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で、出たぁ!|ショートショート

「で、出たぁ!」
驚いてのけぞった拍子に、椅子から転げ落ちた。
新入りの、この漫画のような動きに、古株たちは皆笑い転げた。

「おい、幽霊が生きてる人間に驚いてどうする」
「いやはや、生きてる時の感覚が抜けないもので。すみません」
新入りが床から立ち上がるのを、古株たちは同情を込めた目で見守っていた。

幽霊の住む世界には、もちろん幽霊しかいない。
最近亡くなった人と、ずいぶん前に亡くなった人という、時間的な格差はあるものの、皆生前と同じような平穏な生活を送っている。

ところが時々、生きている人が見えたりする。
幽霊にとっての幽霊は、生きている人、というわけだ。ただ、考えてみれば、別に怖い存在でもないので、“それ”が見えても、古株たちは驚きもしない。

「この生霊は、お前さんの知り合いか?」
「いえ、知りません。これは…生霊なのですか?」
「厳密には違うのかもしれないが、他に呼び名が思いつかないんで、そう呼んでるんだ」
幽霊たちの間に立つ生霊は、若い男の人のようで、不安げに辺りをキョロキョロと見回していた。

「この人は、こっちが見えてるんですか?」
「さあな。見えていそうな人もいるし、見えていなそうな人もいる。こいつは…見えてなさそうだな」
おじさん幽霊は、そう言いながら、若者の生霊の顔の前でちょっと手を振った。
周りの幽霊たちはあんまりちょっかいかけるなよ、と笑っていた。

「こいつ、お前と同じ歳くらいじゃないか。かわいそうに」
「いや、こいつは生きてるんだから、幽霊になったお前の方がかわいそうとも言えるな」
新入り幽霊は、おじさんの同情の目に耐えきれず、次の質問をした。

「この人は、どうしてここに?」
「まあ、この世に未練がないから、とも言われているし、いろいろな説があるが、本当のところは誰も知らん」
「あの辺の学者先生が解明しようとしているらしいがな」おじさんの一人が顎でしゃくった方を見ると、白髪を振り乱して、机に向かって何かを書いている人がいた。日本史にも出てくるような学者らしい。
「とにかく、また出てこないように祈ってやれ。またお前のとこに化けて出られるぞ」

新入りの若い幽霊は、悩みのありそうな生霊の方に目をやり、また顔を合わせるのは嫌だな、とぼんやり考えた。
ギュッと目を瞑り、この人に幸せが訪れますように、と祈った。
再び目を開けると、若者の姿は無くなっていた。やっと平穏な世界に戻った、と安堵した。

一人の若者が電車に揺られながら、まどろんでいた。
ふと目覚めて、辺りを見回す。電車は、降りる駅のホームに滑り込んでいるところだった。慌てて立ち上がり、開いていたドアから外に出る。

一瞬前に、何か夢を見ていたような気がしたが、急いで降りた拍子に内容も、夢を見ていたことさえ、忘れてしまった。
なんとなく憂鬱な日々が続いていたので、電車で少し遠出をして自然を楽しもうとしているのだ。帰る頃には気分が少し晴れていることを期待していた。

見ず知らずの若い幽霊が、幸せを祈ってくれたことなど、知らなかった。

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