能登支援noteを作りクラファンリストと直接寄付先リストを公開しました
こんばんは!上田です!
このたび、noteで能登支援noteという別アカウントを作成し、令和六年能登半島地震でのクラウドファンディング先リストおよび、寄付リスト(個人・団体への直接寄付先)を公開しました。
私の実家は、石川県輪島市です。生まれてから18年間を過ごした大切な街が、また奥能登一帯が、このたびの震災で甚大な被害に遭っております。
震災のあった元旦、私は輪島の実家に帰省してまして……立っていられなくて、机の下に隠れたつもりが床を転げまわるしかできない揺れ、すぐに流れた大津波警報、逃げた高台から朝市通りの火事を呆然と見ていたこと…忘れられない記憶として、脳裏に焼き付き離れません。
逃げた高台で、寒さに震えていたら、すぐ横の店の人がトイレや毛布、道に敷いて座るための布団を貸してくれたり、お菓子をくれたりして…その晩は長時間車のなかで過ごし、冷たいおせちを車中で食べました。
私が、不便な思いをしたのは、ほんの数日。それでもつくづく「お風呂やトイレが使えず、いつ揺れるかわからない、暖房も使えない、劣悪で不安な環境下で過ごすと、人の心はあっという間にすさむし病む」ということを突きつけられた数日でした。
いままでの大震災や、戦争のニュースなどをテレビで見ていて、自分なりにしていた「心配」は、いったいなんだったのか。すごく薄っぺらいものだったんじゃないのか。そう思うほどの、経験でした。
私と夫は現在金沢に住んでいて、二人とも年明けから仕事もあったため、発災して数日後に「ほんとに帰っていいのだろうか」と思いながら輪島を出て、金沢の家に戻りました。
そのあと、輪島の実家に帰り、片付けなどもしていますが(実家は準半壊レベル)金沢で過ごして数ヶ月、揺れることがなく、あたたかく、快適に過ごしていると逆に罪悪感や申し訳なさが募ってきて……
がれき処理や炊き出しで、現地でがんばっている人たちを見て、私も、自分にできることを、積極的に探そうと思いました。そして、Xで、2月はじめぐらいから、クラファン情報をよく見かけるようになって。最初は、クラファンをやったことがなかったので、目についたところを支援していたのですが、そのうち、タイムラインで見つけた情報を、見逃すようになってしまったんです。
一度見逃したら、どこの会社さんのどのクラファンだったのか、わからなくなってしまう。リストがあったらな、と思いました。そして、ハッとしました。
「私がクラファンリストをほしいように、能登を支援したい人で、同じくリストがほしい人もいるのでは…」と。
まず、自分のために作ってみよう。そう思って始めたリスト作成でしたが、どんどん、件数が思った以上にふくれあがって、改めて被害の大きさを思い知りました。
3月初旬に、3泊4日で輪島に帰ったのですが、傾いたままの電柱、1階部分が完全に倒壊し、がれきが道路にばらけ出ている家屋、隆起して浜辺部分がなくなりかけた海、燃えた真っ黒な建物の跡地となっている朝市通り、そして、生まれ育った全壊判定の祖父宅…心をえぐられる風景ばかりでした。
避難した人もいますが、能登に残っている人もたくさんいます。一度金沢に避難した私の両親も、これから数ヶ月以内に輪島に帰り、そこで暮らしを立て直していくと言っています。
クラファンに対し、いろいろなご意見があることは存じております。 ただ、私は安全な場所にいてつつがなく生活を送っていることにどうしても居心地が悪くなってしまって。自分にできる範囲の「小さなボランティア」として、まとめを始めました。
震災の現状を見通し、的確な意見を言うことはあまり向いていないため、自分にできる役割を探した結果、クラファンまとめを作るという形で、行動に移しました。
私は、自分なりのアクションで、周りのためになることに、これから手を伸ばしたい。こうしたアクションをしたのは、初めてでしたが、この先自分に何ができるのかの見極めのひとつになったと思っています。
お願いがあります。
この記事を読んでくださった人は、ぜひ記事内で引用されている、クラファンリスト、直接寄付先リストも御覧ください。そこに載っているクラファン情報、その中の被災事業者の声明を、ほんの少しでも御目通しいただけないでしょうか。被災事業者の声に、耳を傾けていただけないでしょうか。
リスト作成を行ってみて、私はつくづく知ったんです。ひとつの商品の後ろに、それを制作している人がいて、そんな人たちが集まる会社があって、その人たちと会社がつつがなく機能してこそ、私たちは普段さまざまな商品を享受できるんです。
お菓子も、調味料も、飲食店も、うつわを売るお店も、民宿も、インフラを担う会社も、木工店も、美容室も……生きている人が、何かを作ったり売ったり、サービスを提供したりして、日々の糧を得ていて。
でも、地震はほんの数十秒で、それらをめちゃくちゃに壊しました。つくるのには時間はかかるけど、壊れるのは一瞬で、そして壊れたら、簡単に戻せない。
地震のあと、何度「街が元に戻らないかな」と思ったか、わかりません。でも、血の涙を流しても、時間は巻き戻りません。
私の作成したクラファンリストでは、できるかぎり、クラファンをやっている事業さまのSNSも見つけて一緒にご紹介しております。ひとつの商品、ひとつの企業の後ろにいるのは、生きていて血の通った人だということが、それぞれのSNSを見ているとよくわかります。そんな人たちの生活ごと、地震はぐちゃぐちゃにしました。
クラファンをした結果、同じ被災事業者間で格差が広がること、クラファンをしたくてもできない人がとてつもなく多くいることは、分かっており、とても心苦しいです。
でも、どこかの事業者にお金が集まり、少しでも助かった結果、それは周りにいるほかのかたにも波及するかもしれません。きれいごとかもしれませんが……でも、自分が助けやすいところから、アクションしていくことでもいいことにしよう、と私は思いました。
「能登を助けたい」「なんとかしたい」と気持ちは強くても、実際自分にできるスモールステップからやっていくしかない、と。そのステップが小さいことを、ふがいなく思うこともありますが、現実的な力もないのにヒーローになりたいことのほうが、危ない思想であるかもしれません。
自分の足元から、一歩ずつ。そのことの大切さを忘れずにいたいです。
以前、一緒にお仕事をさせていただき、クラファンにチャレンジなされた岩多箸店さんがとても良い提言をされておられましたので、ご紹介させてください。私のクラファンまとめ・寄付先まとめのご紹介も、ありがとうございました。
お願いします。リストをどうか、御覧になっていってください。たくさんの事業者さまの声を、聞いていってください。
能登は、とても美しいところです。
そのふるさとを、取り戻したいです。
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