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26歳モラトリアム免許合宿記

2022年5月。仕事を辞め、突然膨大な暇が訪れた。
早く職を探さなくては…と思いながらも、昼まで寝てダラダラ漫画やドラマを観ながら過ごす日々に、完全に味をしめてしまっていた。
このままではいけない!何か、何か少しでも意味のあることをしなければ…!そう危機感を抱いた頃には、季節はすっかり夏になっていた。

そんな時、部屋に置いていたグランジ五明さんのエッセイ漫画「39歳の免許合宿を読み、思いついた。せっかくだからこの無職期間に、車の免許を取ってしまえばいいのでは?再就職したらまとまった休みはなかなか取れないし、もしかして今が免許チャンスなのでは…!

思いついた瞬間、ハッカーのごとく速攻で安くて評判のいい教習所の情報を洗いざらい集めた。ちょうど閑散期だったこともあり、7月中旬に行ける場所をすぐに見つけられた。場所は山形。合宿で3食付き、22万安い、安すぎる。トントン拍子で、免許合宿に行くことが決まった。

免許なんて、合宿に行けばサクッと取れるだろう。そんな安易な気持ちで教習所にお金を振り込んだ。しかし、これは長い長い 戦いの始まりだった…..なんて書くと、大抵の人には「免許ごときで大袈裟な!」と言われてしまうだろう。
しかし私にとっては大袈裟に言いたくなるぐらい、免許を取得するのは超大変だった。26歳がジタバタしながら免許取得を目指した7ヶ月の日々を、ここに記しておきたい

いざ、未知の地"山形"へ

通う教習所では、ありがたいことに関東から山形まで送迎バスを出してくれる。さいたま新都心駅からバスで6時間かけ、山形へ向かう。
私は山形という場所に、縁もゆかりもない何が特産品で、どんな文化があるのか、1ミリも知らない。
そもそも、山形の位置すら知らなかった。何となく岐阜あたりにあるんだろうと思って予約していた。高速バスに乗り込んだあと、Googleマップで”山形”を検索したら、まさかの東北だった。「秋田の下…!?」と思わず、バスの中で1人で呟いた。学生の頃、地理の授業をほとんど寝て過ごしていたから 仕方ない…

心なしか天候も不安定である。この後雨が降り始めた

そして、6時間バスに揺られるというのは、なかなかにしんどいものがある。お尻、、お尻が、、4つに割れるんじゃないか、、、と思うほどの尻痛に見舞われながら、無事教習所に到着。
降りて校舎を目の前にした瞬間、あと2週間ここから逃げられないことへの不安が一気に込み上げてきた。

無邪気な大学生たちに翻弄される

教習所に到着して最初に通された教室には、同時入校する同期と思われる大学生が4人座っていた。教室を出て周りを見渡すと、教習所内は大学生で溢れかえっている。7月中旬は閑散期ではあるものの、やはりこの時期に来るのは夏休みの大学生が大半のようだ。
しかも、この合宿を出会いの場として捉えている学生が多いようで、空気感が全体的にギラギラしている。恋人をゲットしたい大学生たちの大量の駆け引きの音が聞こえた。間違えて合コン会場に来てしまった感が否めないが、普段なかなか接さない空気感なので、遠巻きで見るのは結構楽しい。

同期同士でさっそく自己紹介をしている様子だが、「ここに社会人いたら気まずいよな(笑)」という会話がうっかり耳に入ってしまった。なんてことを言ってくれるんだクソ大学生。不意打ちの攻撃で一瞬全てのやる気を失いそうになったが、そんなことで挫けるわけにはいかない。こっちは無職なのに貯金から絞り出した22万払って来てるんだ。

その後、書類を書く時間の時に大学生男に自己紹介を求められ、「26歳、社会人です…」と答えたらすごく気まずそうな顔をしていた。そんな顔をするなら最初から言わないでほしかった。

教習所という不思議の国

自動車教習所というところはなんとも特殊な場所だ。朝登校する時間、食事の時間、トイレ休憩、帰宅時間…全ての行動が決められている。しかも、それぞれに独自のルールが存在する。まるで鎖国された国のようだ。

