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フィンランド〈光の教会〉でコーヒーを

2005年秋のこと。
私は大学の友人数人で、卒業旅行としてフィンランドに来ていた。

1年前に語学研修旅行で来た時は、7~8月で夜9時でも夏の明るい日差しに包まれていたけれど、今回、9月後半の街は紅葉に染まり風はすでに冷たくて、日中でもジャケットが必要だった。
とはいえこの旅の間の天候はとても幸運だったのだと、この後私は出会った人から聞かされることになる。

ともあれ、友人たちと一緒の旅の中で、個人的にどうしても行ってみたい場所があって一人で別行動をしたことがあった。

この話はその時にあった、私の宝物の思い出のひとつだ。

前年のフィンランド旅行から帰ってから知って、行ってみたいと思った教会があった。
ヘルシンキから電車で数駅のLouhelaにあるミュールマキ教会
フィンランドの著名な建築家であるユハ・レイヴィスカのデザインで、光の教会とも呼ばれる近代建築の美しい内装を実際に見てみたかったのだ。

ちょうど日曜日だったこともあって中に入ることができるかは不明だったが、ホテルで朝食を食べた後に出発した時には一人冒険に行くようでちょっぴりワクワクしていた。
もし中を見られないとしても、とにかく近くまで行ってみよう、と。

ヘルシンキ中央駅で切符を買いホームに出るも、どの列車に乗ればいいのかわからずしばし迷う。
目指すのはVantaakoski行18番ホーム。でもその18番ホームが遠かった。出発時間ギリギリになってしまい走って何とか間に合った。

乗客はそれほど多くなかった。誰もいないボックスシートを見つけてそこに座る。目的地まではほんの15分足らずで着いた。

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お目当ての教会は駅から見える場所に建っていたのだが、入り口がわからずに1周してしまう。しばらくうろうろした後ようやく KIRKKO(教会)➡ の看板を発見した。

そちらへ向かっていくとかすかに音楽が聞こえるような気がして、それに誘われるように歩いていくと、やっとガラスの壁越しに照明がついたエントランスらしい場所を見つけることができた。

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■教会の中へ

そろりとドアを開き中へ入ると、やはり音楽はその奥の扉の向こうから聞こえていた。――讃美歌だ。
エントランスには一人の老婦人がいた。私と同じように観光目的だろうか?

奥のホールでの礼拝の様子を覗くことができた。神父らしい人がマイクを使って話し、席を埋めた人々が時折立ってはパイプオルガンに合わせて歌っている。

さすがにその中へ入っていく気にはならないので、エントランスに置かれたパンフレットやポストカードを手に取りながら眺めたり、そこにあった椅子に腰かけて、礼拝が終わった後なら中に入れるかな、写真を撮れるかななんて考えていた。

そうこうしていると間もなくドアが開いて数人が中から出てきた。
そして教会の人らしい恰幅の好い黒スーツの男性が、ありがたいことに私に向けて ”中に入って見てください” と言ってくれた。
おかげで私は念願のミュールマキ教会の中に入ることができたのだった。

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■日本でも教会に行ったことはないのに……

教会の中は事前に聞いていたとおりとても明るく荘厳な雰囲気だった。
無数の星のように吊り下げられた美しいペンダントライトと、高い窓から幾層にもなって降り注ぐ太陽光。
人工照明と自然光の調和。これが光の教会と言われる所以なんだろうか。
祭壇の燭台にはキャンドルがともされ、緑色の長衣を纏った男性や、白い衣の女性たちがいる。

礼拝が終わったのだと思って入ったけれど、まだそうではなかったらしい。人々はばらばらに祭壇の前へ出ていき、ひざまずいて何事かを言う。それから前の長いテーブルに置かれた小さな杯に何かを注がれると、それを飲み干して席へ戻っていく。
私はキリスト教の知識が深いわけではないけれど、これが聖体拝領だろうか。
それをする人々がいなくなり、また全員が席に着くと、再び讃美歌が歌われた。その歌声はまるで本職の聖歌隊なのかと思うくらい美しく響き合って奏でられた。

そうして歌が終わり、神父(だろう、多分)をはじめとして十人ほどの長衣を着た人々が燭台を手に退場していった。すると残った人々もぞろぞろと立ち上がり始めた。
私は人々が出ていくのを待とうと、その場に邪魔にならないように立っていた。

その時、丸くて優しそうな顔をしたおばさんが英語で声をかけてきた。

”あなたはどこから来たの? 日本?”
私はうなずいてフィンランド語で答えた。――”日本です。私は日本人”
するとおばさんは、私がフィンランド語で答えたことにとても喜んでくれたらしい。
”これから別の部屋でみんなで一緒にコーヒーを飲むから一緒に行きましょう” と、誘ってくれたのだ。
数人でその部屋へ移動する間にも色々と訊かれ、私がフィンランド語を勉強していることを伝えるとフィンランド語で話をしてくれた。

”私たちはミサの後はいつもコーヒーを飲んでお菓子やパンを食べるのよ”  と、おばさん。
移動したのは礼拝をしたすぐ隣の部屋だった。入口に置かれた長テーブルには白いクロスが広げられ、その上にコーヒーポット、砂糖、ミルク、ケーキ、キッシュなどが色鮮やかに並んでいる。
本当に残念なことに、私はそれほどお腹が空いていなかったのでコーヒーだけ持って彼女たちの後にテーブルについたのだけど、“ケーキやパンもあるのよ。何がいい?”  と気にしてくれる。
ちょうどその時、温かいプッラがお皿に乗って運ばれてきたので私はそれを取ってまた席に戻った。

