

体操着に着替えて、お弁当と水筒を持って、お母さんと一緒に小学校につくと、リレーのメンバーであるみんなが、やっぱりそれぞれのお母さんと一緒に、さきこを待っていました。

「さきこちゃん、ありがとう。よくひきうけてくれたね」

そう言ってくれたのは、たまきちゃんのお母さんでした。たまきちゃんはさきこに目を合わせると言いました。

「さきこちゃん、がんばろうね! あれだけ練習したんだから、もっと自信もっていいんだからね」

「う、うん」

さきこがそうもぐもぐと返事をすると、しずかちゃんもみほりちゃんも「いっしょにがんばろう」とさきこの背中をたたいてくれました。

大玉転がし、パン食い競争、玉入れ、と、次々と競技がにぎやかな音楽にのってスタートしていき、あっという間に4年生のリレーの順番となりました。

1番走者は、しずかちゃん。2番走者が、みほりちゃん。3番走者がさきこで、アンカーがたまきちゃんです。

先生がピストルを、パアンと鳴らすと同時に、1番走者の列が一斉に走り出しました。

「しずかちゃーん、がんばれー」

さきこも声を出して応援します。もっと緊張して気分が悪くなるんじゃ、と心配していたけど、思ったよりも平気なようでした。

(からあげは、からあげ。うさぎりんごは、うさぎりんご)

今朝見た不思議な夢が、さきこの心を支えていました。

しずかちゃんが、みほりちゃんにバトンを渡そうとして、手がすべったのか、ちょっとみほりちゃんがよろけ、みほりちゃんのスタートが遅れました。みほりちゃんは懸命に駆けていますが、後ろから来たほかのクラスの女の子とちょっとぶつかり、また遅れました。

「みほりちゃーん、がんばってー」

さあ、あと少しで、さきこにバトンが渡ります。落ち着いて――落ち着いて。

(ポテトサラダはポテトサラダ、うさぎりんごはうさぎりんご)

自分は足ははやくないし、クラスの中で目立つ存在でもない。でも、絵を描くとみんながほめてくれるから、私にもいいところはある。

みほりちゃんから、うまくバトンを受け取ることができ、さきこは走り出しました。

「さきこちゃーん、がんばれー」

足のはやい別のクラスの子が、後ろからせまってきては、さきこを追い抜いていきます。それでも、あと少し、もう少し――たまきちゃんに息もきれぎれにバトンを手渡すと、たまきちゃんはそれをひっつかんで駆けだしていきました。

(おお、さすがにたまきちゃんははやいなあ。卵焼きは卵焼き、うさぎりんごはうさぎりんご)

呪文のようにお弁当の中身を唱えながら、さきこはようやく肩の荷を下ろしました。

結果、さきこたちのチームは3位でした。終わったあと、しずかちゃんとみほりちゃんがぐすぐす泣きました。

「ごめんね、私がバトン渡すの失敗しなかったら」

「私も、転びそうになって遅れたし」

そうたまきちゃんに謝る二人に、たまきちゃんはかっこよく言いました。

「みんな、がんばったじゃん! がんばってないわけないってこと、私にだってわかるよ。3位でも、じゅうぶんだよ」

さきこは、勝気なたまきちゃんの、素敵な一面に触れた気がして、心があったかくなりました。

「さきこちゃんも、よくがんばったよね」

たまきちゃんはそう言って、さきこのこともねぎらってくれました。さきこも答えました。

「私、みんなと走れてよかったよ。ありがとう」

その言葉に、泣いていたしずかちゃんとみほりちゃんも笑顔になりました。

お腹がぺこぺこになって、お母さんと広げたランチボックス。さきこは、まずうさぎりんごに手を伸ばしました。

「ええっ、デザートから食べるの?」

そう驚くお母さんに、さきこは言いました。

「みんな平等に美味しいんだから、たまにはりんごを優先してあげてもいいかなって」

しゃく、と一口噛むと、甘酸っぱいりんごの味が広がりました。

今度は、うさぎときつねとひつじとねずみを、一枚の絵のなかに描こう。みんながにこにこしている絵にしよう。

そう思っていると、少し曇ってきた空からパラパラと小雨が落ちてきて、さきこは「あーあ」と言いました。

「いまごろ、雨ごいダンスがきいちゃったよ」

お母さんと二人で、顔を見合わせて笑い合うと、さきこは「じゃあつぎは何を食べようかな」と、ランチボックスに箸を伸ばしました。



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