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【小説】週末段ボール

アパートのチャイムが鳴ったとき、私はまだ布団のなかでまどろんでいた。口の端によだれをつけながらあわてて飛び起き、廊下に飛び出して玄関ドアを開けた。宅配業者のおばさんが、私に向かって笑顔で大きな段ボールを渡そうとしている。


「サインもいただけますか?」

ええ、と答えて段ボールを受け取り、上がり口に下ろす。箱は予想より重かった。おばさんが帰ったあと、ふわあとひとつあくびをして、私はあらためて差し出し人を確認した。春山友弥。――夫の名前だ。思わず、口元に笑みが広がる。


私たちは結婚して四年すぎたところだが、一緒に暮らしていない。仲が悪いという理由の別居婚ではない。いわば、週末婚だ。私たちは、それぞれ金沢の会社に勤めており、三か月前までは一緒に暮らしていた。だけど、私が上司から、打診を受けたのだ。


「春山さん、関東の本社で春から仕事してみない? 大きなプロジェクトがあって、春山さんにぜひとも参加してほしいのよ」

私の直属の上司である皆本さんは、女性だけど課長職まで出世している。仕事がすごくできるうえに、部下のことも気にかけてくれていて気風がよく、あこがれの女性だった。関東の本社での、私が仰せつかった本社での広報業務は以前からとても興味があるポストだったのだ。


案の定というかなんというか、私の両親はいい顔をしなかった。


「は? 妻が単身赴任? 友弥さんのお世話はどうするのよ。一緒に住まないで、夫婦なんて言えないわよ。あなたが家にいない間に、浮気されたって、何も言えないのよ。あなただって、久しぶりの一人暮らしで魔が差さないとも限らないし」


口の悪い母からそう言われて、私も悩んだ。でも最終的には、友弥の言葉が私の背中を押してくれた。


「瑞奈、行ってきなよ。前からずっとやりたかった仕事なんだろう? 僕が一人でなんでもできること、お義母さん知らないんだっけ? 課長さんが二年で金沢帰してくれるとも言ってくれてるんだし、この経験は瑞奈のこれからに役立つはずだよ」


友弥の言葉にじいんと胸が熱くなった。仲のいい夫と離れて暮らすのが寂しくないはずはないが、彼が私のキャリアのことまで考えて、背中を押してくれたのがただ嬉しい。


しかし、関東で小さな部屋を借り、いざ広報の仕事を始めてみたら、予想をはるかに超えて私は忙しい日々を送ることになった。

メディアからの取材の応対や、社内外に商品をアピールするイベント企画に駆けずり回り、社内報の制作、SNS・ブログ発信。連日遅くまで仕事が続き、やりがいはあったが食事をコンビニ飯で簡単に済ます日が続いた。


「ごめん、今週も金沢に帰れそうにないよ」

電話口で私は謝った。友弥は、週末は地元のサッカーチームの事務局の手伝いをしていて、なかなか東京のほうには来られないので、私が週末ごとに金沢に帰省するつもりだった。

でも、疲れ切っていて新幹線の切符を予約することすら叶わない日が続いた。毎週、ほんとうは自分の慣れ親しんだ夫婦の部屋で、友弥と過ごしたかったのに。そう思うと、自分の決断した関東での赴任自体、それでよかったのかという気になってきた。


「食べてるの? ――寝られてるの?」

電話口で、友弥の声に心配の色が混ざる。


「関東へ行けたらいいんだけど、土日はチームの試合があって、僕も事務方で駆り出されちゃってるからなぁ。――よし、そしたら、すぐ食べられて栄養のあるもの送るよ。土曜の午前中、宅急便で着くようにするから受け取って」

――そして、今朝。ガムテープをぺりぺりとはがして、友弥からの段ボールを受け取った私は驚きのあまり口元を押さえた。食べものを送るというから、てっきりフリーズドライのスープだとか、果物だとか、栄養補助食品とか、そのようなものだと思っていた。

でも、重たい段ボールの中身は、冷凍されてチルドパックに入った、友弥手ずからの肉じゃがやキーマカレー、大根と鶏手羽の煮ものなどだった。

一緒に暮らしはじめたときから、友弥はとても料理が上手く、夕食当番は二人で交替していたが、どちらかというと私以上にその味は美味しいのだった。


「なんでそんなになんでも作れるの」

そう訊いたことがあった。友弥は肩をすくめて、


「うちは母子家庭で、母はずっと外で働いていたから、自然と自分がご飯係になってさ。でも味付けで、食べものがいろいろ変化するのが面白くて、基本家事はどれも嫌いじゃないんだよね」


と笑った。その友弥が、私のために作ってくれた冷凍おかずが、段ボールのなかに整然と詰められていて、私は感激した。

久しぶりにお米を研いで、コンビニおにぎりじゃないごはんを食べた。肉じゃがを解凍して、ご飯と交互に食べたらすごくほっとした。


「美味しい」

つい言葉が口から漏れ出て、ついっと涙も流れた。友弥に会いたい。

次の週も、目の回るように忙しい日々が続いたが、冷凍庫に友弥のおかずがあると思うと、いつも以上にがんばれた。家に帰って、お鍋で凍ったおかずを温め直し、一口一口噛みしめて食べた。そして、なんと驚いたのだが、一週間後に、また中身の違う段ボールが届いた。

今度は、肉団子の甘酢和えに、きんぴらごぼう、ポトフなど。いくら趣味が料理とはいえ、手間がたいへんではないだろうか。友弥も仕事に行っているのに。そう思って、電話をかけたがつながらなかった。

