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H先生に捧ぐ 


私は学生時代、先生という存在と特別仲良くなる事はなく、むしろ苦手だった。

素直に好きと伝えたり、先生と深い関係になれる皆が少し羨ましいなと思いつつ、自分は先生という大人に対しどうコミュニケーションをとっていいかわからなかった。

先生と仲良くなりにくく、その点で内申点をあげるのにも苦労した。
私は、頼ってこない、話しかけてこない、一言で言うと可愛くない生徒だったと思う。


H先生もそう。
担任でもない、顧問でもない、ただ英語を教わるだけの先生。
恩師と呼べる程仲が良いわけでなく、私は彼にとって大勢の生徒の中の一人だと思う。


だけど、そんな私の"先生達"の中でH先生は少しだけ変わった存在だった。大人になった今も思い出す存在である。



高校入学。
高校受験に失敗し、内申的に入れたはずの高校に入れず(緊張で試験失敗した)やけくそになって偏差値を下げた高校に入学した私。

一日中机に向かって努力していろんな事を我慢してきたのに報われなかったことに絶望し、勉強なんて一生やるもんかと拗ねた私は勉強する事を辞めた。一切合切辞めた。


授業中はひたすらボーッとしたり寝たり漫画を読んだり絵を描いたりして時間を潰した。
とっても楽しかった。あの45分の時間の中でかなり自分の読書量と創造性が伸びたと思う。勉強という財産を捨てて。



高校一年生の授業中、授業中だけメガネをかけていた私は、たまたまメガネを床に落とし、そこにタイミングよく机と机の間を歩くH先生が来て私のメガネは踏まれて割れた。

授業を中断してめちゃくちゃ謝ってくれた先生。
別に大切なメガネではなかったので、特に何も思わず、大丈夫ですよ〜って言った。
それでも何回も謝ってくれて、授業が終わった後も呼び出されて本当に大丈夫なのか、弁償しなくていいのか確認してくれた。

H先生は生徒指導係をしていて、授業もオラオラの怖い感じ。校則違反をしている生徒がいれば強く叱る。

そんな先生がしょぼんってなって真摯に何回も謝ってくれて、びっくりした。
一人の人間として私に向き合ってくれた感じがした。


先程申し上げたように先生は生徒指導係。
うちの学校は公立なのに校則が大変厳しく、特に遅刻に厳しい。

登校時間が終了した瞬間に校門のシャッターをガラガラっと勢い閉めて、遅刻した生徒は中に入れない。
なんなら登校時間終了5分前ぐらいには入り口が狭められていて、「おせーぞ!!」と怒鳴られながら入場するハメになる。(おもろ)

校門を通過できなかった生徒は1列に並んで、校長とH先生からお叱りを受け、理由を述べ、名前を書かされてやっと校内に入ることができる。


ねぼすけで遅刻魔の私は遅刻常連だった。
高校に思い入れもないし内申も気にしてないからどうでもよかった。かなり頻繁に校長先生とH先生に怒られて、その時一緒に髪色や制服の着こなしについても怒られた。
怒られるのはめんどくさいのに中々遅刻癖は治らなかった。ギリギリ遅刻しないように死ぬ気でチャリは漕いでたけど。

なんでこの二人は毎朝毎朝生徒にブチギレて、何が楽しいのか、疲れないのかと疑問だった。

度々行われる抜き打ち持ち物チェックや頭髪、制服検査にももれなく引っかかり、呼び出し常連だった。

(決して私が不良なわけでなく、校則が厳しすぎて茶髪禁止、スカート短いの禁止、リボンとかカーディガンとか可愛いの禁止だっただけ)

とにかくよくH先生には叱られた。
私が何もしていなくても、すれ違っただけで注意する事が今日はないか確認されていたように思う。本当によく名前を呼ばれた。

飽きないのか、と思った。
何のために彼はこんなに仕事に全力なのか理解ができなかった。

その後も私とH先生の関係は平行線を辿っていた。嫌いというよりはめんどくさい存在って感じだった。


時は流れ高校三年生。受験の年である。

ネイリストになりたかったが周り全員受験生ということもあり雰囲気的に言い出せず、大学に行くことにした私。(クズ)(noteの夢を叶えた話参照)


努力してまた失敗するのが怖かったので、二度と一般受験などするものかと決意は堅かった。最低限の成績を取り続け、その成績+面接で大学に行く計画の私。
逃げるは恥だが役に立つ大作戦である。


