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【第4話】ハンバーグの結んだ縁

第1話「オムライスの届け先」
前話「アイスクリームの淡い夏」

九月下旬、洋食屋『ななかまど』のケーキのショーケースには、私の母のお手製のモンブランが並び始めた。栗のモンブランと、かぼちゃのモンブランが、週替わりで楽しめる。接客をしながらも、ちらちらショーウインドウを見つめる高瀬さんが可笑しくて、私はつい口を出してしまった。

「高瀬さん、栗とかかぼちゃとか、好きなんでしょう」
「はい、大好きです!」 

私に図星を指された高瀬さんは、顔を赤らめてそう言うと、続けた。

「でも、男の人って、余りモンブラン好きじゃない方が多いかな、って。かぼちゃとか栗とか、うちの元夫は好きじゃなかったです」

「そうかなあ? うちにほら、よく来る林田のおじいちゃんとか、この季節になると、よく注文するよ。林田さんて、ほら、夏でもツイードのジャケットをぴしっと着てる、品のいいあごひげの……」

「ああ、あの方。——でも、最近いらっしゃってないですね。最後に見たのが、八月の中頃だったように思います。二日、三日に一回は、それまでいらしていたのに」

「そういえば、そうだね。このところ、見ていないね」 

私と高瀬さんは、うーんと二人で腕組みをして考えた。

「そういえば、丹羽さんもこのところいらっしゃらないですね」 

高瀬さんの声に、私は寂しい本心を隠してそっけなく言った。

「丹羽さんは、きっとまた論文とか学会発表とかで忙しいのよ。そういう時期になると、ぱったり来なくなるのはいつものことだから。それより、林田のおじいちゃんが心配」 

林田のおじいちゃんはたぶん、七十代後半だ。五年ほど前に奥様を亡くし、それから一人暮らしを続けていると聞いている。
 
すると、レジ横の電話がリリリンと鳴った。時計は四時だ。すわ、丹羽か、と身構えたが、丹羽がこんな夕食前の時間に電話してくることはない。丹羽なら、だいたい店のラストオーダーの時間、九時半ごろを見計らって出前の電話をよこすはずだ。
 
高瀬さんが電話口に出て、応対をし始める。「はい、洋食屋『ななかまど』です。はい、あ、はい、……そうだったんですか。はい、了解しました。出前のご注文ですね」 

電話を置いた高瀬さんが、口を開く。

「林田さんの、息子さんからでした。林田のおじいちゃん、先月階段から落ちて骨折して、しばらく入院されてたんですって。やっとこの頃、杖をついて歩けるようになったんだけど、『ななかまど』にはまだ来られないから、今夜だけでも出前してくれないか、って」

「そうだったんだ、じゃあ、高瀬さん、店をお願い。私、出前に行ってくる。林田さんちはわかってるから。お店が忙しくなる時間までに帰って来るし、もし忙しくなったら、厨房の母さんにヘルプ頼んで」
「了解です」 

父が仕上げてくれた、お望みのハンバーグ定食と、栗のモンブランをおかもちに詰め込むと、私はスクーターに乗り、林田さんの家に向かった。 

古びた一軒家の玄関の前でドアチャイムを押すと、林田さんに目元がよく似ている息子さんが、玄関のドアを開けてくれた。

「父が、お待ちかねです。わざわざ、ありがとうございます」 

料金をいただいて、すぐに帰ろうとした私を、息子さんは引き留めた。

「父が、久しぶりに千夏さんとお話したいそうで。ちょっとの間だけでも、お茶を出すので、お付き合い願えますか」 

私は時計を見た。時刻は四時十五分。お店が忙しくなるまでまだまだ時間はある。ちょっとだけなら、と答え、靴をそろえて「お邪魔します」と上がり込んだ。 

息子さんは「じゃあ、僕はここで失礼します。二階にいますから、何かあれば呼んでください」と言いのこして階段を上って行った。 

林田のおじいちゃんは、籐の寝椅子に座り、私がおかもちを持って居間へ入って行くと、相好を崩して迎えてくれた。

「——悪かったね、千夏ちゃん。普段なら出向くところなんだが、どうにも、足がきかなくなってね」

「お見舞い申し上げます。ご注文のハンバーグ定食と、あと喜ばれるかと思って、この季節のケーキ、モンブランをお持ちしました」

「おお、わしの大好きなモンブランまで、ありがとう。千夏ちゃん、ちょっと使って悪いが、ハンバーグ定食は、テーブルの上に、モンブランは、まず仏壇に供えてくれるかね」

「はい」 

居間の隅にある大きな仏壇には、奥様の写真が立てかけられていた。簡単にお参りをして、モンブランを皿に載せて供えた。

「——家内が死んで、もう五年も経ってしまったよ。あいつは栗が好きでね。きっとこの供えられたモンブランも、美味しくいただいているだろうよ。それはそうと、千夏さん、わしと家内が結婚した縁が、ある洋食屋だった、っていう話はしたっけね?」

