母性とは何かを学んだ一年 2022
2022年も間もなく終わろうとしている。
今年、仕事に必要な資料として母子の関係について調べはじめた。
そんな時、ネット動画の猿の母子、特に育児放棄と虐待に見紛う物に衝撃を受け、暫く消化出来ずに呆然としてしまった。
人は個々を生きて、感じるものの形も色も匂いさえ違うのだから、動物しかり植物しかりその数だけの生命の表現はあるだろう。ましては、自然界の厳しさの真ん中で生を営む厳しさを前に、人間は弱体らしく彼等の逞しさに敬意を覚えるべきなのかも知れない。
背景も歴史も日々の空気も、纏う鎧の厚さだけ、私は彼等に対して傲りから後退りするのだった。
母でもある私がしてきた子育てや日常は、最中の苦悩や時間との闘いにも勝る喜びが満ち、私はそれを[私の母性]と認識して来た。
母性は個々を表して、正しいか否かは曖昧なのだから否定的に捉えてはならない、私が私に諭す。
裏腹に、ネットのコメントの大半が「OMG」から始まり最後に並ぶ泣き顔の絵文字に、同調する私が居た。凄惨な現実に心痛める正しさを生み出し、その背中を私は撫でていた。
コメントの中に、母猿について「彼女は立派な母であり、今まで多くのパーフェクトな子育てをしてきた。」と書き込みをされた方があった。
私は心貧しい彼女達、加害者に心を締め付けられる正常な母性の持ち主だと、安堵していただけなのだと漸く気付きました。
その後、動画の発信者から時系列をなぞる解説動画が流れ、更に詳しい彼等の取り組みを知ることになった。
彼女達が生息する動物の世界と行動に、裏付けられる環境と歴史的背景、そして生物学的に分析されたデーターから見えて来る事。
「あなた方は動画を撮りながら、被害者をなぜ助けないのか。」
そんな批判を受けながら、このタイミングにどう対応したかの意味を冷静に語る彼等の強さと優しさを、感じた一年でした。
彼等とは形も色も匂いも、私は違う仕事に関わりながら、母性の意味を追いかけたいと思わせてくれた貴重な経験でした。
良いお年をお迎え下さいますように。
星)☆
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?