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神様奇譚 第6章「神託」

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第6章「神託」

 僕は川の土手に座って、水面に立つ小さな波を見つめていた。風が耳元で鳴る。手には神主さんへのプレゼンテーションの流れを書き記したメモを握っていた。源さんが忘れるといけないからと言って、いつも耳に刺している鉛筆で書いてくれたものだ。本当はメモを見なくても頭に入っているのだが、この紙を見ると、源さんとおかみさん、先生が力を合わせてくれたことが思い出されて、自然と勇気が出た。

 後ろから足音が聞こえた。振り返ると先生が立っていた。
「ここにいましたか」
「はい」
 先生も土手に腰を下ろす。
「ここを気に入ってくれて嬉しいですよ」と先生は微笑む。

「それで、決行ですか?」僕の声は小さくしぼんでいた。
「はい、今夜がその日です」
 先生と目が合う。僕は頷いた。

 先生によれば、『神託』は、ひと月の間に満月が二度現れる場合の、二度目の夜に実施できるらしい。これは不定期に表れる現象で、現世では「ブルームーン」と呼ばれ、幸運の象徴とされていると、先生は言っていた。僕は生前にその手の情報に疎かったのか、全くの初耳だった。ちなみに、今年はそのブルームーンがたった数か月の差で二度起こる珍しいタイミングで、先生は前回のブルームーンを利用して『神託』を実行したそうだ。先生はいまだに『神託』で神主さんとどんな話したのか頑なに教えようとしなかった。

「怖いですか?」と先生が尋ねる。
「怖くない、と言えば噓になります、かね」
 僕は力なく笑った。
「僕はここに来てから、抽選で神様に選ばれただの、総会だのと言って、息つく暇もありませんでした。総会が終わってやっと一息と思ったら、次は源さんたちに出会って、やれ死んだ年はいつだって……」
「ええ、そうでしたね」と先生は笑った。

「でもそれは、僕が死んだという実感を持つ暇がなかったと言い換えることもできるのです。ここ最近は神主さんへのプレゼンづくりに熱中していて、僕が死んだということさえ忘れていました」
 先生は黙って頷く。僕は次の言葉を言うべきか迷った。風が強くなって、冷たい風が二人の間を吹き抜けた。水面の波が少しだけ大きくなる。
「だから、怖いんですよね? 生きている神主さんと話せば、いやでも自分が死んだということを実感させられることになるでしょう。幽霊扱いされるかも。さらに、我々の作戦が成功すれば自分の死因を知ることになります」
 先生は僕の気持ちを言い当てた。僕は静かに頷く。

「でも」と先生は続けた。
「心のどこかでは、すでに自分自身は死んでしまったのだと気づいているはずです。源さんも、おかみさんもそれを乗り越えてここで暮らしている。あの二人を見れば、ここもそんなに悪くないかと思えてきます」
「ええ。たしかに」と僕は笑った。

「ところで」と先生が声のトーンを変えて言った。
「話しておきたいことがあるのですが」
「話しておきたいこと?」

「私はもしかしたら、もうすぐ消えてしまうかもしれません」

「消える?」
 僕は驚いて声を上げた。誰もいない川辺に僕の声が響く。
「まあ、そんなに驚かれなくても。順を追って話しましょう。私は先日、『神託』を実行しました。これといって目的があったわけではありませんでした。テレビ局が面白半分に作った小さな神社をどんな人が管理しているのか、私の神社のことをどう思っているのか、知りたくなっただけです。予想に反して、神主さんはとてもいい方でした。私の存在に気づくとすぐに涙を流しながら、お辛かったでしょう、と言ってくれました。神主さんは私が自殺だったことを勘付いていたようでした」
 僕は先生の話に聞き入っていた。

「その時に、神主さんから気になることを聞いたのです。テレビ局が私の神社を撤去しようとしているというのです。マスコミというのは、移り気な連中です。現世で私の死が話題になったのは、すでに過去のことなのでしょう。確かに、だんだん私のところにやってくるお願い事も減ってきています」
 先生は土手の草をむしって、右手で弄んだ。
「神主さんは、テレビ局の人が相談に来たと教えてくれました。『神社を撤去したいが、祟りなどは心配ないだろうか』とね。そもそも、私を祀った神社を作る時に形だけではなく、ちゃんと手続きを踏んで、神主さんまで立ってもらったのも、バチが当たるとか祟りだとかを気にしてのことでしょう。そこで今度は話題にならなくなった神社を撤去したくなり、それを神主さんに相談したというのです。どうです? 笑えるでしょう?」
 先生は冷たく言い放った。その顔には、いつか見た先生の冷たい笑顔があった。

