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夢日記

夢の中で若返る

人は夢の中では時間感覚が変わり、昔の夢を見る事も有るでしょう。
痴呆の入った老人を見ても、自己認識の年齢は若い頃に戻っていたりというのを感じます。私の98歳で亡くなった祖父は、老人ホームで「学校へ行くんだ」とカバンを背負って本を読みながら出て行こうとするので、ホームでは有名でした。勉強家の祖父は二宮金次郎に影響を受けていたようです。
さて、寝起き前不思議な夢を見ました~

~私は大学生で4年生の夏頃だったと思う。周りには学友たちの姿が多く見える。
「そういえば、あの人の姿見えなくなったな。辞めたのか、自由だなー。」
「自分が大学に行って勉強したかったのはこんな事だったのかな・・・そろそろどんな仕事するか考えなくては・・・」
色々な事を考えながら、どこか懐かしくそして、学生時代が終わってしまう切ないような感覚であった。
そして、自分はその時の自分そのものであった。
「・・・」「・・・!」
ふと思い出した。「?そういえば、自分はもう働いてたんだ。という事は社会人の人も講義を受けているかもしれないのか。まあそういう人達もいるか。」
「ふーん・・・」「・・・働いてどの位だっけ。」
「・・・あ!十数年か・・・」「・・・!」
「いや、十数年どころでない!あれから○十年経っている。そういえば結婚して子供もいるんだった!」
「ああそうか、こんな未来があるんだ。こういう風に未来が展開して行くんだ。この事はこうなって、あの人たちもこんな風に成って行くんだ~…。」
次第に記憶が蘇りつつ、その内容に衝撃を受けながらそこで目が覚めた。

目が覚めた自分は・・・夢の感覚とはまたちょっと違うが、でもまだ学生が終わろうとしている時の懐かしく、切ない感覚は蘇っている。自分の中で今も同時にその自分が存在している事を感じます。そしてその自分が思い出した延長線上に今の自分がいる感覚です。
過去の自分が少しずつ記憶を「思い出し」未来を認識して驚く(衝撃を受ける)というちょっと不思議な夢でした。

今という夢

その夢は没入(観念)により、記憶の制限がかかっていました。人は記憶の制限次第でどんな「私」にでもなるのかもしれません。でも違うのは記憶だけで、元々の「自分」というのは全然変わらないのだなと感じました。
これは時間というものの一つのヒントなのかもしれません。
仏教の唯識で学んだように「識」次第なのであって、時間は流れていない、存在しない可能性があります。
仏教の捉え方は「過去」「現在」「未来」の三世が同時に存在するとか「今」しかない(過去未来が今に入っている)と説きます。 中観派は過去現在未来は「空」であり実在はしないと徹底しています。何であれ過去から未来へという一般に受け入れられている時間の捉え方とは違うのです。
学んでいる春秋館では確か運動エネルギー・エントロピー変化が時間感覚を生じさせているだけと教わりました。

目が覚めた「今」は、今というリアリティに五感、認識が再び支配されてしまって、思い出せていないだけで、もしかしたらその支配が緩めばもっと未来だって「思い出す(認識する)」かもしれないと感じました(実際一部は感じていると思います)。
それには座禅的なものも必要でしょう。「識」を如何に変えるかが修行の部分でもあります。
もしかしたらリアリティが強烈なだけで「今」は「未来」の自分が見ている夢の最中なのかもしれません・・・(おわり)。


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