【小説】さくら押し
春は、店頭も桜色であふれる季節だ。コーヒーショップのタンブラー、ステーショナリー、スプリングコートに、春色リップ。私は年中、桜色のグッズを集めているが、春ほど、それらをゲットするのに適した季節はない。
「これとこれとこれもください」
試着室で合わせた桜色のカーディガンと、桜模様のヘアピン、薄紅のストールはどれも似合っていた。もちろんピンクだけでコーディネートすると、さすがにファッションセンスを疑われるから、ほかの色とも合わせるけど、一日のコーディネートの中にピンクを入れない日はない。
こんな私は会社では「ぶりっ子」と呼ばれて意地悪されたり敬遠されたりすることもたびたびだが、そんなことは気にしない。
それよりも、桜色グッズを集めることで、あこがれのあのひとに、少しでも近づけるのなら、それでいい。
ショッピングのあと、カフェで待ち合わせ相手を待ちながら、私はスマホで「apple-girls」の公式サイトをチェックする。「apple-girls」は私の推すアイドルグループで、私の「押し」は若宮さくらちゃんだ。
もともと、さくらちゃんが自分の名前から集めていた桜グッズを、彼女を「押し」とする私たちファンも集めるようになった。桜色グッズを集めることは、彼女の激アツファンであることの何よりも証なのだ。
「女の子なのに、女性アイドルが好きなの?」というのはよく聞かれる質問だ。男性アイドルにときめかないわけじゃない。でも、つけているリップカラーを真似したり、歌って踊る彼女の肢体を見て「私もあんなふうにきれいになりたい、さくらちゃんに近づきたい」と気持ちをアゲることは、何より彼女を応援する醍醐味だ。
「apple-girls」のライブ情報を眺めていると「お待たせっ」と声をかけられて、私は顔を上げた。こちらを見て笑いかけていたのは、やはり「apple-girls」のファンである小島美香子ーー私がコジミカと呼んでいるファン仲間だった。
「あいかわらずピンクで決めてんね、華ちゃんは」
コジミカは私を見て、にまにま笑う。今日は薄ピンクのワンピースに、白いカーディガンを羽織り、濃いローズ色のバッグを持っている。さっき買った桜のヘアピンもつけた。今年三十一歳になる女の恰好としては、少々痛いかもしれないが、さくらちゃんへの愛を表明するためだから、別に事情を知らない他人に何と言われようと気にしない。
そういうコジミカは、全身黒でコーディネートをまとめ、メッシュの入った短髪が似合っている。コジミカはアイドルだけじゃなくてロックバンドにも「押し」がいるから、彼女のファッションはどちらかというとバンドファンに寄せているようだ。
コジミカは「apple-girls」では坂東ちづるちゃんを押している。「apple-girls」ファンが集うネットの掲示板で、私はコジミカと出会い、ときどき一緒にライブに行くようになった。
私はさくらちゃんを熱愛するあまり、「apple-girls」の中で「同じくさくらちゃん押し」という子には、嫉妬してしまって仲良くしづらいことも多い。コジミカとは担当が違うから、上手くやれているのだろう。
「次のライブ、三月三十日だって。コジミカ、行ける?」
「もっちろーん。土曜日だし余裕。楽しみだね」
私たちはそのあと「apple-girls」の新曲についてひとしきり語りあって別れた。
家に着くと、床が見えなくなるくらいに、部屋には桜色のグッズが散乱していた。ワンルームの狭い部屋で、桜色グッズを買いすぎて、収納場所があまりないのと、もともとの散らかし癖で、すぐに部屋がこうなってしまうのだ。
さくらちゃんのために買ったグッズでいっぱいの部屋で、私はDVDをセットして「apple-girls」のライブ映像を見る。繰り返し、見る。小さなライブハウスのハコの中で、跳ねて、歌って、踊るさくらちゃん。
彼女たちは決してメジャーなわけじゃない。曲はカラオケ配信もされないほどの小さなグループ、いわゆる「地下アイドル」といってもいいかもしれない。
でも、私は五人いるメンバーのなかの「さくらちゃん」が好きで仕方ない。ピンクのふりふりのアイドル衣装に身をつつみ、ふわっとしたポニーテールをなびかせ、歌い踊る彼女の笑顔に、どれだけ「尊い……」と元気をもらっただろう。
それもこれも、彼女を知ったすべてのはじまりは、三年前の春、失恋してやけ酒を毎晩一人で飲んでいたときのことだった。
失恋というのは、要するにふたまたをかけられたうえに、相手に逃げられたのだった。自分がいつか結婚すると思っていた男は、知らないうちに、美人の若い女と挙式を上げていた。ようするに、ただの浮気相手だったのだ。
毎晩泣いて泣いて、そんなときにたまたま眠れずに聞いていたFMラジオで、ちょうど「apple-girls」が出演していた。
その日のトークのお題は「一番つらかった失恋の思い出」17、8やそこらの年若いアイドルに、そんなにつらい思い出などあるものか、と最初は斜に構えて聞いていた。
そんな中、若宮さくらと名乗る女の子が話し始めたのだ。
『あたし、高校生のときに、すっごく好きな人がいて、でもその人は、私に振り向いてくれなくて、ほかの女の子とつきあっちゃったんですよね。そのとき、誓ったんです。死ぬほどかわいくなって、彼の手の届かないところまでいっちゃおう、って。だから失恋したみなさん、もう泣かないで。あなたは絶対、今より素敵になれるから』
それを聞いて、私は泣いた。さくらちゃんの「apple-girls」結成のころの写真を見ると、たしかに今よりずっと、ダサいというか、あか抜けないのだ。どこにでもいる普通の目立たない高校生、という感じなのだ。それが、めきめきと、日を追うごとにかわいくなって、いまでは「apple-girls」の中でも、1、2を争うほどの人気メンバーだ。
さくらちゃんが輝けば輝くほど、その背中を追う自分も、キラキラできる気がした。さくらちゃんが集める桜グッズをまねて、身に着けるピンクは、いつしか私の戦闘服となっていた。
三月三十日は、会社の仕事を終えると、そのままライブハウスへと向かった。今日はライブのあと、握手会もあり、その場でさくらちゃんとチェキも撮れる。ドキドキする気持ちを抑えつつ、会場近くでコジミカとおちあって、一緒にライブハウスへと入った。
小さい会場は熱気で満タンで、ざわざわしていた。さくらちゃんを見るために、私は今日も生きている。
ふっと照明が落ち、ステージがスポットライトで照らされる。
「みなさぁーん!!! apple-girlsでーーーーす!!! こーんばんわぁー!!!」
ステージ上に光を背負って影となった五人の姿を認めて、私たちは歓声を上げる。
とたん、ぶわっと、演出用の桜の花びらが、ステージの上からアイドルたちへと振り注いだ。五人の中心に、さくらちゃんがいる。
「新曲『桜の季節』を歌います。春にふさわしい、応援ソングになりました。どうぞ聞いてください!」
桜ちゃんがソロで歌いだしたのを見て、私は涙を流した。さくらちゃんに会えたから、たぶん私は、生きてこれた。どれだけ散財しようと、桜色に身を包んで会社の若手女子から「痛い」と噂されようと、そんなのへったくれもなかった。
ステージ上で、光っているさくらちゃんを今夜も見れたから、私は明日もその先も、きっとひとりで歩いていける。何にも負けずに、歩いていける。
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