「それで、神主さんはなんと答えたのでしょう?」と僕。
「彼は『節目まで待つように』と言ったそうです。おそらく私の三回忌のことでしょう。私はすでに二回神在月の総会に出た。ということは、三回忌はもう間もなくのはずです」

「それで、神社がなくなれば、先生も『消える』と?」
 先生は首を横に振った。
「わかりません。神様として祀られた人間が神様じゃなくなった時に、この世界でどういう処遇になるのか、見当もつきません。もしかしたら、私はもう一度死ぬことになるのかもしれませんね」

「怖くないですか?」
 僕は素朴な疑問を口にした。神様が死んだ時、あの小舟はどこに連れて行くんだろう。僕の質問に、先生は考えながら答えた。
「どうでしょうか。私は、一度は自ら命を手放した。今回、寿命を全うできるなら嬉しいことです。もちろん、私たちの作戦がうまくいったかどうかは気掛かりではありますが」
 先生は僕に向かって微笑んだ。僕は先生の言った意味をしばらく考えていた。

「そう。だから、私がいなくなったら、あの二人に適当に言い訳しておいてくださいね」
 よろしく頼みますよ、と先生は笑った。先生は右手に持っていた草を放り投げた。
「嫌な役回りですね」と僕も笑った。笑えば、冗談で済ますことができる気がした。

「そして、ここからが本題です」
 先生が僕に向き直った。僕も背筋を伸ばす。
「今夜が神託の日です。この三途の川を上流に少し上ったところに、門があります」
 先生が川の流れと逆方向を指差した。目を凝らしてみても、ここからでは特に何も見えない。僕は口の中で、門、と復唱した。
「そして、その門の手前に、電話ボックスのような箱があるので、その中に入ってください。門のところに誰かがいても、目を合わせないようにしてください」

 たしか、前にこの川の向こうは地獄とか言っていなかったか。とすれば、その門は地獄の門なのだろうか。先生に尋ねてみようと思ったが、知らないほうがいいこともあると思い直して、質問は飲み込んだ。

「電話ボックスに入ったら目をつぶって、三秒待ってください。三つ数えて目を開けると、神主さんと会えます。あとは練習した通りに」
 先生は励ますように頷いた。僕は深呼吸する。
「わかりました」
 いよいよだ。僕は立ち上がった。隣に座っていた先生も立ち上がる。

「私はここで。これが今生の別れかもしれませんね」
 先生が手を差し出した。僕はその手を強く握った。
「ここは今生ではありませんけどね」
 僕が冗談めかして言うと、先生は声を上げて笑った。
「力を貸してくださって、本当にありがとうございました。また、結果を楽しみにしていてください」

 僕の言葉に、先生は黙って頷いた。手を振る先生に背を向けて、僕は川の上流に向かって歩き出した。

 しばらく歩くと、門が見えてきた。お城の門のような立派なものを想像していたが、小学校の門のような形だった。閉ざされた門の向こうに人影が見えたので、僕はさっと目を伏せた。門のすぐ脇に、電話ボックスのようなものがある。僕は門番と目を合わせないように、ほとんど目を閉じた状態で、薄目を開けてボックスに近づいた。ドアを開けると、そこはトイレの個室くらいのサイズの小さな小部屋だった。中には何もない。僕はその中に体を滑り込ませた。一度深く呼吸をして、目をつぶった。いよいよだ。

 一、二、三——

 目を開けると、誰かの寝室に立っていた。驚いて、思わず叫び声を上げそうになる。必死の思いで叫ぶのを堪え、部屋の中を見回した。だんだんと部屋の様子が掴めてきた。五十代くらいの男性が、ベッドで気持ちよさそうに眠っている。ベッドの脇の机には、メガネと読みかけの本。振り返ると部屋の隅に大きな本棚があった。その他に家具はない。