教習所は全国各地から人が集まってくる。そのせいか、コロナ対策がかなり厳重だった。どんな場所にも「マスク着用」「消毒必須」の紙が貼られている。特に感染確率の高い食堂は、警戒が尋常じゃなかった。

張りすぎだよ!どう考えても!!!
なんだここは、刑務所なのか?この光景があまりに衝撃的すぎて一人で吹き出しそうになったが、教習所の人は不思議そうに私を見るだけだった。この異常性が伝わらんのかい!慣れってのは恐ろしい…

そして、なんとも懐かしいルールがあったのは学科の授業だ。授業中は飲食禁止、スマホ見るの禁止。居眠りしたら即退室。まるで高校生の頃みたいだ。7月半ばのクソ暑い時期に飲み物を飲んではいけないのは全く理解できなかったが、ルールと言われたら仕方ないので守るしかない。
人に囲まれながら座って授業を受けるというのは、大人になってからやると想像以上にストレスだ。そもそも、背後に人がいるのが嫌。とにかく人目につきたくないので、一番後ろの席に座る。元々授業というものが嫌いなので、気を紛らわすためにひたすら板書するか、教科書落書きに精を出した。小学生の頃からこの方法で退屈な授業を乗り切っていたことをふと思い出し、今でも耐え忍び方が全然変わっていないことに驚いた。

これは授業中に教わった、ひどすぎる語呂合わせ

恐怖の運転、優しき教官

教習所というのは恐ろしいところだ。到着して1時間も経たないうちにいきなり車に乗せられる。習うより慣れろと言わんばかりに、とにかく運転の感覚を叩き込まれる。
最初に車に乗った時は「こんなデカい車体を自分が動かしていると思うと怖すぎる…絶対事故起こす…今すぐ逃げたい…」という思考が頭を巡った。幼少期に兄からグラセフを与えられ、操作がわからないままプレイした結果逆走して人を轢きまくった思い出がフラッシュバックする。

運転というのはやることが多すぎる。そもそもハンドルを操作しながらアクセルとブレーキを踏みこなすのが難しすぎるのだ。その上ミラー、目視、ウインカー出し等々……2つ以上のことを同時に行うのが苦手な自分にとっては地獄のようだった。
そんな気持ちとは裏腹に、隙間なく組まれるスケジュール。心の準備なく車に乗せられ、カーブ、縦列駐車、坂道発進、S字クランクなどの課題をクリアしていかなければならない。
私はあまりにも初体験だったりわからなすぎる事案を目の前にするとかなり萎縮するという性質がある。今回も惜しみなくそれが発動されたわけだが、幸いにも私の教習所では教官が比較的優しく、怒鳴られたりすることがあまりなかったので、比較的心穏やかに教習を受けられた。

教習が後半になってくると、不思議なもので段々と余裕が出てくる。それはどうやら教官らも同じのようだ。生徒が慣れてくると注意すべきところも少なくなり、教習中の世間話も増えてくる。教習が終わると教習手帳というものに注意点や反省等を書いてくれるのだが、それも段々雑になってくる。

あまりに適当すぎる
「自信持ってやる」はもはや精神面のアドバイス

車内でずっと「怖いよーーー!!怖い!!!」と叫び続けていても「怖いのはあんたの方だよ!」と的確なツッコミをいれてくれる、そんな優しい教官たちにかこまれて教習ができたのは幸いなことだ。

食堂のご飯、揚げ物に頼りすぎ問題

過酷な教習所生活を支えてくれるのが、食堂のご飯だ。食べるのが大好きな私にとって一番の楽しみである。(小学生の頃も給食の時間を生きがいに学校へ行っていたことを思い出した)

教習所メシというのはあまり美味しくないイメージがあったので、最初に食堂のご飯を食べる時は緊張が走る。これから2週間毎日食べるご飯がうまいかまずいかは、死活問題だ。味の良し悪しが巡り巡って運転のパフォーマンスを左右することもあるだろう。

最初の晩は春巻きとハンバーグ。初日から豪華な食事にありつけると思っておらず、いい意味で期待を裏切られた。ハハッ私の取り越し苦労だったわね!これなら安心して2週間過ごせる…そう安堵した翌日の食事がこれだ。

カツとロールキャベツの定食

カツなんて久々に食べるなぁ〜と思いながら、モリモリ食べた。

次のご飯は、ハムカツとバナナという謎の組み合わせ
さらに次のご飯。カツと胡麻団子
謎の揚げ物とクレープ。
エッグハムカツとオレンジ。

お気づきだろうか……ほぼ揚げ物である!