学校側が面接を受ける生徒は日程を組んでくれて、先生が一対一で模擬面接みたいなことをしてくれた。

あろうことか私の担当はH先生。

「うわー、めんどくさ、、」と思ったのが正直な感想だった。



入室の仕方、挨拶などとっても真摯に丁寧に教えてくれた。ありがたかった。
国際政治系の学科希望だったので気になるニュースの事とかを聞かれて準備した事を話した。

「〇〇ってこのニュースに対してこんな風に思うんだな。知らなかった。いいな。」

とまさかの褒め言葉が来て、ビックリした。
私のこと嫌いだと思ってたから。
こんな私に優しくしてくれてありがとうございますと思った。

その述べた意見の更に深い話や先生の意見をブワーーっとわかりやすく教えてくれて、とても面白く、楽しい時間になった。
英語を教えるH先生が、こんなに政治に詳しくて鋭い意見があるんだと分かって凄いと思った。(当時の自分、何様)


この通りやれば大丈夫だから、と念を押されて面接練習は終了した。
その日の自転車の帰り道はなんだか気分が良かったことをよく覚えている。


迎えた大学入試では自分の準備したもの+先生に教わった意見をコピーアンドペーストでそのままそっくり言ったら面接官だった大学教授がすごく感心してくれて、受かった。
私が受かったのはH先生のお陰なのだ。


そんなこんなで楽しすぎた高校を卒業し、遅刻することで怒られる日々は終わりとなった。


H先生は怖いけれど、生徒から大変よく慕われていた。担任も持ってないのに、学園祭や体育祭にも参加しないし部活の顧問も恐らくしていないのに大人気だった。生徒に媚びることはなく、真摯に一人一人対応する所が人気だったんだと思う。

私も、怒られてめんどくさいけど嫌いな存在ではなかった。H先生の真摯に英語を教えて受験生を合格させる為に頑張る姿をよく見ていたから。
(面接で大学に行くといいつつ万が一の為にH先生の受験対策英語の補習を半年間受けていた)(8割寝てたけど)



楽しく楽しく大学を卒業し、就職し、あっという間に大人になった。何年かすぎて仕事にも慣れてきた頃、高校の友達から連絡がきた。





それは、H先生の訃報だった。
持病が悪化してしまったそうだ。



先生は私たちが卒業した後も何年か私たちの高校で教師を続けて、多分そのまま引退したんじゃないかなと思う。


葬儀には沢山の生徒が駆けつけ、大規模なものになったそうだ。
私は仕事の都合がどうしてもつかず行くことはできなかった。
友達から話を聞くたびに、あの子も行ったんだ、と本当に多くに人が来たんだなと実感した。

H先生にお世話になったと思う人は私が思う以上にすごく多いだろう。
先生に懐く子たちはもちろん、学校の先生と仲良くならない私ですら、最後会いに行きたいと思ったから。厳しくても愛を持って生徒一人一人に指導を真摯にしてきたからだと思う。



仕事の姿勢というのはその人の生き方に通じる部分があるのではないだろうか。

H先生は、仕事以外の人生でもひとつひとつ丁寧に、どんな人にも一人の人間として真摯に関わってきたんだと思う。


就職して何十年間も情熱の炎を消さず
に生徒の指導・教育に当たっていたこと。
素晴らしいパフォーマンスを何十年も続けるには体力がいる。
そんなことは誰にでもできることではない。

生徒に厳しく指導し、媚びないこと。
それは人に媚びないこと。

多くの人がお葬式に駆けつけたこと。
沢山の人の記憶に残っていて、H先生に感謝していると言うこと。



そんな風に、素晴らしい人だったんだなと大人になった今分かった。
H先生が亡くなる前に感謝を伝えられればもっと良かったな。



H先生がいなくなってからきっと5年ぐらい経つけれど、今日もH先生の事を鮮明に思い出します。





H先生、ありがとうございました。


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先生へ

先生、私は今では会社で皆勤賞を数年連続でもらう程に成長しています!!笑笑
その他の先生から見習うべき点はちょっと微妙だけど、これからの人生で少しづつ先生みたいないい人になれるように努力してみたいと思います。
仕事への姿勢とかね。
先生は私の事覚えてないと思うけど、どうか見守っててね。

生徒のために全力を捧げたと思うから、どうかゆっくり休んでいてください。
でも先生ならキビキビ元気に天国でも働いてそうだなあ。

またいつか会えたら嬉しいです!
その日まで、あの頃のまま元気でいてください。




ーおしまいー

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