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日本社会が抱える小田原評定体質からの脱却 後編


 今回も『日本社会が抱える小田原評定体質からの脱却』を投稿いたします。

前編:国家的停滞の根源を比較文明する
中編:日本経済の凋落も現状維持体質による迷走から?
後編:いわば究極の一般教養とも云うべき比較文明学


の全三編に分けて記事にいたします。本日は後編をおとどけいたします。

 いわば究極の一般教養とも云うべき比較文明学

 この比較文明学は、人類のあらゆる知的な営みを有機的・総合的に理解しようとする壮大なスケールの学問です。とは云っても、この学問は比較的新しい学問で、未だに進化の途中にあります。この学問の特徴は、従来の学問が人類史の各領域を文節化、つまり小さく区切り、単純化(純粋化)して理解しようとするのに対して、逆方向、つまり対象を連続化、総合化し、パターン化しつつ総合的に理解しようとする学問です。その特徴は、人文科学、社会科学、自然科学に加え医学、工学などのあらゆる領域を、人類の知的営みのとして総合的な視点から体系化し、鳥瞰することを目指す学問です。その代表は、比較文明学の先駆者であるアーノルド・トインビーです。彼の『歴史の研究』は、和訳全25巻というものでした。尤も、これは余りに浩瀚ですが、最近、世界的なベストセラーとなったハラリ氏の『サピエンス全史』などは、僅か上下二冊で人類文明の全史を語るというかなりの冒険的な書物ですが、立派な比較文明書物といえます。因みに、比較文明学の世界的な権威である伊東俊太郎博士の『比較文明』(UP選書)は、比較文明学のバイブル的存在です。
 これらの書物から学べることは、自己の存在に至る壮大な人類の歴史、特に文明化して以後の人類の歴史を総合的且つ体系的に捉えることができるという点です。しかも、多様な領域からの視点が提供され、自己が直面する諸問題を歴史の中に相対化できるという点です。
 この比較文明学的な視点を身につけることで、我々が直面する最先端の問題が、実はそれぞれの時代に、我々の祖先が直面した諸問題に還元できることになります。そうすると、問題への認識も多様化でき、柔軟な対応が可能となるわけです。
例えば、よく言われることですが、現在のコロナ禍の諸問題も、スペイン風との比較を通じて相対化できるわけで、その総合的な分析から有効な対処法もおのずと見えてくるわけです。
 少なくとも、歴史上コロナ禍のような深刻な疫病の流行はしばしばあり、人類はそれを乗り越えて現代に至っているという事実に気付く冷静さを持つことで、その有効な対応策が見えてくるのではないでしょうか?そのための総合的な知見の構築に、比較文明学が有効であると、筆者は考えています。
 何れにしても、危機に直面し小田原評定的な堂々巡りを繰り返す知的硬直化の悪循環からの離脱には、比較文明学の提示する広く、高い知見が有効であると筆者は考えます。

 後編ははここまでとなります。今回で『日本社会が抱える小田原評定体質からの脱却』の記事は終了となります。今後も保坂先生のご寄稿を定期的に掲載していきますので、お楽しみに。なお、本寄稿におきまして、管理者によって、ところどころ表記の修正が加えられております。ご承知おきください。本日もご覧いただきありがとうございました。

編集者:H.M

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