食堂のおばちゃんたちよ。毎日たくさんのご飯をお作りになるのが大変なのはわかる。しかし、あまりにも揚げ物に頼りすぎじゃあないかい?
突然始まってしまった揚げ物生活は日が経つにつれて面白いほど胃がもたれてくる。そりゃあもう、目を逸らせないほどの"もたれ"が押し寄せる。

ご飯の割に揚げ物の数が少なすぎる丼ぶり

あまりの揚げ物連続攻撃に途中で我慢できなくなり、一旦夕飯は食堂をやめ、逃げるように近くの中華料理屋へ駆け込んだ。まるで仮釈放の気分だった。あの時食べた坦々麺の一口目のおいしさを、私は忘れないだろう。

これがシャブってやつですかい……

揚げ物に頼りすぎている部分以外は、教習所のご飯も宿舎のご飯も、比較的クオリティが高く、普通においしく食べられた。連続揚げ物攻撃の合間に突然出た"豚肉カレー"は異常なおいしさだった。

そして山形は米の産地だけに、お米がめちゃくちゃみずみずくて、おいしかった。あまりにおいしすぎて、おかわりをしようとふと釜の方見たら、食堂のおばちゃんがめちゃくちゃレンチンのサトウのごはんを入れていた。これこそが企業努力ってやつか。サトウ食品ってすげぇ….と、思わず感心してしまった。

大人になってからの集団行動はツラいよ

免許合宿はほとんどが集団行動だ。先ほど書いた通り、運転講習、授業、帰りのバス、宿舎での食事…全てががんじがらめに時間が決められている。
学生の頃はそれがすごく窮屈だったが、社会人になってからはその苦しみから解き放たれた。出社という概念がない完全リモートの会社で働き、その上仕事すらも辞めて、自由なお気楽無職生活を送っていた。そんな生活から一変、いきなり人と合わせる生活を送らなければならない。これが結構キツくて、途方もないストレスが押し寄せた。

教習所に来てまず私は、同期の大学生の女子と仲良くなった。気さくな子たちで、ひとりぼっちの私に声をかけてくれた。初日から仲間ができて、素直に嬉しかった。
しかし、こうなるとひとつ厄介なことが発生する。若年層の女子たちは群れがちなのだ。一度仲間認定されてしまうと、どんな時でも「一緒に行こう」という合言葉と共に群れる。大人になってからは一人行動が多過ぎて、学生たちのその習性をすっかり忘れてしまっていた。
「一緒に移動しよう!」「一緒にご飯食べよう!」という無邪気な女子たちの声がけ。しまった!と思いつつ、ひとりぼっちの私に声をかけてくれた恩が邪魔をして、断ることができなかった。

ここに踏み入れてしまうと、もう抜けられない。私は彼女たちと、移動バス・教習・昼食・休憩時間・宿舎での夕食までも共にすることになった。いい大人なのに、学生に気を遣いすぎる自分が情けなかった。

限界になると近くの河原へ逃げていました

ストレスの要因はそれだけではない。
私の宿舎の食堂のおばちゃんは、とても気さくでいい人だった。しかし、気さくさが度を超えていて、宿舎に足を踏み入れた人間には誰彼構わず話しかけまくるコミュ力モンスターだった。
それだけならまだいいが、そのおばちゃんは大して仲良くない宿舎生同士を強引にくっつけて話させようとする。こっちは誰とも話したくないのに、「この子今日から入ったから、お友達になってあげてね!」と知らない宿舎生を私の前に連れてくるのだ。しかし、そんな紹介で赤の他人同士が仲良くなるはずがない。結果的に、廊下ですれ違ったら挨拶だけ交わす"気まずい関係性"が量産されるのである。
ただでさえ避けるべき相手がいるのに、コミュ力モンスターおばちゃんのせいでさらに敵が増えてしまったのだ。

