日常に潜む-サンクコストの誤謬

サンクコストの効果(誤謬)とは、お金や時間などを投資、使ったりした結果、続けても無意味なのに、やめられずに続けてしまうよう、一種のバイアス(思い込み、偏り)。

例えば、
・これいらないよな~ けど、高かったから捨てられないな。
・課金で、これだけ金をつかったから当たるまで課金しよう。
・このアニメ、あんまりおもしろくないな、でも最後まで見ようか。

このような時間やお金などをある程度つぎ込んだ結果、正常な判断ができなくなってしまう。やめることができなくなる

サンクコストの誤謬は規模が大きくなると企業レベルになり、それによって破滅の道をたどった例が多々あったりします。
それだけ恐ろしく、誰もがハマりやすいものです。

なぜ、わざわざ、このような記事を書こうかと思ったかというと、自分も前々からサンクコストの誤謬については知っていて、気を付けたほうがいいなと思っていたにもかかわらず、日常的に、ハマっていたということに気づいたからです。

自分の例として、最近気づいたものに、
アニメと読書があります。

僕はアニメを見るのが趣味なのですが、気づけば、あまり面白くないと感じるアニメでも毎シーズン最終回まで見ていることに気づいたのです。

思えば、少し考えれば気づけるはずです。
でもやっと気づけました。
そこで、1つ重大な要素が絡んでいることに気づきました。

これに気づいたのが、時間をつくるため、アニメを見る時間を減らせないかなと考えたときでした。
そう、アニメを見ること自体が習慣となっていて、意図的に減らそう、変えようとしたときに、ようやく気付くことができました。

つまり、重大な要素とはこうです
サンクコストの誤謬に陥りやすい、日常的な行動は、なんとなくでやっている習慣によってつくられる、悪癖によってなされるということが分かりました。

毎日習慣的に行っていることこそ気を付けないとサンクコストの誤謬に陥ります。

読書も同じです。なんか面白くないし、あんまり意味ない本だなと思っても、惰性で読み続ける。
これならよっぽど読みたい本に移るほうが有益だと思います。

ですので、日常的に習慣で行動しているタスクはサンクコストの誤謬に陥りやすいので気を付けてね。ということです。
例えば、お金をかけた物、テレビの視聴(ここまで見たからには結末まで見よう)、景品交換のシール集めだったり、当たり集めだったり、趣味の収集だったり、人生そのものもそうですね、これだけの時間この仕事をしてきたとか、やってきたとかも同じですね。
気を付けないと、変化を恐れる頑固者になってしまいます。

今まで、自分では気を付けてきたつもりでしたが、知らず知らずのうちに罠にハマっていました。
そういったことに気づいたときにはすぐにやめて、次のことに行くのが良いです。
やめることは悪いことではないですから、やめなければ新しいことはできませんし、無意味だと感じていることに続ける価値はありません。

ただ、粘り強くやることと、サンクコストとのバランスというか、どこからが、サンクコストでどこまでが粘り強く続けるのか、っていう、そこのバランスも気にしないといけませんね。
これはもっぱら意図的にやる努力とかが該当しますね。努力もムダに続けても意味がありませんから、思い切ってやめることも大事です。



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