生きる選択、死ぬ選択。
たぶん僕は1年後、この世にはいないだろう。
こんな事書くと、「またまたそんな事言って」とか、「もうちょい頑張ってよ」とか言われてしまうのですが。
死ぬぞ死ぬぞ詐欺でもなく、人間どんなに元気でも死ぬリスクはゼロではない。
車にはねられた、通り魔に刺された、北朝鮮からのミサイルに殺られるかもしれない。
でもまぁ、かもしれないってレベルであり、現状にはゼロに近い可能性。
おとぎ話位のものだ。
ただこちらは、医師から結構現実として受け入れないといけないレベルで言われている。
可能性で考えると、現実に起こり得る事としては、天と地の差がある。
リスクが同じとはとても思えないので、半年先の予定さえ立てられない状況ではある。
僕は今、抗がん剤治療をしている。
手術はしたが、腫瘍の場所が悪く、完治はその時点で難しいという判断。
つまりは、この先の治療は延命治療になるという現実だった。
もう治らない。
宣告された時は受け入れ難く、セカンドオピニオンに行ってみたりもした。
同じ話を2回聞いただけだったが、それでも他の医師から見てもそうなんだという、ある意味の諦めみたいなものは出来た。
そうか、受け入れないといけないんだな。
それから約1年半。
抗がん剤治療は続いた。
もう流石に、というか、もう良いかなと思う様になった。
もう良いかなと言うのは、生きるという事に対してだ。
もういろいろボロボロで、手足はずっと痺れていて感覚はあまりなく、食欲はあっても食べたら気持ち悪くなりしばらく動けない、立っていたら足が浮腫んでしまい歩行に支障がでる。
こんな状態で、何が楽しい?
辛いだけじゃないかという、まぁそんな毎日。
でも最後まで、抗がん剤治療は続けると思う。
今の所は、そう思っている。
自分でも笑ってしまうけど、まだ何か楽しい事があるんじゃないかと信じてる。
本当にどうかしていると思う。
ここまで来ると抗がん剤治療というのは、少しだけ生きてる時間を伸ばす為だけのもの。
もう明日ぽっくり逝っても構わない、いやむしろそうしてくれ、もうこの世に悔いも未練もない。
という人は、抗がん剤治療は拒否して良いと思う。
ただすんなり死ねないのも、この病気ではある。
生きていて欲しい。
きっとそう思ってくださって、この文章を読んでいただいていると勝手に思っているけど、生きる選択をするのも、死ぬ選択をするのも、自分自身。
自分自身の意思では、もう何も出来ず、ただただ息をしているだけの、生きられも死ぬ事も出来ない状態を望んでいない。
僕がどんな選択をするのか?
まだその時が来るまでは分からない。
ただ人間って、結構諦め悪くジタバタするもんだ。
それが人間じゃないかなと思う。
だから今は、ジタバタしてみようかな。
そう思っている。
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