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はるかに遠い人を思うこと――「ピルサダさんが食事に来たころ」を読んで

日々の生活――暮らしは世界中どの人にでもある。その暮らしをまざまざと描き出す作品がとても好きだ。日常生活を人はこなしていくなかで、楽しいことも悲しいことも等しく訪れる。そんな人生のひとこまに、そっと光をあてているそんな小説を、私は愛読する。

ジュンパ・ラヒリを知ったのは私が大学生のころだったと思う。ピュリッツアー賞はじめ、賞を総なめにしたラヒリのデビュー短編集「停電の夜に」は、新潮クレストブックスでの単行本が出たのが2000年、新潮文庫が出たのが2003年のようだが、私が読んだのはおそらく文庫――当時の記憶があいまいだが、ちょうど19歳か20歳ごろではなかっただろうか。

ラヒリは、1967年生まれのインド系アメリカ人だ。ロンドンで生まれたが、幼いときに両親(ともに、カルカッタ出身のベンガル人)とともに渡米し、アメリカのロードアイランド州で育った。

なので、ラヒリの短編の中に出てくるのは、ほぼインド系アメリカ人の移民としての暮らしぶりである。そのことが大変ことこまかに、生活のなかでの苦しみや楽しみを混ぜ込みながら、上質の短編として並んでいるのだった。

今日は9つの収録短編のなかから「ピルサダさんが食事に来たころ」を紹介しながら、私が好きなところを語っていこうと思う。ネタバレを含むので、未読の方はご注意を。

1971年の秋、インドからの移民の両親とともにアメリカで暮らすわたし――リリアは、両親とともにある男性を自宅で出迎える。その男性はピルサダさんといい、当時パキスタンの領国である(現在はバングラデシュの首都だが)ダッカからアメリカに来て、単身赴任で働いている男性だった。

ピルサダさんはダッカに残してきた奥さんと、7人の娘の安否を気にしている。当時、わたしの両親は、移民としての生活のなか、同郷らしき苗字を便覧で見つけては、食事に誘っていたのだ。そういう経緯で、ピルサダさんもわたしの家を訪問することになった。

わたしの父は「ピルサダさんはインド人ではない。私たちと同じベンガル人だけど、家は東パキスタンにあるし、イスラム教徒だ」と説明した。わたしがピルサダさんに失礼なことを言わないように教えてくれたのだった。

私は祖国の歴史を余り知らない。アメリカでの教育で受ける歴史科目では、独立戦争のことばかり教えられる。 

ピルサダさんは家に来るたび、わたしにお菓子をくれる。わたしには決まりの悪い瞬間だったが、母が断ろうとしても相変わらずくれるのだった。全国ニュースをピルサダさんはわたしの家のテレビで見る。東パキスタンの難民が森へ流れ込みインド国境を超えようとし、押し進む戦車隊や倒壊したビルが画面には映った。

わたしは、ピルサダさんの家族は、本当は死んでいるのではないかと考え始める――。


テレビの画面に映る、逃げ惑う難民たちの切実さと裏腹に、リリアの住むアメリカではのどかにハロウィーンが行われていて、その現実の落差に言葉をなくしてしまう。

リリアは、ピルサダさんがインド人ではないとしたら「いったいどこが違うのだろうか」と入念に考えるようになり、ダッカの時間に合わせられたピルサダさんの懐中時計に思いを寄せる。

個人と個人の付き合いの背後には、大国同士の争いがあり、その微妙なずれと苦しみを、本作は見事に救い上げているのだ。

ラヒリの短編で、また私が素敵だなと思うのは、仔細に、アメリカの中で移民生活を送ることの描写が書かれているところ。ちょっと食べてみたい……!

料理は母がキッチンからつぎつぎに運んできた。揚げタマネギを添えたレンズ豆、ココナツ風味のサヤインゲン、魚とレーズンのヨーグルトソース煮込み――。あとからわたしも水のグラスや、くさび形に切ったレモンの皿や、トウガラシを持っていった。月に一度くらいはチャイナタウンへ行くことがあったから、トウガラシをまとめ買いしてフリーザーに入れておいた。指先でちぎって、料理にまぜ込むのだ。(本文より)

そして、学校での休み時間、独立戦争を学んだあと、男の子のグループは植民地とイギリス軍に分かれて、猛烈な追っかけっこをする、という描写も、物語のピースの1つとして、考えさせられるものがあった。

物語の終盤、リリアは、ダッカに帰ったピルサダさんからイスラム暦の新年を祝うカードがアメリカの自宅に届いたのを見て「はるかに遠い人を思うことを知った」と感慨深く思う。

自分の祖国と、また自宅を訪れていた「自分たちと同じようにしか見えない人」の国同士の複雑な事情を少女は知り、それでもピルサダさんと家族のために、リリアと両親は水のグラスで乾杯する。

物語の最後に、リリアが「ピルサダさんの家族の無事を祈って行っていた儀式」がさらりと書かれ、ほんのりとビターな終わり方で物語は幕を閉じる。

ラヒリの魅力が、伝わっただろうか。戦争の悲惨さやそれに伴う難民問題などは、教科書で箇条書きとして習うが、物語の形で浮き彫りにされると、とても自分ごととして考えられる。そういうのがフィクションの力であるし、ラヒリの小説の持つ凄さでもあると思う。

人に何かを伝えるとき、説明としてではなく、いったん物語のかたちに置き直すと、よりいっそう、その悲しみや喜びが、彩りを増すことがある。

ラヒリの作品を、これからも読んでいきたい。みなさんにも、お勧めしていく。購入はこちらから。


この企画をもとに書きました。




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