見出し画像

大人になってからのスポーツの技術習得について


スポーツをする中で基礎技術を習得するには早めにその競技を選びその基礎を反復することで身につけたほうがいい、というのが定説だ。とくにサッカーなどは足でボールを扱うので日常の活動や単なる遊びの中ではなかなか身につくものではない。一定のレベルのサッカー選手になるにはある程度の技術は少年期に早めに身につけておいた方がうまくいく。だが何歳から始めてもなってもある程度高いレベルの技術は身につくことをここでは伝えたい。

自分は19歳からクラブチームに入ってサッカーを始めた。初心者でも何も困ることはなかった(他にも初心者はいたし、ただ試合に出られないだけだ)。

経験者に比べて、ボールを扱う技術は圧倒的に低い。ドリブルをすれば、相手に取られて、ボールを受ければ、触った瞬間少しボールが離れるのでそこをよく狙われた。ではなぜそれほど困らなかったのかといえば、自分が楽観的だったからだ。スポーツは自己表現なので、走れて跳べて、投げれたら、蹴るのもなんとかなると考えている。自分は球技が好きだった。とくに手で扱うバレーボールとバスケットボールはボールをある程度思い通りに操れた。

(そもそも球技は最高の遊びで競技スポーツとしてやるものではないという認識がある。)

ただサッカーは、仲間からの信頼を得ることが重要だった。自分のプレーによってチームが機能しないというのは楽しみが半減するし、やはりボールをうまく扱えないと仲間に負担がかかるのだ。そこでまず取り組んだのは相手にボールを取られないようにすることだった。自分のところにくると、相手が寄せてきてボールを奪われてしまうことが頻繁にあったのでこれをなくしたかった。自分のなかにあるイメージはバスケットボールの要領だった。ボールと相手の間に自分の体を置き、スクリーンしてから余裕を持った状況で味方にボールを渡す。これがスムーズにできるようになると試合で使われるようになった。

相手がボールを取ろうと強く当たってくる。その力を利用してうまくボールを守れるようになったとき、上達したのがわかった。取られないボールの置き場所が何度も考えて練習した。そして相手の当たりには体が小さく細い自分はなぜか対応できた。

1990年代当時は体幹トレーニングという言葉は世の中になかったが、おそらく自分は陸上の幅跳びやってきたことで、体幹の使い方がうまくいくように動けていたのだ。体幹は鍛えるということは使えるという解釈がハマる。闇雲に筋トレをしたからといってサッカーは上手にならない。スポーツをやるうえで筋トレは目的を間違えると意味はなさなくなる。全力で走れて、そこから急ストップができ、何度も繰り返し素早くボールに寄せられるような動きは慣れていた。

バスケットよりサッカーのほうが相手の圧力は楽だったし、自分は華奢だったが、サッカーの中でたびたびあるボールの奪い合いが好きだった。ガチガチ足を当てられて痛いのは嫌だが、ボールを扱うのがうまい相手から奪うにはバランスを崩させる方法は自分なりにあった。

あとは固く多少でこぼこした土のグランドでの試合は本当にワクワクした。グランドが固いとボールが弾みすぎていくらボールの扱いがうまい選手でもグランドによって少しミスってくれる。トラップしたときにどっちにターンするかをよく見ておくと意外とうまくいった。

守備は苦労した。タックルに行くその勢いが味方には無謀に見えていた。自分としては勢いでボールを絡め取ってしまおうという守備だ。ワンサイドカット(脇に追い込む寄せ方)とカバーリング(味方に取らせる守備)を練習で徹底していたが、試合になると悠然と一対一を挑んでいた。根気強くしているうちに自分の特徴がよくわかってきた。それが味方にも伝わっていった。その特徴を活かしてもらうためにも試合でできることを続けていくのが大事だ。無理にうまくなることはない。自分には動き回ってチームを活性化させることが役目だと決めていた。

どんなスポーツでも持っている能力を組み合わせてから、それを出すことが必要だ。逆にそれさえしっかりできれば、ある程度のレベルまではいけるし、どんな可能性もあると思うのである。スポーツ技術習得の可能性を自分で狭めていてはもったいない話なのだ。大人になっても自分を信じてスポーツに打ち込むとそのあとの人生は楽しさが倍増する。

この記事が参加している募集

最近の学び

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?