 神主が眠っているとは予想外だった。この信託は夢の中の出来事で、神主が覚醒してしまったら強制終了してしまうと聞いていた。最初から寝ている場合は、起こす必要があるのだろうか。しばらく思案していたが、思い切って神主に声をかけた。

「あの、すみません。もしもし」
「うん?」
 神主が目を開けた。中年男性の寝室に、見知らぬ若い男が立っているという状況を、彼が受け入れてくれるのだろうかと身構えたが、目を数回瞬いただけで、無反応だった。

「あの、すみません」
 目を開けてはいるが、まだ覚醒していないのかもと思った僕はもう一度声をかけた。
「はい。どちら様?」

 意外にも返答はしっかりとしていた。神主はベッドに起き上がり、机に置きっぱなしになっているメガネを手に取った。メガネをかけて、もう一度僕を直視する。
「あ、あの、僕はあなたが管理している神社に、その、祀られている者です。今日は、えーっと……」

「ええ。ですから、どの神社ですか?」
「はい?」
 神主はメガネを鼻のあたりに引っ掛けて、上目遣いに僕を見た。

「私が管理している神社は大小合わせて複数あります。あなたはどの神社からいらした方ですか?」
「どの? あ、えーっと。最近建てられた、森の中にある……」

 神主は僕の返答を聞くと、何も言わず立ち上がって大股で本棚に近づいた。棚の中の本に指を走らせ、何かを探している。
「あの……」
「あ、あった」
 神主は本棚からノートのようなものを取り出した。ノートの一ページ目を開き、頷く。どうやら、僕がどの神社の人かわかったらしい。神主はそのノートを持ったまま、再びベッドに戻り、そこに腰を下ろした。同時に、脇にあった小さな椅子を僕に勧めた。僕は勧められるままに、そこに腰掛ける。

「それで、今日はどうされました?」
 カルテを持った医者のような聞き方に少々面食らったが、気を取り直して口を開いた。

「実は僕の神社の参拝客を増やす方法を考えたので、神主さんに聞いていただきたいと思っているんです」
 僕は背筋を伸ばして、源さんやおかみさん、先生と考えたセリフを口にした。
「現在、僕の神社は建ったばかりということもあって、参拝客が伸び悩んでいます。こちらで割り出した推定値では、一ヶ月あたりの参拝客は多くても——」

「ちょっと、待ってください」
 神主は片手を挙げて、僕のプレゼンを止めた。せっかく練習してきた滑らかなセリフ回しに割って入られ、憤慨した。
「何ですか?」と僕は冷たく聞き返した。

「参拝客を増やしたいとのことですが、失礼ながら、それは本当の目的なのでしょうか?」
 神主は相変わらず上目遣いで僕を見つめた。僕は想定していなかった神主の言葉に動揺して口をパクパクさせた。
「先ほども申し上げましたが、私は複数の神社を管理しています。この御神託も初めてのことではありません。多くの場合、初めての神託では自身の死因を知りたがる方が多いのです。あなたも実はそうではありませんか?」

 神主は早口にそう言った。急な展開に、僕はしばし言葉を失った。黙ったままの僕に、神主は催促する。
「どうです? あなたがもし、本当に神社の参拝客を増やしたいと考えておられるなら、お話の続きを伺いますが」
「あ、いえ。僕が亡くなった理由、わかるんですか?」」
 ひどく冷静な神主を前にして、僕は調子を崩された。

「ええ」と神主は頷いて、手元のノートに視線を落とす。パラパラとページをめくっている。僕は、神主の次の言葉を、固唾を呑んで待った。

「あー、風邪ですね」

 神主はノートを見つめたまま言った。カルテに目を向けたまま診察するヤブ医者のような言い方だった。
「は?」
「あなた、風邪をこじらせたようです。これくらいは大丈夫と思って無理されたんでしょう。風邪も怖いですからね。甘く見たら大変なことになります」

 僕は時が止まったように感じた。風邪。心の内に最初に浮かんだのは、信じ難い気持ちだった。風邪をこじらせて亡くなったような人が、神様として祀られたりするだろうか。寝巻き姿の神主も同じ疑問を抱いたらしく、僕をメガネ越しに覗きながら、こう言った。

