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自分責めという名の自己防衛

恋愛フォーチュンアドバイザーの明沙美です^^

自分責め、百害あって一利なし!

今日は自分責めについて書いていきたいと思います。

昔は息を吸って吐くように、自分を責めていた私ですが、最近はかなーり自分に優しく出来るようになりました。

そのきっかけとなったのは、現在お世話になっている講座のメンターの方の言葉でした。

みんな違って、みんな“悪い”

自分を責める時ってそこには必ず正しい間違い、良い悪いのジャッジがあるんですよね。

それは自分のジャッジであったり、誰かのジャッジであったり。

だから、自分を責めてる時は誰のどんな基準に当てはめて善し悪しを判断していて、自分を間違っていると、悪いとしているのかって俯瞰してみると良いのではないか?

と思うんです。

そうすると、

「それってあなたの主観ですよね?」

ってひろゆきさんちっくなツッコミを入れれるようになると思うんです。

ここで大事になってくるのが、先程お話したメンターの言葉、

みんな違って、みんな“悪い”

になってくるんです。

あなたも悪いし、相手も悪いんです。

ひっくり返せば、誰も悪くもないし、良くもないってことなんですけど。

人間関係やパートナーシップがこじれる時って、そこにはだいたい“正しさの争い”が関与しています。

「どっちも正しいと思ってるんだよ。戦争なんてそんなもんさ」

ドラえもん

ドラえもんだってこういっています。

本当に正しいことなんてこの世界にどれだけ存在するでしょうか?

仕事でゼロ一つ間違えて入金しちゃったって時は素直に謝りましょう。

それは単純なミスで、私は年がら年中やらかしていました。

こんな私を約12年置いてくれた会社には、今も感謝でいっぱいなんですけども。

そういうミスは置いといて、人間関係で起こるいざこざなんて絶対的な正しさなんてほとんどないと思っています。

「私はこう思う」

って双方主張し合っていて、どっちも正解なんてないことがほとんどだと思うのです。

「私はこう思う、だからあなたは間違ってる」

っていう正しさが介在することで、拗れてしまうんだと思うのです。

“普通”なんてものも自分が作り出した幻想でしかなくて、仮に自分の周りがみんな「あなたは間違ってない、普通はそうするよね」って民主主義的に多数決で勝ち取った普通に対して、相手は納得しずらいし、むしろ火に油を注ぎかねなかったりして。

とか言って、私も良く友達に聞いて「あなたは間違ってない」って言葉をもらって安心したくなっちゃうんですけどね☆

それで、自分責めは、自分や誰かの正しさを採用した上で自分が間違っている、自分が悪いってジャッジした時に起こっているような気がするんです。

特になんちゃって優しい人は、誰かを責める方が罪悪感を感じちゃうから、私が悪いってことで収束させようとしたりしますよね。

それは、誰かに責められない様に、私は自分を十分に責めています、自分で自分を罰しています、だからこれ以上、私を責めないで、否定しないでっていう悲痛な叫びにも聞こえます。

一件誰かを責めるより平和だし、優しい人に見えますが、それは本当の優しさではないんです。

自分に優しく出来ない人は、自分以外にも優しく出来ないから。

そういう優しさのことを“自己犠牲”と言います。

自分も責めないし、相手も責めない。

自分に優しくすればする程、相手にも優しくすることが出来ます。

だから自分責めなんて百害あって一利なしなんです。

だって、誰も幸せになれないから。

本当に正しいことなんてないとして、自分に優しく、甘く接してあげましょう。

最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

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