泊まった宿の部屋。これぞ独房

この時点で私はストレスがピークだった。とにかく、もう誰とも会いたくない。気まずいから、廊下ですれ違いたくもない。せめてお風呂だけでも一人の時間を確保したい…しかし、この宿は共同風呂なのだ。私は人との接触を防ぐため、終了時間の30分前にギリギリでお風呂に行く作戦を思いついた。流石にこんなにギリギリで風呂に入る女などいないだろう。期待に胸を膨らませながら勢いよくドアを開けると、先ほど食堂のおばちゃんを介して話した女子がポツンと一人で湯船に浸かっていた。
「どうも….」と言うしかない。気まずすぎる。しかもお互いスッポンポンだ。普通に会って気まずい人とは、全裸で会うともっと気まずいのだ
目を逸らし、シャワーを浴びる。身体を洗っている間に出て行ってくれやしないかと思ったが、彼女はなぜか長風呂で粘ってくる。仕方なく、少し離れて湯船に浸かる。一言も話さず、お互いに壁を見つめるしかできない。暑さと気まずさで気絶しそうだったので、すぐに風呂を出た。

合宿3日目で強制送還される

突然運転と座学で座る時間が増えたことにより、今まで一度もなったことが
ない腰痛を発症してしまう
という、持ち前の運の悪さを発揮した。

この日は二度腰痛で動けなくなり、その場で倒れ込んでしまった。宿舎で倒れた時は、避けていた女子が助けてくれて、部屋まで連れて行ってくれた。その時だけは「こんなに優しい子を、私は避けていたなんて….」と、自分の行いを後悔したりした。
その後、よかれと思ってなのか、頼んでもないのに腰痛の薬を買ってきてくれた。正直薬を服用する気はなかったので、ありがた迷惑だな….と思いながらも表面上は感謝した。受け取った後、買ってきてくれたのにお金を渡さないのも申し訳ないな…と思い、金額を聞いたら真顔で「5000円です」と言うその女子。
おい、頼まれてないのにそんな高額な薬を買うな!!という本音を飲み込んで、彼女に5000円を払った。なんか悔しかった。ちなみにその薬は一度も飲まずに、今でも家のタンスの奥にしまってある。

慣れない環境。一人の時間が全くない。
初日から体調を崩し、2日目にはニキビがどんどんできてしまった。腰痛もひどくなっていく。そしてついに3日目で熱を出し、満身創痍の状態になってしまった。
この教習所は、熱を出したら即強制送還されるという決まりだった。自己申告をし、私は3日で教習所から退場する羽目になった。悔しくて、泣きながら友達に電話をした。ただ免許を取りたいだけなのに、どうしてこうなってしまうのだろう。自分の運の悪さを嘆いた。

それにしても、行く前に友達や知り合いに「免許合宿いってくる!」と高らかに宣言した手前、3日で帰ってくるのは恥ずかしいにも程がある
悔しさと恥ずかしさが交互に押し寄せながら、帰宅した。

無職生活と再就職

地元へ帰ってから、完全に心が折れてしまった。慣れない生活と体調不良で苦しんだので、正直苦しい思い出しかない。すぐに山形に戻るのは気が引けた。幸い、一時帰宅してから1年以内であれば教習再開はできるようだ。期間の長さに甘え、私は教習を再開するかどうか、結論を出すのを先延ばしにした。そして私は、また元のダラダラとした生活に戻ったのだ。

それから3ヶ月が過ぎた。帰省したり、友達と遊んだり、ライブに行ったり….相変わらず無職生活を謳歌していたが、その傍ら就職活動を頑張っていた。その甲斐があってか、なんとか次の職場を見つけることができた。
内定が決まったあと、その職場の人と仕事開始はいつにするかという話に。その時、すっかり忘れていた教習所のことを思い出した
まだ11日合宿が残っている。再就職した後に教習を再開は時間的に無理だろう。だとしたら、就職する前に終わらせなければ….!
職場の人に仕事開始日を11日遅らせてもらい、再び山形へ向かった。

教習所へ舞い戻り、二度目の挑戦へ

行きの新幹線で、私は闘志に燃えていた。
何を隠そう、教習所卒業日がずれると入社日が遅れてしまうのだ。仮免や本免に落ちて、帰る日が遅れるなんてことは絶対に許されない。もし落ちて就職して早々に欠勤しようもんなら、速攻で窓際社員に降格されてしまうだろう。そんなことだけは避けたい….!