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プッラとは、こんな感じの菓子パン

たどたどしくてボキャブラリーもないフィンランド語の私だったけれど、何とかおばさんたちとコミュニケーションはとれた。何よりこの出会いが嬉しかった。
名前を聞かれたので答えると、”それは北欧では男の子の名前だわ” と言われる。そうそう、子どもの頃に好きだったアストリッド・リンドグレーンの作品に出てきたので私もそれは知っていた。
さらに驚いたことに、その場には日本語のわかる女性もいた。彼女は日本の教会で働いていたことがあるのだという。

そんなわけで英語、フィンランド語、日本語の入り混じる不思議なコーヒータイムは、多少の混乱もあったものの和やかに過ぎていった。教会の人が数人に花束を渡す小さなセレモニーもあった。

”フィンランドではミサでとてもたくさん歌うのよ。日本ではどうなの?”
 日本では教会の礼拝を見学したことすらないのでわからない。もしかしたら私もキリスト教徒なのだと思われていた気がするけれど、それをうまく伝える語力は無かった……。

なんにせよ、私にとっての礼拝初体験(見学だが)はフィンランドのこのミュールマキ教会となったのは事実だ。

■コーヒータイムの終わり

コーヒーをおかわりし、話に花を咲かせているうちにお開きの時間はやってきた。まず最初に私に話しかけてきてくれたおばさんが席をたち、仲間と別れの挨拶を交わした後に私の所へ来てハグしてくれた。
私は持ち歩いていた鶴の折り紙を彼女に渡した。彼女は ”あなたを決して忘れないわ” と言ってくれた。
それからもう一人、一緒におしゃべりしてくれた女性にも鶴を渡すと彼女は ”壁に飾るわ” と笑った。

私は日本に住んでいたことがあるという女性と一緒に教会を出た。すると、「もし時間があるなら少し散歩しませんか」と誘ってもらえたのでそうさせてもらうことにした。


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ちなみにカメラを取り出す暇もなく過ごしていたので、教会の中の写真は帰り際、照明が落とされた後に数枚撮影したのみ。その分大切な時間が過ごせたのだから全然かまわない。とはいえ、本当に美しいのでぜひ検索を。

■さらに秋の公園をお散歩、そしてお宅へ招かれる

教会から通りを挟んで広がる公園で、秋のゆるやかな日差しの中を歩くのはとても気持ちが良かった。彼女の話す日本語は私のフィンランド語よりもよほど上手だ。
私は大学でフィンランド語を勉強していること、今回は卒業旅行として友人たちとフィンランドに来たことを話した。

「あなたたちは運が良いですね。ここ一週間は毎日お天気良くて暖かいです。秋は美しいけれど寂しい。……もうすぐ、長くて暗い冬がやってきますから」

そう言って彼女は笑った。
なんて素敵な日本語を話すのだろうと思った。
この出会いももしや「神様のお導き」なのだろうかと、信仰ではなくともそんな気がした。

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散歩の後、彼女の家にまで招待してもらった。集合住宅の一室。本人は「散らかっている」と言っていたけれど、とんでもない。とても綺麗で素敵なお宅だった。
去年お邪魔したフィンランド人の先生のお宅でも感じたけれど、こちらの人は家をとても美しく飾る。絵をかけたり置物を置いたり、コレクションがあったり。テーブルクロスやカーテン、タペストリーなんかの布類も、テキスタイルやエキゾチックなものをとてもうまく取り入れている。

飾られている絵や写真の説明をしてもらった後に、「ベリーは好きですか」と聞かれた。夏の間にたくさん摘んだベリーは冷凍保存しておいて、レンジで軽く温めて冬にも食べるのだという。
しばらくするとテーブルにはブルーベリーにイチゴ、ラズベリー、そしてチョコレートアイスまでが並んだ。素敵なガラスの器と紙ナプキンも。口に入れるとフィンランドの森の味がした。
まるで夢の中にでもいるみたいだったけれど、ありがたいことにこれは現実だ。証拠に写真(彼女が「撮ってあげましょう」と言って撮ってくれた)がちゃんと残っている。

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昼に友人たちと合流予定だったので、この後駅まで見送ってもらって私は帰りの電車に乗り、ヘルシンキへ戻った。
時間にしてみたら午前中のほんの数時間の出来事だったのが信じられないくらいとても濃厚で貴重な経験だった。
突き抜ける青い秋の空、短いフィンランドのRuska(紅葉)の木々の葉の色がずっと脳裏に焼き付いて離れなかった。

あれからもう15年もたってしまう。

フィンランドで過ごした夏の一か月と、翌年の秋の一週間は、私にとって掛けがえの無い毎日だった。

見ること聞くこと起こること、大切な友人たちとの絆や出会い。
忘れたくなくて、ずっと抱えていたくて、かなり細かく毎日日記をつけていた。日記に全部を書き留められるわけもないし、読み返せばやはり忘れていることは多いけれど。

この教会での出会いと過ごした時間は、そんな大切な宝物のひとつ。

普通ならそうそう見学できないだろう礼拝に入れてもらえたのも、その後の出来事も本当に幸運なことだったと改めて感じる。
あの時親切にしてくれた人たちには、今も元気でいるだろうか。
どうかそうであって欲しい。

* * *

と、ここまで書いてから、このミュールマキ教会の現状について知ることになった。残念ながら2019年から現在は改修工事のため閉鎖、移転しているのだという。
改修期間は2年間とのことだが、進捗はよくわからない。そのようなことになっているとは知らなかったから、少なからず衝撃だった。


無事に改修工事が終わって、またあの美しい光陰織り成す祈りの場が戻ってくるように、私も遠くから祈ろうと思う。


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