お風呂にでも入っているのかな、とそのときは思って、気にしなかった。私も眠くなり、布団にもぐりこむと一気に疲れが襲ってきて、電話をしたことすら、その電話が翌朝も折り返しがなかったことすら忘れて、朝起きるとまた戦場じみた仕事場へ向かった。


仕事から帰り、友弥に電話をすると、今夜はちゃんとつながった。そこで私は、先日つながらなかったことを思い出し、友弥に「そういえば」と言った。


「昨日の夜も、お礼の電話をしようとしたんだ。でもつながらなかったね。お風呂にでも入ってた?」


友弥は一瞬考えているふうだったが、すぐに答えた。


「ああ、うちでサッカー事務局の仲間たちと、飲んでたんだ。僕のお手製料理でさ。結構みんな酔っぱらって、大きい声で喋ってたから、着信が聞こえなかったんだと思う」


「そっか、そうだったんだ」


一瞬、私たちの家に、友達を上げたのか、と思いなんとなく面白くなかった。でも、私は週末婚といいながらだいぶ帰宅していないし、友弥だって一人きりでいつもごはんを食べるのは味気ないだろう。これは断じて責めたりしてはいけない、そう思っていると、友弥が言った。


「今週も、おかず送るつもりだから」


そう言われて、私は「いいよ、今週は」と言った。


「友弥のおかげで元気が出てきたから、今週こそ金沢に帰る。家で、今度は私がごはんつくるよ。友弥の好きなもの、つくるから」


「そう? じゃあ、手巻き寿司がいい」
「そんな簡単なものでいいの」
「かまわない」


電話を切った後、久しぶりに友弥と会えると思ったら胸が弾んできた。早く、早く会いたいな。そう思いながら、ベッドに入って眠った。


週末、金沢駅まで友弥は車で迎えにきてくれた。助手席に乗り込み、久しぶりの金沢の街並みを、車窓を通して眺めながら、


「あ、でも今日はサッカーの試合じゃないの?」


と聞くと、友弥はハンドルを握りながら言った。


「いまから、試合会場に瑞奈も連れて行く。瑞奈だけ家に送り届けてもいいけど、せっかくだから一日瑞奈といたい。疲れてるとこ、悪いけど」


「ううん! 今日はこんなにいいお天気だし、外は気持ちいいよね。一緒にいられるのは嬉しいよ」


会場の事務室につくと、友弥は事務局スタッフ用のウェアに着替え、私をスタッフ仲間に紹介してくれた。友弥と同年代の男性も多いなか、ぽつぽつととても可愛い若い女の子もいる。みんなメイクが上手で、綺麗な子ばかりだ。この子たちも、ひょっとしてうちに上げたのかな、と思うと少し苦しくなった。


「おおーっ、この人が奥さんの瑞奈さんですね! 大人っぽい! デキる感じ!」


スタッフ仲間の森谷くんという大学生ぐらいの子が私に単刀直入に言ったので、友弥は苦笑した。


「私にも、せっかくだから何か手伝わせて? なんでもやるよ」
「瑞奈はいいよ、休んでて」
「こういうイベント好きなのよ、やらせてよ」


私の申し出に、友弥は苦笑すると「じゃあお願いします。佐波さん、ウェア女性向けのもう一枚あったっけ?」と、女の子スタッフに頼み、私の分のスタッフ服も調達してくれた。


みんなでわいわい当日チケットを売ったり、アナウンスをしたり、休憩時の飲み物でカンパイするのは楽しくて、私も「いい仲間が金沢にいて、友弥にとってよかったなあ」と思っていた。


試合が終盤になり、トイレに行ったとき、さっきウェアを手渡してくれた佐波さんという女の子と手洗い場で一緒になった。


「先日、友弥さんにみんなでおうちに招いていただいて、美味しい料理をいただいたんですよー」


屈託のない言葉からは、裏の意味は感じ取れなかった。


「あ、そんなことがあったって、夫からも聞いてます。ふだんから夫がお世話になっているようで、ありがとうございます」


無難にそう返すと、佐波さんは急に声をひそめた。


「あの晩、友弥さん、すごく酔っぱらってましてね」
「は、はあ」

なんの話が飛び出してくるんだろう、とドキドキした。


「瑞奈を関東に送り出したはいいけど、心配でいられない、サッカー事務局をやめて、僕のほうが週末関東に会いに行ったりフォローをもっとすべきだろうか、ってくだをまいてたんです。それで、冷凍のおかずを毎週宅急便で送ってるっていうから、みんな驚いちゃって」


私はいままで知らなかった友弥の想いに気づかされて、棒立ちになった。濡れた手から雫がぽたぽた床に落ちていく。


「あの宅配便、マーキングなんですって」
「マーキング」


「ほら、犬がおしっこ電柱にかけて、ここがオレのなわばりだぞっていうみたいな。冷凍庫に、自分がつくったおかずがいつもあれば、瑞奈は自分のこと忘れないんじゃないかって、もー、最後は泣いてましたよ? あんなかっこ悪い友弥さん見たの初めてで、みんな爆笑してました。――瑞奈さん、ほんと愛されてますよねっ」


そう言って、彼女はまた歓声で沸く試合会場のほうへと、行ってしまった。その背中に、私はそっと「教えてくれて、ありがとう」と呟いた。


今夜は、友弥のために、ちょっと贅沢していいお刺身を買おう。そして、できたら、来週もがんばって帰ってこよう。そんな思いを胸の中で転がしながら、私は抜けるように青い金沢の空を見上げた。


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