意気込み十分で、再び教習所へ足を踏み入れた。7月の教習では結構運転は出来ていたから、またすぐに慣れるだろうと思っていた。
しかし、3ヶ月のブランクは大きかった。車に乗り込んだ瞬間、何をしていいのかさっぱりわからない。体が運転の動きを全て忘れていた。笑ってしまうぐらい運転が下手くそになっていたのだ!
そんな状態にもかかわらず、教習は途中再開なので当然次のステップへ進んでいく。再開初日で縦列駐車を教えられた。教官よ、普通に真っ直ぐ進むのもできないのに 縦列駐車なんぞできるわけあるまいな!あたふたする私をみて、教官は苦笑いしていた。

運転だけでなく、学科も致命的だった。全く予習をしていなかったので、習ったことをすっかり忘れてしまっていた。それなのに、日数だけは過ぎている。なんと2日後に仮免試験を受けなければならないらしい。仮免試験の勉強範囲をあと2日で全て覚えるだと…!?怒りで思わず教科書を床に叩きつけそうになったが、予習をしておかなかった自分が全て悪い。結局、宿舎で夜中まで勉強する羽目になった。

朝5時起きなのに夜まで勉強した。受験生みたいだった

ボロボロになるまで勉強して、仮免試験当日を迎えた。ここまで勉強したのは大学受験ぶりだ。ルートもしっかり予習して、やれることは全てやった。

仮免試験当日。途中で教習を再開したため同期が少なく、この日試験を受けるのは私を3人だけだった。人数が少ないからか、試験自体の緊張感が薄く、待ち時間も短かった。サクッと試験をこなし、なんとか一発合格することができた。

仮免試験の車になぜか透明のハチワレのキーホルダーがいた

教習再開を経て仮免試験を乗り越えた後は、比較的おだやかな時間を過ごせた。7月に行動を共にした女子たちはとっくに教習所を卒業し、人間関係がリセットされたからだ。前回の反省を活かして、友達を1人も作らない・誰とも喋らない ということを徹底した。俺は友達作りに来てるんじゃねぇ!免許を取りに来てるんだ!と体の節々からオーラを放ち、誰も寄せつけないようにした。そうすると、人との関わりがなくなり、合宿生活のストレスがほぼなくなった。やはり私はぼっちでいる時こそ輝くのだと再確認できた

空きコマに山形の街を散策したり、受付前の漫画コーナーに心を奪われたりしながら、おひとりさま合宿の日々を堪能していた。

散策中に見つけた廃墟化したパチンコ屋
100円ショップのCan Doをパクった家具屋Ten Doがあった
教習所の漫画コーナー。後半はここに居すぎて勉強が疎かになった

卒業検定を経て、無事帰還

ついに卒業検定の日。心細かったので、39歳の免許合宿の漫画をお守り代わりに持参。イレギュラーな日程で動いていたので、卒業検定を受ける人は私を含めて二人だけだった。人数が少ないからか、検定員も気を抜いていて、比較的和やかな雰囲気で検定を受けた。
天気は曇り。苦手だったミラー確認・目視も忘れず、運転はミスなく終えることができた。

結果は合格!ここまでの道のりが大変だったが、検定自体はしっかりこなすことができた。ここはかなりツイてるな、と自分でも思った。
社会人になってこんなに一つのことを勉強したり練習したりしたことがなかったから、ものすごい達成感。見知らぬ土地に一人で滞在するのも初めてだったので、かなり愛着が沸いた。山形を離れるのが少し寂しかった。

ただ卒業検定に受かっただけなのに、友達たちが「おめでとう!」とメッセージをくれたことが本当に嬉しかった。皆ありがとう!ラブ!