「いいえ、聞いておりません」
 
林田のおじいちゃんはにっこりすると、話しはじめた。

「わしが、まだ若い頃、この町に来る前は東京に住んでいて、家内を見染めて初めてデートに誘ったのが、当時できたばかりの洋食屋だったんだよ。そんなハイカラなもの、普段はよう食べんのだけど、家内はとても喜んでくれて、それからとんとん拍子に結婚の話も決まったんだ」

「そうでしたか。奥様が亡くなられる前、お店にお二人でときどき来ておられて、本当におしどり夫婦という感じでしたものね」

「晩年、この町で暮らすようになって、よくあんたの店には家内と行ったものだった。家内とわしは、あんたのとこのハンバーグが、初めてデートに行ったときのハンバーグの味と似てるといって、喜んだものだった。昔懐かしい味を、またあんたの店で、家内が亡くなる前に、たくさん食わせてやれて、本当に良かったと思うよ。——千夏ちゃん、あんたのお父さんから、あんたが店を継ぎたいと言っていると、聞いたけど、そうなのかね?」

林田のおじいちゃんの優しい目に、私は答えた。

「はい、そう思っています。父からは、いずれ、婿としてコックを迎えて、私が店の経営をやったらどうか、って」

「そうかい、そうかい」 

おじいちゃんは、しわだらけの目を細めて、孫の顔でも見るように、私を見つめると、言った。

「夫婦っていいものさ。積み重ねていく年月が、そう、このあんたのお父さん特製のドミグラスソースのように、深い味になっていくのさ。そのすばらしさが、千夏ちゃん、あんたにも、いつかきっとわかる」 

林田のおじいちゃんの話を聞くうちに、私は胸がしめつけられるのを感じていた。

大好きな丹羽——でも、きっと彼は、洋食屋を一緒に継いでくれたりはしないだろう。彼には彼の道があり、私には邪魔することはできない。丹羽と、結婚出来たら。夫婦として、長い道のりを、ずっと歩んでいけたら。そう思うのは真実なのに、店を継ぎたいという思いも、また別のたしかな真実で。 

洋食屋をとれば、自然と、丹羽のことをあきらめなくてはならなくなるのか。その事実は、ひどく重かった。

(俺の大事なツレだから、つれていこうとするなって) 

夏にデートしたときの、丹羽の言葉がよみがえって、私はぎゅうと目をつむった。洋食屋と、丹羽。——本当に、丹羽の手をとれることなんて、私の人生であるのだろうか。

「おお、御引止めしてしまったな。千夏ちゃん、ありがとう。また、良かったらときどき出前に来てくれるかね? 足が治ったら、また通わせてもらうから」
「もちろんです」 

そう言いつつも、私は柱にかかっている古時計を確認した。四時四十分。ふと、丹羽の顔が見たいな、と思ったのだ。林田さんの家から、丹羽のアパートまではわりと近い。いま、丹羽が、いったいどうしているのか、少しでも知りたくなって、顔を見れば、自分の一番大切なものが、何か、わかるんじゃないかって——そう思って、私は林田さんの家を出ると、そのまま丹羽のアパートへ向かった。 

ひどく緊張しながら、丹羽の部屋のドアをノックしてみた。急にたずねていって、何と思われるだろうか? 

そのときは「かぼちゃと栗のモンブランが並んだから、買いにきてよ」とでも言ってみようか——何しろ、一度「デート」したのだから、そう邪険にされることはないはず——。 

ノックに返事は帰ってこず、不審に思ったので、ドアを開けてみた。鍵はかかっていなかった。しかし、玄関のたたきを見て、私は固まった。——つやつやした、女物のワイン色をしたローヒールが、丹羽の革靴のとなりに、並んでいたのだった。

第5話「ジェラシー入りのミックスサンド」


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