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日本社会が抱える小田原評定体質からの脱却 前編

 先日、保坂俊司先生からご寄稿をいただいたので投稿いたします。主題は『日本社会が抱える小田原評定体質からの脱却』であり、

前編:国家的停滞の根源を比較文明する
中編:日本経済の凋落も現状維持体質による迷走から?
後編:いわば究極の一般教養とも云うべき比較文明学

の全三編に分けて記事にします。今回は前編をおとどけいたします。

 国家的停滞の根源を比較文明する

 コロナウイルスによるパンデミック(以下コロナ禍と表記)に見舞われて一年以上が過ぎたにもかかわらず、一向に有効な政策を実行できず、混乱の中で右往左往する日本指導層の頼りなさは、一体何処に起因するのでしょうか?
 この一年余の期間、コロナ禍に直面し大混乱の中でも、辛うじてその被害を最小限に食い止められていたのは、日本人が持つ誠実さと勤勉さ、健康意識の高さ、つまり道徳性によるところが大きく、政府や行政の強力なリーダシップによるものではなかったことは明らかです。勿論、久しく直面することのなかったこの社会的な危機に、政治や行政が有効な手だてを講じえなかったことは、決して賞められることではないですが、過剰に責められるべきことでもありません。なぜなら適切な対応をとる為に必要な経験や知識の不足が、その迷走を招いたことは当時としては仕方ないことであったからです。
 しかし、だとしても、一年以上を経過して尚、昨年同様、危機意識を喧伝するに急いで、具体的且つ有効な政策の立案も、その展望も殆ど示されていない現状をみると、政治・行政の担当者、特にそのリーダーの資質に疑念が生ずることを禁じ得ないのではないでしょうか。
 勿論、皆さん個人的には優れた方々であり、その専門領域や知識から、粉骨砕身努力しておられることは否定しないのですが。とはいえ、現実にはそれぞれの能力も、その努力も有効の機能していないようです。では何故、彼らはこの危機的状況に、有効な手だてを立てることに成功していないのでしょうか?
 筆者は今回の状況を、秀吉という強大な的に責められて結果的に有効な対策を打てずに亡んだ北条政権の対応、世に言う「小田原評定」に通じるものを感じています。周知のように、小田原評定とは、豊臣秀吉の小田原征伐に際して、北条氏政・氏直と家臣らがその対応を決められぬまま迷走し、ついに征服された故事を云うわけですが、まさに危機に対しての備えの欠落が、命取りになることを示しています。勿論、ここで大事なことは、北条氏政、氏直、その他重役達が、決して個人的な資質において劣っていたわけではないと云うことです。恐らく軍備にしても、力を結集すれば易々と秀吉に滅ぼされることは無かったはずです。にもかかわらず、戦わずして滅亡したその最大の原因は、何だったのでしょうか?
 理由は色々あるでしょうが、その最大の要因の一つに、北条早雲以来、関東を平和裡に支配し、謂わば、”パックス北条”という成功体験を持っていたこと、さらにはその成功体験に固執し、そこから離脱できなかったことにある、と考えられます。誰しも、自らの成功体験を棄てて、新たな局面に立ち向かうことは、困難さが伴います。
 しかし、迫り来る危機に対応し、それを乗り越えるためには、状況を広い視野で分析できる客観的思考、それを実行する勇気と決断力、そして実行力が不可欠です。そしてそれを持たなければ、時代の求めに的確に応じることができず、取り残されてしまうことになります。この点で、現今のコロナ対策に失敗している日本の指導層はまさに「小田原評定」の北条氏の轍を踏んでいるということになるでしょう。

 ということで、前編はここまでとなります。次回の中編は明々後日(11/21)ごろの投稿を予定しております。また、今後も定期的にご寄稿をいただいて、『保坂俊司の放言高論』と題した企画を継続していきます。お楽しみに。なお、本寄稿におきまして、管理者によって、ところどころ表記の修正が加えられております。ご承知おきください。本日もご覧いただきありがとうございました。

編集者:H.M

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