ひとりぼっちのエール 安全地帯の歴史⑩
1993年。
この年は激動の年、迷走と言っても良いかもしれません。
年明けてすぐに、玉置さんソロで長年制作していたバラードアルバムが、数年かけてやっと完成するという。
ずっと詞が決まらず、もう完成しないんじゃないかと言われたらしいが、その後の玉置さんの音楽活動をサポートする事になる、須藤晃さんが作詞を担当する事になった。
須藤晃さんはソニーレコードの名物プロデューサーで、尾崎豊さん浜田省吾さん等の大物アーティストを担当されていた。
僕は尾崎さんも浜省さんも好きで聴いていたので、ちょっとビックリ。
いきさつは全く知りませんが、キティ所属の玉置さんにソニーのプロデューサーの須藤さんが作詞を提供するって、当時ちょっと不思議に思ってました。
きっと音楽の神様の導きだったのかもしれないですね。
本物は本物を知るというか。
名曲「コール」が先行シングルで発売される。
本当に名曲ですね。
玉置さんソロで好きな曲って聞かれれば、間違いなく3本の指に入ります。
当時ちょっとだけ歌番組にも出ましたが、なんだか挙動不審というか、不思議な言動とかあって、あまり精神状態が良くないのかなと思って見てました。
この時期数カ所だけで、ライブハウス規模での独演会?が開催される。
「玉置浩二独演会 〜こんな感じなんですけど〜」
通常のライブに、玉置さん一人芝居のコーナーもあり、演技する玉置さんを生で観れた、ある意味貴重なライブ。
お芝居ぽく、レコーディングのスタジオ風に歌ったりもしていた。
まだずっと発売前の「LOVE SONG BLUE」からの曲も聞けた。
たしか「愛してんじゃない」「セイクレッドラブ(インスト)」。
このライブ観たと言う方、覚えているって方がまだいたら嬉しいな。
僕もだいぶ記憶が薄くなってますが。
今となっては本当に貴重なライブ。
そして数年かけて完成した、玉置さんのソロアルバムが発売される。
「あこがれ」
長年パートナーだった松井五郎さんとは、ここで一旦離れる事となる。
あまりにも関係が深かった為、上手くコミュニケーションが取れない状態にあったらしい。
黄金コンビの松井五郎、玉置浩二での作品が復活するのは、1997年にV6に提供して大ヒットした名曲「愛なんだ」まで待たないといけない。
このアルバムは全曲バラードの濃密な1枚。
ちょっと当時の若かった僕には重すぎたかな。
このアルバムの世界に引き込まれる感じが強くて、気軽に聴けなかったというか。
「ロマン」とか好きな曲はあるんだけど、聴いてるとずっしり重い。。。
という感想。
このアルバムの素晴らしさは、40代から分かる様になりました。
今では本当に好きだし、大切な1枚。
唯一無二の、これぞ玉置浩二の世界という作品。
個人的な希望を言うなら、シンフォニックコンサートで、このアルバム曲のみの構成で演ってくれたら。
なんて思ってます。
さて93年の安全地帯の活動の方は、久しぶりにテレビドラマの主題歌を担当し、これまたキティ時代最後のシングルが発売される。
ビックヒットとはなりませんでしたが、セールス的にはロングヒットを記録。
安全地帯の周年記念ライブでは、定番ソングですね。
この曲の歌詞で、どれだけ勇気をもらえたか。
作詞は「あこがれ」から引き続き須藤さん。
応援ソング的ではあるんだけど、もの凄い孤独感も内に秘めた作品。
しかしこの名曲を残して、安全地帯は迷走時期に入ります。
安全地帯でチャリティーコンサートを何度か行いますが、そこに武沢さんの姿はなかった。
武沢さん的には、一度脱退したという事らしいです。
武沢さんには武沢さんの思いがあり、それぞれメンバーの思いもあり、安全地帯として活動するのが難しい状況だったのでしょう。
コンサート中に「武沢戻ってこい!」と叫ぶ玉置さんの姿があった。
メンバーがバラバラになるのを、何とかギリギリつなぎ止めている。
そんな風な状況に見えました。
実際この年の夏に、その崩壊寸前の安全地帯の姿を僕は生で観る事になります。
「安曇野林檎村音楽祭 93」
この当時僕は地元を離れていたのですが、まさかのまさか安全地帯がやってくる。
誰が安全地帯を呼べたのか、どうやって呼んだのか本当に謎ですが、地元の夏のイベントに来てくれる。
場所は、本当に何にもない田舎のグラウンド。
学校のグラウンドと大差ない。
まぁこれは何としても行くしかない。
ていうか、本当にあんな所で?(失礼)。
入場は何と並んだ順。
なので当然早めに行くのですが、リハーサルの音も丸聞こえでした。
グラウンドに特設ステージがあり、客席は何とビールケースの様な、りんご出荷用のケースが並べられていた。
何とも言えない、田舎の夏祭りみたいなイベントで安全地帯という状況。
僕も含めたガチ勢は、もちろん前列でスタンバイ。
ベストテンでワインレッドの心とか歌ってた安全地帯という、そのくらいの認識の近所の人たちもやってきて会場に入り乱れる、何とも不思議な感じでスタート。
ちょっと記憶が曖昧なのですが、去年のアコースティック編成のまま、安全地帯のヒット曲を演奏したり、急に玉置さんソロの曲を演奏したり。
まだ発売前の「カリント工場の煙突の上に」からの曲を演奏したり。
安全地帯なのか玉置ソロなのか微妙な感じ。
メンバーはドラムに玉置さんのお兄さん、ベースにはアマ時代にベース担当だった宮下さんが加わってました。
この時は武沢さんもいました。
しかし武沢さんは客席から見てても、なんだかつれない感じ。
途中ステージを抜けてる時間もありました。
事情があったのだと思いますが。
無理やり玉置さんが仲良さげにみせている、そんな雰囲気を感じていた。
この時急にMCで
「今後安全地帯は、7人でやっていきます」
と宣言。
しかしそれを見たのは最初で最後だった。
コンサートは無事終了したものの、ちょっとどうなんだろうという、何とも言えない気持ちになっていたのを思い出す。
これから安全地帯はどうなるんだろう。。。
そして再度世間に、安全地帯解散という報道がされる。
理由は、須藤さんのいるソニーにキティから移籍するにあたり、安全地帯ではなく玉置さんのみ、という事から安全地帯は消滅するという報道だった。
この辺の事情はちょっと良く分からないですが、ファンクラブ会報では安全地帯としてソニーに移籍したと書いてはあった。
一体どっちなんだろう?
しばらくしてファンクラブから1枚の葉書が届いた。
そこには玉置さんからのメッセージが書いてあった。
「安全地帯は僕一人になっても続けていきます」
しかし安全地帯がファンに姿をみせるまで、この先約10年の年月が必要となった。
今回はここまでにします。
読んでくれてありがとうございます😊
そしてちょっと更新遅くなりごめんなさい🙏
マイペースで記憶を呼び戻しながら、ゆっくり書いていきます。
イイネ、ご感想お待ちしてます。
次回は玉置さんソロの「カリント工場の煙突の上に」からの、初めて聖地北海道旭川に行った時の事や、その後の玉置さんソロ活動について書いてみたいと思います。
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