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背後にご注意|ショートエッセイ

通勤電車を降りる。ここは朝夕以外には無人駅になるような小さな駅である。普段は同じ駅で降りる人はまばらだが、この日は降車する人がたくさん目についた。
改札に向かう人々の黒いカラスのようなスーツ姿を見て、あぁ、新入社員だ、と思い当たった。その前の週に、 新入社員たちとは一度だけ挨拶を交わしていた。研修会場に顔を出しただけの先輩社員の私に、新人たちは一様に緊張した面持ちで、礼をした。研修を担当する人事部の社員が二名、 その傍らに立っていた。大切な羊を守る牧羊犬のようでもあった。

前週に挨拶をした時には凛々しく見えたが、今朝、目の前を駅からオフィスに向かってゆっくりと歩くその集団は、なんだか腑抜けていた。一週間前に数分だけ言葉を交わした程度なので、彼らが私の顔を覚えているはずはなかった。私自身も、スーツ姿がなければ、自分の会社の新入社員たちだと判らなかったに違いない。

細い道を道幅いっぱいに歩く集団の、少し後ろをついていく格好になった。入社して一週間。同期とは少しずつ打ち解けてきている頃なのだろう。新人たちは、眠い、眠いと口にしながら、会社に向かっていた。

ははぁ、油断しているな、と思った。
まさか背後に、同じ会社の先輩社員がくっついてきているとは、夢にも思っていないのだろう。


私も、油断していた側だったことがある。高校生の時のことだ。
私は百年以上の歴史をもつ女子校に通っていた。仏教を重んじる学校で、通学時の校門での一礼、朝の礼拝など、礼儀作法には厳しかった。殊に学校帰りの寄り道にはとてもうるさい学校だった。高校生の寄りそうな繁華街のカフェやカラオケを、コワモテの風紀委員の先生が巡回しているという噂もあった。

私自身はと言えば、寄り道とは無縁の真面目な女子高生で、その日も普通に駅に向かってまっすぐ帰っていた。同じ駅を使うクラスメイト二、三人と一緒だったと思う。下校時間なので、高校生の集団がぽつりぽつりと、路上でいくつかの束になっていた。学校から少ししたところで、すぐ後ろから女の体育教師の声が聞こえた。
「生徒たち、後ろから見るとかなり油断してますね」

ぎくりとした。背後に先生がいるとは気が付かなかった。体育教師が話しかけた相手は、 優しい女性の国語の先生だった。体育教師のよく通る声とは対照的に、小さな声で、そうですね、と答えていた。

私と友人たちは、その声を聞いて、こっそりと目配せをした。そして振り返りもせず、足を速めた。ほとんど駆け足と言っていいような状態で、次々に同じ学校の小集団を追い抜かしていき、声の主との距離をとった。


こんなこともあった。大学の時、ゼミ終わりに別の研究室の後輩と、この時も駅に向かっ ていた。ゼミ生で取り組んでいたプロジェクトが思うように進んでおらず、やるべきことが山積みのままの気の重い帰路だった。私は道すがら後輩にそのことの愚痴をつらつらと述べていた。やることが多い、作業が地味だ、プロジェクト完遂までの道のりを考えると気が遠くなる、とそんなことだったと思う。
大学から駅までの道のりの半ばごろだっただろうか。ある人が私たち二人を追い抜いていった。その歩き方と背中を見た私は凍りついた。ゼミの担当の先生だったのである。

しまった、と思った。急ぎ足で歩くその背中を目で追いながら、聞かれていただろうと推測した。 先生の背中は小さく丸まっていた。私は油断した自分のミスを呪い、先生の気まずさに思いを馳せ、申し訳なく思った。

今、あの時の先生と同じように、私は新入社員の集団が油断しているのを、後ろから眺めていた。彼らはいつ私の存在に気が付くだろうか。愚痴は「眠い」だけに留まるだろうか。 数分後には同じ建物に入っていくのだ。その時には気づくだろう。いや、信号待ちで先頭の人が後ろを振り返った時に、一週間前に挨拶をした先輩社員を思い出すかもしれない。それまでに、会話は研修担当の人事部の人たちや、会社の悪口なんかに発展していかないだろう か。

高校生の頃の背中に浴びた先生の言葉のゾッとする冷たさと、学生の頃の先生の気まずそうな後ろ姿を思い出し、このままずっと新入社員の後ろをピッタリついていくわけにはいかないと思った。
私は集団から逸れ、特に買うものもないコンビニに立ち寄った。店内を一周してから外に出ると、彼らとはだいぶ距離ができていた。遠くで、彼らが社屋に吸い込まれていくのが見えた。きっと今頃は凛々しい新入社員の顔に戻っているに違いない。

彼らの油断した後ろ姿は、そっと胸の内にしまっておこう。


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