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死にたい老母と生きる(完全に愚痴)

写真の花は『古代蓮』。名前は、2000年以上前の地層で発見された種から発芽したことに由来しています。毎年、近所で咲くんですよね。(もかお撮影)

蓮の代表的な花言葉は、「清らかな心」「休養」「神聖」「雄弁」「沈着」「離れゆく愛」「救済」とあります。

お釈迦様は「人生は苦しみであり、苦しみ無しに人は悟ることができない」と仰ったそうです。

日本では人口が急激に減少してゆく一方で、100歳以上人口はどんどん増え続ける。2067年にはなんと、100歳以上の人々(56万6000人)が、日本に生まれてくる新生児の数(54万7000人)を上回ると予測されている(国立社会保障・人口問題研究所の推計による)。

アラフィフの私(ひとりっ子)には同居の母(御歳86才)がおります。家族構成的にはダンナ、21〜24才までの子ども3人、実母、ワンコ。

父は、子どもらが小学生〜幼稚園の頃に亡くなっています。母は心臓が人工弁だったり、ステントがいくつも入っていて、身体障害1級ですが、幸いな事に家の中に限り、自分の身の回りのことは自分でできます。私が働いていた時は、出張や会議等で遅くなる時は、みんなのご飯作ってくれることもありましたが、私が失職してからはそういう機会もなくなりました。今は洗濯だけ家族のみんなの分を担当してくれています。正直言うと、洗濯物が行方不明になることも多く、結構思うところはあるのですが、家の中で『役割』があると言うことは必要なことだし、料理と違って火事の心配もないので、本人が自主的にやってくれるうちは任せるつもり。とは言え、みんな防衛策として、各々、土日は自分で洗濯機回しています。うちはベランダと屋上と干す場所だけは沢山あるので(ベランダが母の縄張り)、みんなでこっそり屋上に干してる感じです。

今回の再就職も、子どもは手が離れたので心配なくなったけれど、母と老犬のモカのことだけが心配。母がいなければ、子どもらの帰りは遅いので私が帰ってから、作り置きに少しプラスする感じでご飯も間に合うのだけれど、ずっと家にいる母に『夕飯21時ね』とは言えない。モカも朝晩の散歩だけではトイレのタイミングが間に合わない事も増えている。16才を過ぎてるので一緒に居れない事自体が不安。

母は膝が悪いので(両足人工関節入ってるけど、それでも色々痛いらしい)、ボケても徘徊は心配ないと思うんだけれど、料理をまたやり出すと結構めんどう。温めれば良いだけにしておいても、電子レンジではなく鍋で温めて焦がすこと数えきれない。

もうね、玄関開けて焦げ臭い匂いが充満していた時の絶望感たらないです。週末返上して、あるいは寝る間を削って作った作り置きですからね。それも6人分だから。志麻さんのレシピ本買って、白ワインだの香草だのつかって、オーブンで焼いたり、煮込んだりした作り置きは、焦げていないものの、和風の醤油味に上書きされていたりね。
現在は私が家にいるので、私が完全に夕飯を作っているわけですが、母が自分用に朝温めたであろう元ホットミルクが夕方に電子レンジで発見とかね。そんな感じです。

焦げ臭い料理をとりあえず別の場所に移して、21時から冷凍庫の中を見回して、新しく夕飯を作る私。。。電子レンジで各人が自分の温めれば良いんだからほっといて大丈夫だから、って言っても聞いてくれないのか、聞こえないのか、ゴーイングマイウェイ。

まあ、自分のタイミングで自分でトイレ行ったり、お風呂を自分の意思で入ったり、入らなかったりできることに、まずは私が感謝するべきなんだろうな、とは『頭では』思っている。思ってるんだけどね、心がついていかないんだよね。
あと、お年寄りアルアルで、テレビの大音量で寝不足で、こっちが死にそうになる。テレビ用のスピーカー買ったけど使わない。100均のイヤホンが合わないのかと、ちょっと良いのを買ってみたけど試しもしない。当人は大音量の中、爆睡してたり。寝不足で仕事行って、帰ってきたところで玄関焦げ臭い。また睡眠削って、翌晩の作り置きとか、心も身体もやられっぱなしです。

正直な話、母からは今で言う虐待みたいな事を受けていた。逆さにされて頭をコンクリート(店をやっていた時期があって店の中で)に打ち付けられた事は今でも鮮明に覚えているし、後ろに1本に結んだ髪を掴まれ、引っ張り回され、ガン患者みたいに毛がごっそり抜けた光景も残ってる。

今でもひとりっ子の私に心を許す事はなく、通帳も委ねないので、食費は一円も貰っていないし、入院や手術の費用一式ほぼ私もち。この前は3か月入院したのに7万円おろしたお金を預かったのみ。保険の手続きに必要な書類のお金は私が負担して、保険金が入金されるのは母の口座。今は父の墓参りさえ(タクシーで行けなくもない)行かないというので、お菓子とか寝酒の梅酒とか、そういうのも週に何回か私が適当に買っている。
幸い、貰わなくても生活は回るんだけれど、入院する時くらいキャッシュカード預けるとか、ひとり娘なんだから、もう少し信用しても良いんじゃない?って思うんだよね。

自分で買い物も行けないし、父の墓参りにも誘っても行かないくらいだから、たぶん、あなたは一人じゃ生きていけない人だと私は思うんだよね。
とりあえず住む家も、ご飯も、お金の心配も要らない。私が人生の目標に掲げているところは全部手に入れてるんですよ。80半ばで、多少の不自由はあっても他人の世話にならずにトイレも自分で行ける、お風呂も自分で入れる。

なのに、
あなたは『お父さん、早く迎えに来て』と聞こえるような独り言を念仏のように1日に何度も繰り返す。

人生100年と言われると、母のこの状況がまだまだ続くわけで。自分に置き換えた時に、自分の人生、めでたしめでたしで上がれる気がしないです。

私は基本、ネガティブ思考ではなくって、悪い状況でも『ここが底だから、あとは上昇するのみ』って考える方なんだけれど、母の念仏のような独り言にはかなりヤられています。正直なところ、これも最後の虐待ではないかと思っている。

私は反面教師にして、人生感謝で終わりたい。

死にたい、と言いつつ、今日もふつうにご飯食べているんですけど。どっちやねん。

って突っ込める関係には最後までなれそうにないので、私が先に心を病みそう。
死にたい母と同じ屋根の下で暮らすのは、苦行です。

お釈迦様は「人生は苦しみであり、苦しみ無しに人は悟ることができない」と仰ったそうです。私も何か悟ることができるのでしょうか。

アラフィフの一人娘の愚痴でした。
自分は子どもたちを信じているので、自主的にエンディングノートなるものを買いました。最近、証券口座をあちこちに作ったりしているし。通帳のないネット銀行も増えてるしね。

ダンナのお義父さんが亡くなった時、保険会社を当てたのは私です。
宅急便に入っていたカレンダーを思い出して。保険料一括で払ってたりすると注意です。

追記: 上のノートが届きました。
まだ、書いていないんだけれど、項目によっては書く欄足りないなあ、と思うことも。
エンディングに向けてだけではなく、自分自身の整理のために、と思える時に
書いておくのは良いとお思いました。
最近はネット銀行など、他人からは足跡の見えないところに大事なモノがあったりするので、そもそもパソコン開けないじゃんって言うスタートになりそうですよね。

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