さて、卒検に受かって地元に帰ることができました!めでたしめでたし….と終わりたいところだが、まだ試練は終わっていない。ここから地元で学科試験を受け、合格しなければ免許は取得できないのだ。
まあ、学科試験なんて空いてる日にチャッと行けば取れるだろう!そんなナメたことを思っていた。

仕事に追われ、免許センターへ行けず

教習所から釈放され、すぐに新しい仕事が始まった。何も考えずに、教習最終日からゆとりを持たず、すぐに入社日を設定したのが間違いだった。
よくよく調べると、免許センターの新規免許取得の学科試験は、平日にしか行われていなかった。新入社員の私は半年間有給が出ないので、平日に休むことはできない。右も左もわからない状態で案件に投入され、忙しさとストレスで狂う日々を過ごした。
新人なので仕事がうまく行くわけがなく、誰に頼ったらいいのかもわからなくてすぐにメンタル不安定になった。目の前の仕事をこなすのに必死で、免許のことなど完全に頭の中から消えていた。

入社してから2ヶ月半が過ぎ、会社に少しずつ馴染んできたタイミングで免許のことを思い出した。ちょっとまて、このままだと免許センターに行くのが半年後になってしまうじゃあないか。半年後に免許を取ったところで、運転のことなど全て忘れているだろうからペーパードライバーまっしぐらだろう。それだけは避けたい!!
会社が休みの年末にギリギリ教習所が空いていることを知り、年内中に試験合格することを決意した。

意を決して挑んだ学科試験

年内に絶対合格するぞ!と決意したものの、師走というのはTHE WやらM-1やら面白い番組がいっぱいだし、忘年会の予定もある。夏休みの宿題は最終日にやるタイプなので、前もって勉強するはずなどなかった。
2~3日前にあわてて勉強を開始し、徹夜で復習をして試験会場へ向かった。学科試験は2択問題のみ。この段階で落ちる人なんてあまり聞いたことがないし、直前に詰め込みで勉強すればいけるでしょ!と かなりナメた態度で挑んだ。

しっかり落ちた。試験に対してナメた気持ちでいると落ちるんだなぁ…と、自分の愚かさを再確認した。
合格点は90点以上で、88点だった。惜しいのが本当にムカつく。ムカつき過ぎて泣きそうになったので、帰りにハンバーグをやけ食いして帰った。
自宅に帰って「落ちたよ」と親に伝えたら「あの試験で落ちる人いるんだ」と言われた。とても恥ずかしかった。

ギリギリでいつも生きてきたので、学科試験は年末最後の日に受けに行ってしまった。この後免許センターは閉まってしまうので、二度目の試験は年始に受けることにした。モヤモヤした気持ちを抱えながら、新しく買った参考書と共に年末年始を過ごした。

気合を入れるために新しく参考書を買った

年を跨いで、ついに….

ナメた気持ちでは受からないことを身をもって知ったので、本気で勉強した。参考書ページを全部網羅し、間違えた部分は理解できるまで復習した。自分で完璧だと思えるまで、問題を解き続けた。

当日は朝早起きして、1時間前に着くように免許センターへ向かう。
この日を逃したら、あと半年後まで試験を受けることはできない。絶対に負けられない戦いだ。100点満点を取るつもりで挑んだ。

勉強の甲斐があったのか、ついに合格!!!!やっと免許証を手に入れることができた。さすがに嬉しくて、発表された時は飛び跳ねまくった。
免許証の顔が囚人みたいな顔になってしまったことだけが心残りだが、とにかく嬉しい気持ちでいっぱいだった。

おわりに

免許合宿に行きはじめてから免許証取得まで、7ヶ月もかかってしまった
私の場合はいろいろな運の悪さが重なり長引いてしまったが、それを差し引いても大人になってからの免許取得は簡単ではないと思った。時間や行動が拘束されるストレスが、学生の頃よりもかなりあると感じた。

しかし、見知らぬ土地で見知らぬ人と過ごすのは新鮮な体験だったし、合宿で行った場所を好きになれた。そして何よりも、苦戦する私にSNS等で応援の言葉をかけてくれる人がいたのが嬉しかった。免許取得は経験者が多いからか、共感してくれる人が多いと感じた。26歳で免許合宿へ行けて、本当によかったと思っている。

もし大人になって免許を取るか迷っている人がいたら、是非合宿へ行ってみてほしい。結構ウケるし、楽しいから!

先日はじめて運転をしました。感動!

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