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永遠のその先

毎晩パソコンに向かって仕事をする私の手元には、フォトスタンドに収められた古い写真がいつもある。写真の中では、三人の制服姿の女の子が並んで仲良さげに笑っている。

一人は私。あと二人は、千絵と遥だ。私たちは高校時代、お互いのことを「親友」と呼んでいた。写真の中の三人は永遠に高校二年生だけど、私たちは等しく齢をとり、今年で三十二歳になる。

そして、三人の距離は、毎秒、毎秒離れつつあることを実感する日々だ。私はもう、千絵と連絡をとらない。遥には、電話をかけられない。

私、黒田雪は少女小説家だ。ティーンの女の子向けの、甘い砂糖菓子のような恋愛小説を書いて、日々の糧を得ている。純文学にも手を出そうとしたが、そっちは売れず、結局自分の妄想を甘い綿菓子にくるんで提供する、少女漫画の小説版みたいなものには一定のファンがつき、年に三度ほど、本を出せるようになった。去年ようやく実家を出て、一人暮らしのアパートを借りた。生活はぎりぎりだけれど、親に過干渉される毎日から逃れて、ようやく胃の痛みが消えた。

きりのいいところまで書き上げたので、パソコンを閉じて、コーヒーを淹れ、私は編集部から届いていたファンからの手紙の封を開けた。

「先生のお話が大好きです。先生はきっと素敵な恋をたくさんされたのでしょうね。私にもいま片思いの人がいます。隣のクラスのA君で…」

そこまで読んで、ぱたりと手紙を閉じた。素敵な恋をたくさん、だなんてとんでもなかった。私は三十二歳にして、誰ともつきあったことがない。デートの話も、キスの話も、すべてが自分の頭の中でつくりあげた妄想を書きなぐったものだった。大学時代に、一度だけした片思い。その思い出をベースに、シチュエーションを変え、台詞をねつ造し、すべての話を書いていたけれど、皮肉にも、妄想だけでつくりあげられた私の話は、なぜかリアリティがあると、評判を呼んだ。

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(雪の小説読むと笑える。嘘ばっかりだもん)

今思えば、千絵の言った一言は正しかったのだけど、正しいがゆえに、私はひどく憤って、千絵と絶交した。千絵が私を馬鹿にしていたように、私もある意味では千絵を軽蔑していた。千絵は、三か月ごとに彼氏が変わっていたから。

大学で男を知った千絵は、ことあるごとに、私に今日はこの人とデート、来週は合コンなのと自慢した。私は千絵を、軽い女だと思った。千絵から見たら、私は重い女だったのだろう。たった一回きりの片思いを後生大事に抱えて、一緒に出掛けたこともないのに、何もされてもいないのに、めんめんと小説に思いのたけをぶつける私を、千絵は理解しがたかったのだろう。

千絵は男をとっかえひっかえしたあげくに、最後はホストにはまり、私に二人の恋がどれほど運命的かをとうとうと語るようになった。私はだんだんと千絵からの電話をとらなくなり、私と千絵の関係は断絶した。

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(雪、本出したんだ、すごいね。でも、ごめん、忙しくて、読む時間ないや。今日も陽人のお迎えなの)

千絵との関係が途絶えても、私には遥がいる。そう思っていた時期もあった。私は社会にいち早く馴染んで、ばりばり仕事をする遥を尊敬していた。遥は突き進むように仕事をし、でもなぜか二十代の終わりにふらふらしている劇団員の男と結婚し、子供ができたあとにすぐ離婚して、今はシングルマザーで息子の陽人くんを育てている。

遙を傷つけた男を私は憎み、心配して頻々と電話をかけたが、だんだん遥が私の電話をとらなくなった。五回かけるうちの一回出たときに、「忙しいの、ごめんね」と言われた。

(雪のこと、もちろん大切な友達だと思ってるよ。でも仕事と育児でいまは手一杯。雪のほうにまで、振り向ける余裕がないの)

きっぱりとそう言われて、ああ、遥を思いやるたった一つの方法は、私が連絡をとらないことなんだ、と気が付いた。その晩は、とても泣いた。

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私たちは高校生の頃、本当にお互いがお互いを必要としていた。一緒に早弁をして、あくびしながら授業を聞いて、携帯も当時はなかったからこっそり手紙を回して。カラオケに行って歌ったこと。修学旅行の夜。スカートをどこまで折りこめば、一番制服から出る足がきれいに見えるかについて、語り合ったこと。

心の中の思い出は、いつでもきらきらしていて、高校時代、三人がたしかにつながりあっていたことを、消えていく記憶をたぐりよせながら、思い返し、三人が仲良く笑う写真を見ながら、今夜も私は仕事をする。

私は、担当編集者から届いたメールを、もう一度開いて読みなおす。

「黒田先生の小説、いまファンもついて、上り調子なので、ここらへんで、新しいお話を書いてみませんか? 女の子同士の友情の話も、いま人気があるので、黒田先生に書いてほしいです。期待しています」

永遠のその先も、ずっと続く、友情の話を、私に書けというのですか。破れた恋を肴にして、大風呂敷を広げられる私なら、たとえ永遠の友情を知らなくても、きらきら光る女の子たちが、ずっと楽園で遊んでいられる話を書けるとでも。

千絵。
遥。

私は、あなたたち以外に、親友だと思える人に出会ったことがない。高校時代、厳しい父に頬を打たれ、大雪の日に出て行けと言われたときに、千絵と遥だけが、私のSOSに応じてすぐに駆けつけてくれた。遙の家に、三人で泊まったあの日の思い出を捨てきれずに、私はいまも立ち尽くしている。
担当編集者に電話をかけた。

「書きます。ただ、お願いがあります」
電話口で彼は、穏やかに、なんでしょう、と言った。
「もう嘘は書きたくないんです」
担当編集者の静かな息遣いが聞こえる。

「うまくいく話だけじゃなくて、だめになる話も、書かせてください。売れないかもしれないけど……私、恋も友情も、全部だめになったことしかないんです。それは私が未熟なせいだけれど、でも、少しずつ、いまからでも、大人になります。だから、嘘をもう書きません」

「黒田先生は、もともとは純文志望でしたよね。最初に会ったときに言っていたこと、覚えています。少し休まれて、そちらのほうでもう一度がんばるのもいいかもしれませんね」

「ありがとうございます」
「ただ」と彼は言った。
「古今東西、名作と言われる文学は、どんなに絶望的な話でも、かならず光がありますよ。光を最後に書くことと、嘘を並べ立てることは違う、と僕は思います。再挑戦、がんばってくださいね」

そう聞こえて電話は切れた。しんとした家の中は、冷蔵庫のぶうんという音だけが響き、私はこれから何をすべきか考えた。

千絵との仲も、遥との仲も、一朝一夕に元通りになるものではない。それを身をもってわかった上で、ただ祈ろうと思った。

千絵が救われますように。
遥が眠れますように。

離れていても、遠くても、私には二人のほかに、親友と呼べる人はいないのだから。

#小説 #短編小説

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