「ところで、あなたはどうして神様として祀られることになったのですか?」
「僕は……」と僕は口ごもった。お願いだからその上目遣いはやめてくれ。

「僕は、抽選で選ばれた神様です」
「抽選? それはどういうことですか?」
 神主は前のめりになって訊いた。

「僕が、その、死んだ後、三途の川を渡ってあの世に上陸した直後に、そう告げられたんです。抽選で選ばれましたよ、と」
「ほう。それで?」
 神主は好奇心に目を輝かせている。思っていたのとは全く異なる成り行きに、僕はうんざりした。知りたいことは知れたので、早く帰りたくなってきた。帰るボタンがどこかにありはしないかと、部屋の中に目を走らせながら、僕は投げやりに答えた。
「それで、小部屋に案内されて、そこで神様の仕事の説明を受けて、終わりです」

 神主が次の質問をしようと口を開いたのを見て、僕は慌てて先手を打った。
「ここはあなたの家ですか?」
「え、ここですか?」と神主は明らかにどうでもよさそうな顔をした。
「ここは御神託の部屋です。私の寝室ではありません。私の寝室はもっとものが散乱してごちゃごちゃしていますよ。御神託がある時は、いつもこの部屋にいます。だからさっきも、目を開けてこの部屋にいるのがわかった時、ああどなたか神様がいらっしゃったんだなとわかりました。この部屋の本棚には神社に関する資料が置いてあって、神様からの質問に答えられるようになっています」

 神主は手に持ったノートで本棚を指しながら言った。僕は本棚を振り返った。ここにいろいろな神社に関する情報が詰まっている。僕は好奇心に駆られて、数歩本棚に近づいた。
「あ、だめです」
 神主は寝起きとは思えないスピードでベッドから立ち上がり、僕を通せんぼするように本棚の前に立ちはだかった。
「少しくらいいいじゃないですか。僕もさっきあの世のことを教えましたよね?」
 僕は口を尖らせて主張したが、神主は首を横に振った。

「申し訳ございません。こちらは神社や神様に関する機密事項なので」
 神主は頑として僕を本棚に近づけない。神主の目は、さっきまでの好奇心による輝きが消え、職務に忠実な男の鋭い光を帯びていた。僕は神主の手の中に握られたノートに視線を移した。

「これには、他にどんなことが書いてあるのですか? 僕に関する情報がここに?」
「これも機密事項です」
 神主はノートを胸に抱いた。ノートの表紙に文字はない。一体何が書かれているのだろう。
「そろそろ、時間切れです」

 神主の言葉を合図に、周囲に白いもやのようなものが立ち込めた。だんだんと部屋の輪郭が見えなくなっていく。
「とにかく、あなたは風邪をこじらせて亡くなったようです。残念なことです。しかし、神様としてあの世ではご活躍されているようで。これからの御活躍も祈念いたします」

 神主は僕に恭しく頭を下げた。僕は何か言おうとしたが、日頃の感謝の念を伝えるべきか、ノートを見せてくれないことに対する不満を述べるべきか迷った。かけるべき言葉を探しているうちに、神主の姿も見えなくなり、気がつくと狭い個室に戻ってきていた。

 恐る恐る扉を開けると、元の場所に戻ってきていた。僕は混乱する頭を抱えたまま、来た道を辿った。途中で振り返ると、電話ボックスのような箱は跡形もなく消えていた。
 歩きながら、僕は神託での神主との会話を思い返してみた。いくつかの神社の神主を兼務していると言っていた。彼は神託にも慣れた様子だった。何度か夢の中で神様と話すという経験をしているに違いない。
 僕たちの仮説は間違っていた。神主は夢の中で死者と話すことに驚き、状況を説明するのに苦労すると考えていたが、実際には思った以上にスムーズに事が進んだ。神主は僕の話の狙いを見抜き、亡くなった理由を教えてくれた。あの三人との作戦会議は、無意味だった。

 そして、僕が死んだのは——

 僕は立ち止まった。頭を抱えて、しゃがみ込む。さまざまな感情が、津波のように押し寄せてきて、叫び出したいのをやっとの思いで堪えた。

 神託なんて、するべきではなかったかもしれない。


第7章に続く

#創作大賞2024#ファンタジー小説部門


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