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神様奇譚 第7章「新しい人生」

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第7章「新しい人生」

 僕は重い足取りで居住地に向かった。僕が死んだのは、病気のせいだった。それも、ありふれた疾患だ。重篤な病でも、未知の病気でもない。ただ、己の体調管理の甘さと不注意が原因なのだ。あまりにも平凡で、あっけない最期だ。
 僕は心のどこかで何か大きな事件や事故に巻き込まれて亡くなったことを期待していたことに気づき、自分自身に失望した。抽選とはいえ、神様に選ばれたのだ。何か特別なことがあったかもしれないなどと考えた自分を呪ってやりたくなった。やはり、僕は最初の直感通り、平凡な人間なのだ。

 居住地にはいつものように、願い事の資料が置かれていた。最近は遣いの狛犬と顔を合わせる機会も減っていた。おかみさんの甘味処にずっと入り浸っていたからだ。僕は資料を手に取り、開いた。自分の死について考えるのをやめるためには、何か他のことを考える必要があった。

『家内安全』
『商売繫盛』
『健康長寿』

 神様である自分に向けられた言葉の数々に、不思議と涙がこぼれた。平凡な男を神様だと拝んでくれる人が、こんなにもいる。それだけで感謝の念が込み上げた。

 僕は三途の川の土手に座っていた。頬を爽やかな風が撫でる。僕の人生の結末については、あまり考えなくなった。ここにいる多くの人々も、こうやって自分の死に向き合ってきたのだと思う。けれども、まだあの甘味処には足が向いていない。彼らにどうやって事の次第を説明しようかと悩んでいた。それに、おそらく先生はもういない。

「おーい、神様!」
 声のするほうを振り返ると、黄色いアロハシャツが見えた。源さんの後ろには、おかみさんの姿もある。

「やっと見つけた。みんなで神様のこと、探してたんだ」
 二人とも心配そうな顔をしている。久しぶりに見る二人の姿に、僕は自然と笑みがこぼれた。
「すみません、心配かけて。ちょっと一人の時間が必要で」

 二人は黙って頷いた。僕が口火を切らなければ、彼らからは尋ねてくれないことがわかっていた。源さんは僕の隣に腰を下ろした。おかみさんも静かに僕の反対側に座る。かつて先生とそうしたように、三人で川のほうを見ながら並んで座っていた。僕たちの他に人影はない。内緒話にはもってこいだ。

「実は神主さんは僕の亡くなった理由について、すぐに教えてくれました。僕がそれを知りたがっていると見抜いたんです。みんなで考えたプレゼンが無駄になってしまいました」

「ううん。そんなの全然気にしていませんよ。あの時間はとても楽しかったわ」
 うなだれる僕に、おかみさんは明るい声で言った。

「それで」と僕は深く息を吐いた。
「僕が亡くなったのは風邪が原因でした。お二人の頃はどうかわかりませんが、現代では風邪は軽微な病気です。それで亡くなるのは、なんというか……」

 僕は口ごもった。

「無駄になったと言えばさ」と源さんが明るい調子で割って入った。
「さっき、ここに来る途中で新入りの女性がいて、何年に死んだか訊いたのよ。そしたら俺が死んでからなんと、百六十年経っていることがわかったんだ」
 源さんは両手を挙げて発表した。おかみさんは呆れ顔でその様子を見ていた。
「おお、すごい。百五十年を超えていたんですね」

「そう。だから神様がいつ亡くなったかはもう調べなくて大丈夫だ。心配いらないよ」
「別に源さんのために調べてたわけじゃないけどな」
 僕が軽い調子で言うと、二人も声を上げて笑った。源さんと話していると、なんだか悩んでいたことがどうでもよく感じられた。

「でも、準備したプレゼンが無駄になったと知ったら、先生が一番悲しむんじゃないか? 一番熱心に取り組んでいたのに」
 源さんの言葉に、僕は胸が痛んだ。

「先生のことなんですけど、実は……」

 僕は二人に事情を説明しようと、重々しく口を開いた。先生がいなくなってしまったと知ったら、二人はどんな反応をするだろう。

「聞いたわよ」とおかみさんがニヤリと笑って言う。
「え? 何を?」と僕。
「先生も神様だったんですってね」
「あ、そうだ。神様も先生の秘密を知ってたのに黙っていたなんて、水臭いな」

 源さんもそう言って口を尖らせた。そうか。先生は最後に二人に打ち明けたんだ。僕は先生の不在について、二人に話そうと口を開いた。

「あら、そういえば先生遅いわね」とおかみさん。
「え? 先生、いるんですか?」と僕は仰天した。
「ここに神様がいるはずだって、先生が教えてくれたんですよ。先生は用を済ませて来るとかで、遅れて来るそうですよ」

 何だって。先生は神社がなくなっても、いなくなったわけではなかったのか。僕はおかみさんにつられて、キョロキョロと辺りを見渡した。

 その時、遠くからこちらに近づいてくる先生の姿が目に入った。隣にもう一人、見知らぬ誰かを伴っていた。先生が近づくにつれ、隣の人物の姿がはっきりと見えてきた。若い女性だ。その女性に見覚えはない。
「あ、さっきの」と源さんが呟く。

「先生!」
 僕は思わず立ち上がった。
「いなくなってしまったと思っていました」

「ああ、あの話ですか。確かに神社は撤去されましたが、私は消えませんでした。一般市民に戻っただけです。むしろ、自由になったと言えるかもしれません」
 先生は笑った。神様の責務から解放されたその顔は、これまでよりも晴れやかだった。

「それで、こちらは?」
 おかみさんが先生の隣の若い女性に顔を向けた。
「新入りだ。俺がさっき話しかけたしと
 源さんが答える。女性はおずおずと僕たちにお辞儀をした。

「ああ、やっぱり源さんとすでに話をしていましたか。こちらは以前パティシエをされていたそうで——あ、西洋風の菓子を作っていた職人さんだったそうです。おかみさんの話をしたら、興味を持ってくださって」

「はい、私は曾祖母の代から和菓子屋さんの家で育ちました。私自身は和菓子より洋菓子が好きでパティシエになったのですが、運悪くこちらに来てしまって」
 女性は俯いて話した。女性の話を聞いて、僕は源さんと顔を見合わせた。二人でおかみさんを見る。おかみさんは、女性のことを優しい目で見つめていた。

「まあ、立ち話もなんですから、おかみさんのお店に行って話しましょうか」
 僕の提案に、先生も頷いた。
「そうだ。パシエさん、こっち、こっち」

 源さんが女性のことを手招きする。一同は三途の川に背を向けておかみさんの甘味処に向かって歩き出した。

「神様」
 先生がこっそりと僕に話しかけた。
「何でしょう?」

「神様の職務から解き放たれたら、記憶が戻りました」

「まさか」
 僕は驚いて足を止めた。先生の顔を見つめる。先生の目は真剣だった。「一緒に、あなたの神社をなくす方法を考えますか?」

 先生の提案に、僕は考え込んだ。

「神様、何してるんだよ。早く」
 源さんが振り返り、大声で僕たちを呼んだ。おかみさんも大きく手招きしている。

「その話はまた、あとで」
 先生はそう言って、源さんのほうに走っていった。神様に選ばれた時から、波乱続きだ。一瞬だけためらって、僕もその背中を追いかける。

 僕の新しい人生は、まだまだゆっくりできそうにない。

〈了〉


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