見出し画像

物語を書きながら探す道のこと

「商業小説家の世界は、本当に厳しい」――というのがこのところの実感です。プロの一般文芸の方の作品の1冊分の分量は、だいたい原稿用紙300枚くらいからで、逆に言えばその分量がコンスタントに書けないと、生き残っていけないんだと思います。

そして、そのくらいの分量が書けて、一定のクオリティを超えているにも関わらず、小説でヒットを飛ばしたり、それのみで生活していくのはとても難しいそうです。才能に輪をかけた才能が必要ということですね。

50枚書くのにまだふうふういってる自分には、途方もない遠い世界だなあとよく痛感しますね。才能のある人はいくらでもいて、才能があったとしても、さらにそこから一段も二段も飛びぬけていないと、小説を書いて十分生活していけるほどにはならないんだと聞きますね。

私は、この頃原稿用紙30枚くらいの作品なら、1、2日で書けるようになってきました。で、思うのが、noteに投稿すると30枚までくらいならわりと読んでもらえるんですね。皆さんパソコンだったり、スマホ片手に、日々の隙間で読んでもらえるんだと思います。

30枚以上の作品だと、果たしてそこまで長いものをPC・スマホ上で人は読むのか? という問題が出てきてしまうのですが、片手間に読んでいただけるのだとしたら、30枚までは適正な長さだと思います。それで、30枚――1万2千字で表現できる小説世界、というのも、結構いいものです。思いのほか、いろんなことが書けるんです。

それで思ってしまうのが、30枚までの長さをnoteにコンスタントに発表しつづける趣味人としての作家、というあり方も、今の時代に適したやり方なのではないかと思います。私にものすごい才能があって、300枚の作品を毎月すらすら書けるよ!というのだったら、もうプロになっているとは思うのですが、自分をよくよく見た結果、そういう生き方をするには才が足りなさ過ぎてきっと苦しくなってしまうので。

私がなぜほかの小説投稿サイトに行かずnoteで作品を発表しているのかといえば、理由があり、それは、ヘッダーに写真がさしこめたり文字のレイアウトがとても見やすい、というサイトデザイン上の美点がひとつ、そしてnoteに集まって来る人の人間的すばらしさがふたつ、です。

noteを三年も書き続けられたのは、もう本当に素敵なコメントを日々いただいているという理由にほかならなく、本当に、noterさんたちには感謝しております。

300枚以上の長編を書くのは、人生の目標のひとつですが、それとは別に、このnoteという場で、定期的に作品を発表して、スキやコメントをもらっていく喜びっていうのも、決して夢がないとか、目標が小さいとか、そんな言葉で計れることではないんだと思っていて。

人生と、夢との折り合いは、上手くつけていきたいものです。いつも読んでくださる皆さん、改めて、本当にありがとうございます。これからも、がんばってnoteで小説の発表をしていきますので、どうぞよろしくお願いいたします。

いつも温かい応援をありがとうございます。記事がお気に召したらサポートいただけますと大変嬉しいです。いただいたサポ―トで資料本やほしかった本を買わせていただきます。